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不登校、引きこもりだった人間の当時の想い。


苦しい時の感情

家庭環境の悪化から不登校へ

不登校のきっかけは家庭環境の悪化でした。

家庭内別居のような環境で育ち、かつ長子だった私はよく両親の喧嘩をなだめるような役割でした。

小中学生の頃はそれでうまく回っていたのですが、中学三年生のころから徐々に歯止めが利かなくなりました。父はお酒におぼれ、母はSNSにのめりこんでいきました。

家庭環境の悪化に伴い高校生ながら自律神経失調症になり、不眠症のような症状が出始め、眠れず、学校に行くもコンディションは最悪。

勉強にも自然と置いて行かれ、劣等感や羞恥心から不登校になっていきました。高校に通えなくなり、不登校の期間が続き、高校1年生の冬に高校を辞めることになりました。

社会的孤立

高校を辞めて、解放されたと思われるかもしれませんが残念ながらそうではありません。高校を辞めて感じた最初の感情は、より深刻な劣等感と焦燥感です。

不登校の私は高校生でしたが、高校を辞めたらナニモノでもない私になってしまったのです。

周りのみんなが当然進めているレールを走れなくなった劣等感は、勉強についていけない劣等感と比べてもはるかに強く、深く自身の心を傷つけたと思います。

そして焦燥感。この焦燥感は今まで感じたこともないような感覚でした。当然のように進学すると思っていた大学、専門学校には行けない。中卒で仕事を探すもほとんど見つからない。

この先どうやって生きていくべきなのか、死んだほうが楽ではないかと焦燥感から答えを逸り、毎日が自責の日々でした。

そして何もしていない日々は思ったよりも辛く、気晴らしに買い物にでも行こうと母に誘われ嫌々ながら外に出ようとしたときに気付きます。

「外の音が怖い。」

風切り音、隣の家のドアの音、鳥の鳴き声…
何が怖かったのかはわかりません。

今思うと、幻聴の一歩手前だったと思います。部屋でうずくまって、怖くて泣きました。それは劣等感の涙であり、未来への絶望の涙だったように思います。外に出ることすらままならない自分がこれからどうやって生きていくのかと、将来を憂えば憂うほど涙は止まらず、何度も嘔吐しました。

今あえてリフレーミングするなら、高校を辞めてから初めて感情を出せた、ともいえるでしょう。バイステックの7原則で言うのであれば、「意図的な感情表出」にあたります。
未来を憂う気持ちは絶望感に繋がっていましたが、裏には生き方を設計しようとする想像力が働いています。その葛藤の中で泣けたというのは当時の自分にとってようやく踏み出せた瞬間だと思います。

檻の中

物理的な檻を思い浮かべると、頑丈で堅いイメージでしょうか。冷たい床にカビたパンと、重い足かせ。ドラクエが好きなので檻といえば鉄格子を思い浮かべます。

私が当時囚われたのは精神の檻。

家から出られない自責、過去に戻られればという過去への執着、もっとこうしていればよかったという後悔、将来への絶望。檻は固くないのに、ベッドは以前と変わらないのに、ご飯は食べられるのに生きているだけで申し訳ないと自身で自身を追い込む精神の檻でした。

1日が長く、劣等感から兄弟姉妹と顔を合わせたくなくてベッドに潜る時間がどんどん増えていきました。眠る前には必ず小学校の頃にタイムリープ出来るようにと本気でネットでタイムリープの方法を検索していました。

現状を変える方法がそれくらいしか思い浮かばなかったのだと思います。

また、今でも若干残っているのですがポルノ中毒にもなりました。嫌な想像をするとポルノに逃げます。快楽物質であるドーパミンを簡単に得られるため嫌なことを忘れるために使用していました。

上記の文言、どこかで聞いたことありませんでしょうか?そうドラッグです。性的刺激はコカインより少し少ないレベルの快楽を簡単に手に入れられる麻薬なのです。
そのためポルノの過剰視聴はWHO(世界保健機関)が認めている精神疾患の一つです。ポルノは脳を委縮させ、日常生活で感じられる刺激を感じられなくなります。

SSで知った高卒認定試験

SSを知っていますでしょうか?
ショート・ショートあるいはショート・ストーリを略してSSとされます。ネット上の非公式二次創作で、当時時間が有り余っていた私はそれを読み漁っていました。

そのなかで、涼宮ハルヒの憂鬱の二次創作を読んでいた際に高等学校卒業程度認定試験の存在を知りました。(本当は引用したかったのですが、見出しを覚えておらず探し当てることができませんでした。古泉が不登校になっていたはず…)

家の中から出られず社会とのつながりがなかった自分にとって、社会に繋がるための勉強というのは一本の蜘蛛の糸だったと言えます。

タイムリープと大人なビデオを探す機械と化していたスマホを久しぶりに適切に使った瞬間です。

高卒認定試験は骨が折れましたが合格しました。その時の勉強法などはあまり参考にはならないかもしれませんが、また掲載させていただきます。

まとめ

今回はいったんここまでの自分語りにさせていただきます。

当時の感情を言語化することで、今孤独を感じている方に寄り添うことができればと思い、当時のことを文章におこしてみました。

感情は目に見えず、悩みが人に言いにくいものであるほど表出できずに苦しみの渦になって頭をめぐってしまうためこの文章に共感されたり、言語にするお手本になっていれば幸いです。

この後のことを簡潔に話すと、
私は大学に進学し、精神保健福祉士の資格を取得し、生きています。他業種へ挑戦したいという気持ちも芽生え、資格勉強の毎日を送っています。

外が怖いと泣いていた人間はゆっくり外に出られるようになり、学校が嫌いになった人間が大学は1日も休まず登校し、人とのつながりを恐れた人間が人に接することでお金を得るようになり、勉強についていけなくなった人間が資格勉強にチャレンジしています。不思議なもんです。

私の大好きなドラマの一つである、
MIU404 第7話「現在地」の中にこんなやりとりがあります。

伊吹「なあ志摩。10年あったら何ができるかな」
志摩「英語がペラペラになれそうだな」
伊吹「うん」
志摩「プロの料理人」
伊吹「いける」
志摩「世界中の刑事ドラマ全部見る」
伊吹「いいね!」
志摩「…何でもできそうだ」


何の因果か私が苦しかった当時からちょうど10年になります。10年あれば人は何にだってなれます。
余談ですが、2024年健康寿命は3年ぶりに延びました。

男性:81.09年 女性:87.14年

これだけ健康で生きられる社会です。おそらくまだまだ延びていくことでしょう。

10年あれば何にだってなれると思えば、70歳の方だって全然まだまだ何者かに慣れる可能性を秘めていると言えてしまいます。

今がだめでも絶望しないでください。楽しいが一過性の感情であるように、苦しみも一過性です。楽しい時間は一瞬であるなら、苦しいだって一瞬です。

今、当時の私と似たような境遇で苦しんでいる方がいるなら必ず未来は良くなると信じてください。

私の経験などこれからゆっくりとになるかもしれませんが発信していきます。その中のひとつでも誰かの生きやすさのきっかけになれば幸いです。

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