マダガスカル73日目
「年齢によって可能性を勝手に判断している。」
安定に始まるまで30分の空白の時間、先生も生徒も時間通りに来ない。
これに関して意見することは意味がないと判断してやめました。
長く体育やりたいと思ったら早く来るようになるでしょう。
今日は自分の授業中に子供に向けて発言した言葉を考え直していこうと思います。
「高校生はほとんどできていないけど中学生のみんなは結構できてるよ。」
思い返せば馬鹿な発言だと思います。
実際に中学生はこの発言で笑顔になって喜んでいる様子でした。その様子を見てきっと自分は満足したのでしょう。
この発言に自分が普段思っていることが何気なく出ています。
「年齢によって可能性を勝手に判断している。」
「高校生ができないなら中学生には難しだろう。」言い換えればこうですね。
これはスキップができるか、できないかの簡単な実験をした際に使った言葉です。
仮にこの言葉を使うのであれば、発達段階と年齢による経験値が関係ない条件下。そして年齢の異なるグループが運動を行う場合です。
まだ子どもの発達段階、運動能力、経験値を把握していない状況下では使うことはできない言葉だったと思います。
むしろこの条件が揃うことの方が難しいので今後はこの言葉を使うのは控えようと思っています。
比べる以外の評価基準も沢山あります。まだまだ勉強不足の無知です。
年齢を物差しに用いて物事を判断するのは頭を使わなくてもできます。
考えることを放棄していました。楽な方に行くのが大好きな僕のよくない部分が前面に出ている発言ですね。
年齢だけではありません。
2者を比べるのでなく、お互いが持つ異なる特性や特徴に着目したアドバイスや、褒める発言ができるようになりたいと思います。
基本的に僕は勝負事が好きです。僕の経験してきた勝負事は他者と争うことです。たとえチームであろうがその中で争って他者より優れていることをアピールする環境で生きてきました。その結果試合に出れます。試合に出たら相手チームと争います。
この環境下で、他者と争うことで自分の存在意義を認識することしか当時の僕の頭では考えられませんでした。
違いを認め自分のスタイルを確立し、そこで勝負することができたら未来が変わっていたかもしれません。
なんて今言っても意味ないです、過去は変わらないので。
さていきなりこの価値観を変えるのは不可能です。
僕の好きな勝負事にも多くのスタイルがあることを認め、今日までの物差しにプラスし異なる物差しでも世界を見てみたいと思います。
次回勝負事に囚われている人の思考について書こうと思います。
まあ僕のことですが。
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