いつか背中を見せるとき
マダガスカルに来てあっという間に2ヶ月が経ちました。
日本食大好き人間の僕は昨日の夢でマダガスカルのスーパーに味噌と豆腐が売っていることに大興奮して一人でスーパーで大騒ぎしていました。
支援物資待ってますw。
なんて冗談はさておき本題です。
仕事柄子供と多く関わります。また近所の友達や道ですれ違う子どもたちも最近は名前を呼んでくれるようになってきました。コツコツ挨拶してる成果が出てきたのかな。
僕の家族は今、日本で生活しています。大阪と島根と東京とマダガスカル、離れて暮らすのは慣れっこだけど、2年後に一回全員で旅行に行くのが僕の目標の一つでもあります。
基本的に僕の家族は僕の自由人な感じを応援してくれているし、人のやる事に口を挟むことがありません。
生き様も、みんなの背中を見て育ってきたし、今だってみんなの大きな背中を追いかけています。
話を少し戻します。子どもや教員、教育関係者と日々接する生活で最近思ってきたことがあります。
「僕の背中は誰かに見せることができる状態なのか。」
基本的に大人を見て子どもも大人になっていきます。親を見て子供が育っていくのもその一つだと思っています。
僕もそうやって24歳になりました。
いつかこの経験を子どもに話すときに、嘘偽りなく心の底から楽しかったと言えるのか、辛かったと言えるのか。海外で仕事、生活する夢を一緒に語れるのか。
正直今のままではそれは不可能です。今抱える問題も、逃げてしまいたい生活環境も、もっと楽しめるし、もっと仕事に夢中になれるはずだし、もっと問題と向き合って自分の力で解決できるように努力できるはずです。
「後悔してからでは遅いのです、この2年は、この1日は、この1秒はもう2度と帰ってきません。」
最近書く内容も思うことも一つの系統が自分でも見えてきました。
僕が日記を書くのは読んでもらっている人も、自分にも後悔しない人生を生きて欲しいのです。
今この瞬間を最高だと言えるように生きていきたいのです。
今日も思いっきり楽しかったと言える1日にしていきます。
明日の高校での初めての体育の授業も先生が一番楽しみます。
こうやって全力で生きている人の背中は自ら進んで見せなくても、自然に見られるようになると信じています。