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学校の中のルッキズム

最近流行りの言葉となっているルッキズム。私が今勤めている学校は、都心寄りではあるが、田舎の学校。よく分からない古臭い校則も多く、これが伝統なのかと溜息をつきたくなる時もある。やや都心から離れているお陰か、あまり化粧やダイエット等について話す生徒は多くない。しかし、一部の生徒からは、「闇バイト」「パパ活」といった、子ども達の口から聞きたくない言葉を耳にすることもある。
発端はお金がないということ。お金については、また別のnoteにでも書こうと思うが、まさか犯罪や援交に関する言葉を易々と口にする子ども達がこんなにもいるとは、私にはショックでしかなかった。基本こういった発言が多いのは女子生徒達である。ネタか本気かの境目くらいのノリで、「パパ活やりた〜い!w」みたいな発言をし、周りもそれでゲラゲラ笑う。下品な時代になってしまったなとも思うが、これは子ども達のせいではない。だが、誰のせいと決めるのも難しい問題である。だからどうか、この記事を見て心当たりのある子ども達は傷付かないで欲しい、君達は何も悪くないのだから。そもそもかなり貧困な家庭が増えているし、今までは子ども達があまり触れることのなかった情報が、親の目大人の目なんかを簡単に掻い潜り、誰でも容易に手に入ってしまう時代になったからだろう。
個人的な意見だが、所謂パパ活やそれに近い仕事に関して、私はそれらを悪とは言わない。このnoteはルッキズムに関するものとしていて、話が逸れているようにも感じるかもしれないが、皆さん(特に大人)が何となーく嫌な言葉だなと感じるものは、案外裏でしっかり繋がっているものだ。さて、知識のない子ども達を利用するのもいつだって大人。だから、判断力のない子ども達に、そういったものが容易に触れるのは良くないと、教育者として思っている。一部の人は、汚らわしいみたいな嫌な言い方をするようだが、私は自分の武器をどんな形であれ駆使して仕事をすることは、悪いこととは思わないし、ある意味仕方ないとも思う。だから、善悪で判断はしたくない。勿論、援助交際とはぶっちゃけ犯罪なのだが、刑事罰が科されることはないし、ある意味グレーゾーン的な立ち位置にあるのが実情。安易に、犯罪だ!と言うことも難しいし、それを言ったところで何も変わらない。傷付く人が増えるだけの言葉は言いたくない。誰も選びたくて選んだ訳ではなく、自分の能力や得意、家庭環境や現状を踏まえた上で、皆今の仕事を選んでいるはずだ。私だって同じだ。判断力や知識が備わった上で選択するなら、それは大人としての判断であり、我々が文句を言う権利は無い。
少し話が逸れてしまったが、そういった仕事において重視されるのは勿論「容姿」と「年齢」である。流石に大人なら知っているだろう。ここからが本題だ。先程から言っているが、子ども達には判断力がない。なのに、容姿と年齢が求められるだけの仕事で、高額の収入が得られるなら、勿論それを選びたくなってしまうのは仕方ないことではないだろうか?彼らは既に、年齢という圧倒的に有利かつ、努力では手に入らないものを持っている。ならば、後は見た目さえどうにかなれば良いわけだ。勿論、全てがお金目的では無い。普通に、可愛くなりたい、美人になりたいと思う人は昔から多くいたはずだ。だが、近年は度を超えた可愛さや美しさを求める人が増えている。SNS中毒の子ども達は、生で見ることのないような可愛い人や美人、華奢で今にも折れてしまいそうな細さの人間を見慣れ過ぎて、自分の自信、自尊心、自己肯定感を地の底にまで落とし生きている。私はデブだと言う子は、私の目からは既に細く見えている。自分がブスだと言う子は、どこがどのようにブスなのか、ネットで拾った知識を用いて、具体的に分析した結果をつらつらと語る。一重二重なんて言葉は可愛いもので、私が大学生くらいに知ったような、骨格だの、フェイスパーツの名前だのを平気で知っていて、自分を卑下するのを止めない。人間関係等に関して何か失敗すれば、自分がブスだからと言ったりもする始末。酷いもんだ。
また、ルッキズムは人間関係どころか、勉学面に関しても邪魔になってきている。勉強なんてしなくていーじゃん、可愛かったらYouTuberか、地下ドルか、パパ活すればいい、みたいに開き直ったことを言う生徒も正直いる。私はネットリテラシーがあるから、詐欺には引っかからないなんて言う子もいるのだが、そういう自信に付け込む大人も多いに決まっている。だから、子ども達の発言が怖くて仕方ない。可愛かったら、美人だったら、勉強せず、もっと楽にお金が手に入る。それは本当なのだろうか?そんな疑問をもつのは大人だけで、子ども達はただ、ネタで言っているか、気を引きたいか、現実逃避したいだけか、本気で言っているのかのどれかだ。現実逃避か本気で言っているとしたら、正直ヤバいのだが、それに気付くのは大人になった頃だろう。勿論、勉強がしんどいのはよく分かるが、努力不足なのか、努力では埋められないしんどさなのかも人それぞれ。だから、これもまた容易に、そんなこと言うな!勉強しろ!とも言えない。多様性の恐ろしいところだ。だから、君達はよく考えて欲しい。考える時間も猶予もある今、どうか立ち止まって、よく考えて欲しいのだ。
また、チラッと見ただけで、これが事実かは知らないのだが、シミが出始める年齢がかなり引き下がってきているとのことらしい。これは完全に、らしい、だけの話なので鵜呑みにしないで欲しいのだが、勿論化粧に手を出し始める年齢が早まっているから、そうなるのも突然である。私も化粧が好きなのだが、好きになったのは大学生くらいの頃。だが、そんな私の使っているアイシャドウだの、アイライナーだのが子ども達は気になって仕方ないようで、私と同じくらいの熱量でメイクについて語れる子も少なくない。所謂地雷系に少し近いメイクをしている教員は、大人から見ればちょっとキショいかもしれないが、そんなメイクを、マジ可愛いと褒めてくれる子もいる。YouTuberの○○の動画で見たメイク方法を試してみた〜だの、○○のアイライナー可愛い〜だの、そういった会話は嫌いじゃないし、寧ろ私は子ども達とそういう会話に楽しさを覚えている。メイク関連で、普段関わらない子と話す機会もできて、悪いことでは無いが、あぁこんなに早い頃からルッキズムに囚われてしまっているのか、と悲しくもなる。容易に想像つくと思うが、「整形」という言葉を発する子もいる時代。ここを削りたいとか、脂肪吸引とか、色々聞くともう不安で仕方ない。今の自分を好きになりきれない子があまりにも多いし、努力でカバーするということを早い段階で諦めてしまっている印象も受ける。それと同時に、夢を見る暇もなく、現実を受け入れるのが早いな、と思わされるばかりである。
私の住む地域に関しては、特に学校に対する親のヘルプが少なく、勉強をしないことを何とも思わない親が多い。スマホに夢中になって、目の前の子どもを見ない親が多いのだ。子ども達が自分を認められないのは、親の愛情不足と、地域の関わりの減りが問題と考える。私が子どもの頃がギリギリ最後だったのだろうが、近所の人が、可愛いね、いい子だねと言っていてくれた時代は終わってしまった。だから、結果ばかり求められて、子ども達は可哀想なのだ。自分が達成できなかったことを子どもに押し付け、それができていないと褒めない。親である自分はスマホに夢中で、自分の子どもは、昔よりもずっと多い情報の中に投げ込まれたまま。知る必要もないことを見すぎて、疲れ切っている我が子を見もしないのは、あまりにも薄情だろう。そんな親ばっかりでは無いということも勿論知っているし、大人と言えど誰だって特性を抱える。大人にばかり期待を積み上げて、貶すつもりも無いが、昔とは世界が違うこと、子ども達が危険に晒されやすく、自信を持ちにくいことを知って欲しい。
見た目が全てでは無い。自信を失う必要もない。多様性の時代だからこそ、他者を認めもせず、否定もしない、自他分離ができている人も多いのではないだろうか。上を目指すのは悪いことでは無いが、上ばかりを見ていてもキリがないし、下ばかり見ていても自分は成長しない。正しい視力で、偏見なく、しっかりと自分だけを見つめて、自分の信じる方向へと進んで行って欲しいと思う。他人の意見にどうか惑わされすぎず、抱える必要のない悩みと苦しみを手放せる子ども達が、1人でも多くなって欲しいと思う。
あなたはブスじゃない。見た目だって個性だ。私も学生の頃は見た目で散々バカにされ、苦しんできた。家庭環境は保守的で、前述の通り私が化粧を始めたのは大学生になって1年以上後の話。持病もあり、痩せるのも非常に困難な体で、ずっと自分はデブスのままだと思っていた。でも、環境変化や、思考方法を変えたこと、何より仕事や人間関係のストレス量が激減したことで、案外あっさり痩せた。落とした体重は冗談抜きに35kg。やっと人並みの体型を手に入れた。でも、そこで気付かされたのは、私の見た目関係なしにずっと関係を続けてくれた大切な友達の存在だった。見た目が変わってから、態度を変えてきた嫌な人間も判別できるようになったが、やはり内面を見てくれる人達を大切にすべきだろう。自分の姿にどうか惑わされず、大人の声に惑わされず、ネットの情報に惑わされないで欲しい。どの言葉が、本当に自分のことを考えた結果放たれているのか、よく考えて欲しいと思う。
等身大の、今の自分を大切にしてくれる人を、どうかあなたも大切にして欲しい。そして、困った時、悩んだ時は、誰かに相談することも忘れないで欲しい。


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