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子供のころに聞いた忘れられない大人の一言

子供のころは大人が言うことが絶対だった。大人の発する言葉はすべて正しいことだと思っていた。(子供はみんなそうかもしれないが。)

印象に残っている大人の発言について書きたい。

一つ目は、小学生のころ理科の先生が言った「俺はコンプレックスの塊だから」という言葉だ。

その人は30代前半くらいで他の先生に比べて若かったし、顔も良かった。授業も面白くて人気のある先生だった。子供目線でみたら、どこをそんなにコンプレックスに感じるんだろうと不思議だった。割とネガティブな発言をする人だったので、ちょっと悲壮感が漂っている感じはしていた。そんな先生が言った一言だった。

小学生だった私は、「コンプレックス」という言葉と「塊」という言葉のコンビネーションは初めて聞いて、そんな表現があるんだなと知った。私自身、もちろんコンプレックスはあったけれど、「塊」というほどの量は抱えていないと思った。でも新しく覚えた言葉はどんどん使いたいから、友達と会話しているときに無理やり「私コンプレックスの塊だからさぁ」をねじ込むようになった。不思議なもので、そうやって発言しているとだんだんと、本当に自分はコンプレックスが塊のようにある人間なんだという風に思い始めてしまった。もしあの時先生がその言葉を発せず、私もその表現を知らなければ、今よりも多少は自信のある人間になっていたかもしれない。

良い影響の言葉ではないけれど、その当時は、大人、とくに先生がそこまでネガティブなことを言うのを初めて聞いたという点でも印象的で、大人も弱音を吐くことがあるのだなぁと思った。その飾らず大人ぶらない感じが先生の人気の一つの理由だったかもしれない。


もう一つ印象に残っているのが、保育園にいたときの先生の発言だ。

ある日、友達の持ち物が盗まれるという出来事があった。そのとき先生はみんなの前で「盗まれる方が悪いのだから、自分のモノはしっかり自分で管理しなさい」と言った。素直な子供のころの私は「そうかぁ。被害を受ける方がわるいのかぁ。」とまっすぐ受け止め、自分の持ち物はきちんと管理するようになった。

今考えると先生はいわゆる自己責任論者だったようだが、じつは成長した今の私もわりと自己責任論を唱えてしまうことが多い。それはこの先生がいった一言がかなり影響していると思う。自己責任論というのは客観的にみてとても冷たい考え方だと思うし、加害者が一番悪いというのは頭では分かっている。しかし幼少期に根付いてしまった価値観というものを覆すのは難しい。


どちらの発言も大人がさらっと言った何気ない一言で言った方も絶対に忘れている。が、こうして今でも自分の記憶に残り人格形成にまで一役買ってしまっているというところに言葉のパワーというものを感じる。


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