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うつで休職して、復職してからの記録

2021年4月に入社して、5月半ばに休職した。

職場に問題があったわけではなく、母親の奇行によるストレスと、自分で金を稼いで責任を取らなければいけないという、学生時代と異なる環境の変化に耐えきれず、休職した。

小学生のころから機能不全な家庭で過ごしてきたストレスの症状が出ており、中学で強迫性障害、高校で摂食障害、大学でうつ病になったが、就活~内定までは持ちこたえた。

でも、不安定・過干渉な親のもとで育ったため、私もまた不安定で、かつ生活や人間関係において消極的な性格に育った。加えて、元々ストレスが内側に向かう性格なのも相まって限界が来た。

5月に都内の部署に配属され、これから頑張ろうと職場に近い駅に引っ越した。その後すぐに欠勤が多いと人事に呼ばれ、うつ病だと話した。そこから2021年10月まで休職し、11月に半日勤務、12月からフルタイム出勤を始めた。

仕事内容は問題ないが、新人とはいえ一役員として仕事をするからには責任が伴うし、付き合いの飲み会、納会など、社会人につきまとう未知のイベントも一気に降りかかってくる。要領がよかったり気配りができたりする人はそれを苦に思わないだろうけど、私のような内気で人の顔色をうかがう人間にとってはストレスになる。それでも、とりあえず、逃げずに、こういうものなんだ、と学んだ。

愛想はないけれど気配りも仕事もできる先輩がいる。私は愛想笑いと聞き役はできるが気配りはできないしパソコンには疎い。

でも、以前ならずっと自分を責めていただろうけれど、今はアダルトチルドレン(私の母親はこの言葉は古いと言っていたが、アダルトチルドレンの項目を見るに私は大体当てはまると思っている)の考え方のクセや改善方法を、少しずつ取り入れるようにしている。そのおかげで、仕事でミスをした時にも、はじめは焦るけれど、まあ人それぞれ得意不得意があるからしょうがないよな、と思えるようになりつつある。

去年の年末は1日だけ実家に帰って母と過ごした。お互いの顔色を窺ってスーパーで買い物をし、母が用意してくれたカップのそばで年越しをし、あたたかい布団で寝たふりをし、翌朝手作りの料理をふるまってくれたかと思いきや、昼には出来合いの食品をたくさん並べられた。母も私も過去で時が止まっているうえ、久々に会ったから、母からしてみれば、私は摂食障害で食べないから母は料理の量を減らしたり、逆に大量にしたりしている。私も最後に母に会ったときで時が止まっているから、愛想笑いぐらいしかできず、買い物に行っても何を話せばいいかわからない。でもそれはしょうがないと今は思う。

今年は実家に帰らず、友達に誘われ日の出を見に行った。今後どうなるかわからないけれど、まあいいか、と思うクセをつけていこうというのが今年の抱負である。

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