捨てたもの 土地の私有権は考えもの
愛知県のリサイクルカンパニー
豊アルケミー株式会社 代表の桐山です。
地方で子育て・教育・地域に携わって生活している企業経営者です。
当社では朝礼時に持ち回りで3分間スピーチを行っています。
今週のテーマは
『捨てたもの』
です。
私の捨てたものは
「昨日までの記憶」
です。
いや、これは正しくないですね。
捨てたのではなく、失っただけです(笑)
私はリサイクルを生業としていますので、極力捨てないように努力しています。
と言いたいところですが、しばらく使っていないものは、思い切って捨てています。
服、本、漫画など興味関心に波があるものを捨てることが多いかなと思います。明確に決めているわけではありませんが、2,3年触っていないものは捨てるような傾向があります。
それは会社でも同じで、しばらく使っていないものがあれば、捨てる対象になります。いわゆる整理整頓というやつです。
ものにあふれた時代です。
もったいない、という言葉がありますが、これに囚われると、身動きがとりにくくなります。
何かを持つということは、豊かさでもありますが、縛りにもなります。
その典型が不動産です。
土地建物を所有すると、そこにこだわる意識が多かれ少なかれ生じてしまうものだと思います。
私には実家というものがありますが、私が育った場所ではありますが、そこに対する執着はありません。
しかし親は相当な執着があります。
別に先祖代々のものでもなく、私の親が、当時、買うと決定しただけの場所です。
私は私の判断で別のところに居を構えています。
そこを保持し続ける合理的理由は何もありません。
この先、必要がなければ、手放すこともやぶさかではありません。
私がこの場所に執着すると、子供たちの自由度を奪いかねないと思っています。もし子供が自分の意志でこの土地に住みたいと思うのであれば、うれしく思いますが、どうしたいかは子供がそれぞれ考えることです。
少し話がずれますが、私は土地については、所有権があることはあまりいいことだとは思っていません。
日本は個人の所有権が強すぎると感じています。
どこまで行っても、「公共物」ということにしておいたほうがよいのではないかと考えています。
個人の土地所有権を認めるあまり、本来まっすぐに通せる道路を曲げなくてはいけない状況になったりします。
そのことにより、そこを通行する人たちが毎日不便さ感じ、また事故を誘発しやすい状況を生み出したりします。
個人の中で完結する、「捨てる、捨てない」はどんなものであってもよいのですが個人所有が認められているものであっても、公共への損失が大きなものについては、所有権を制限することも認める必要があると思います。
個人が捨てることによって、パブリックが得られるポジティブな現象は無数に存在しています。
みなさんの身の回りに、そんな事例はないでしょうか?
それでは!