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『礼』けじめをつける生き方

元広島県教育長の平川理恵さんのVoicyを聞いて、自分は雑に挨拶をしているなあ、と思いました。
東洋思想では「礼学」という学問があるぐらい重要なものだそうです。
学校では「起立・気を付け・礼」という掛け声がありますが、その意味するところは「これから始める、これから終わる」という「けじめ」をつけることです。さらに私とあなただけの関係でなく、「天」に向かって宣言なのだそうです。

私の解釈では「あなた」という存在は「天」の賜物であり、それゆえ、きちんとした対応をする必要があり、また「私」という存在も「天」から授かったものであるので、いい加減に扱ってはいけないのだと考えています。

さて、会社の朝礼を想い起こします。
第一声の「おはようございます」に気持ちがこもっていないのでは?と反省しております。
朝礼当番は輪番制となっていますが、私自身がいい加減では、当然社員もぞんざいな感じになってしまっています。
・何か資料に目を落としながら
・体の向きを変えながら
みたいな状態で「おはようございます」を言っていることに改めて気が付きました。

お客様にはコチラから挨拶しよう、などと会社の中で、挨拶は大切だとしばしば口にしています。
しかし、社内でできていないことが、客先でできるはずもありません。
自分ではちゃんとやっていたつもりでしたが、不安になります。

朝礼の意味は何なのか?
今一度、考えてみます。
・情報を伝達し、確認する
・健康状態を確認する
こうした機能面に重点を置いていました。
しかし
「仕事モードに切り替え、気合を入れる」
といったふうに気持ちを陽転させることも大切です。
しっかりとあいさつの声を発することで、体が活性化し、心を良い状態にします。
また、みんなでやることで「今日、いっしょにがんばるぞ!」と意思統一を図ることもできます。
ただ、これが形骸化するとまったく意味がありません。
時々、意味を再確認する必要はありそうです。

おはようの挨拶だけでなく、
「ありがとう」や「すみません」も同じく、ぞんざいに扱ってはいけません。
当たり前のことではあるのですが、意外と素直に言えないこともあります。
なぜでしょうね?
人間ですから、素直になれないときもあります。
相手の面前では特にそうです。
そういう時ほど「天」を意識してみるとよいのかもしれません。
天を通じてなら、感謝や謝罪の気持ちを伝えられるかもしれません。
言葉は
自分⇒天⇒相手⇒天⇒自分
に帰ってくると考えたら、頭を下げらそうです。
まあ難しく考えず、気持ちを込めて声に出すということでいいのではないでしょうか。

それでは、今日も一日良い日でありますように!

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