親の歴史を見返してみた 父から聞いた話と事実の相違
愛知県のリサイクルカンパニー
豊アルケミー株式会社 代表の桐山です。
地方で子育て・教育・地域に携わって生活している企業経営者です。
会社創業50周年を記念してパーティーを企画しています。
創業者であるアルバムを見返しながら、親の歩んできた道を振り返っています。
父が亡くなる半年ほど前に、家系図を作ってもらえるというサービスがあることを知り、作成を依頼したことがあります。
当時の私としては、なんとなく予兆を感じていたのだと思います。
この頃、父は会社に毎日出社はしていましたが、リクライニングチェアに座って、一日中、テレビを見ながら昼寝、という生活をしていました。
私は傍で仕事をしていながら、ふと、父が息をしているか気になって、ときどき確認していました。
家系図は父が亡くなってから出来上がってきました。
父に見せることはできませんでしたが、兄家族や私の子供たちに伝えることができました。
家系図はパソコンで作図されていて、メールと紙に印刷したものが届けられました。
私は出来上がったPDFの家系図を見て、満足していました。
しかし、今の今、ふと戸籍があるのでは?と思い、印刷された家系図の入った箱を開けて、初めて中身を改めてみると、戸籍原本が入っていました!
父からはずっと「満州生まれ」と聞かされておりましたが、満州も広いため満州のどのあたりか分かりませんが、調べようもありません。
そう思っていた時、戸籍原本が私の前に現れました。
父の欄をみると出生地が「中華民國山西省」となっており、実は満州国ではありませんでした!
では、なぜ父は満州生まれだと言っていたのか?
6人兄弟の第4子とした生まれた父だけが「中華民國山西省」生まれとなっており、2歳上の第3子は満州國遼陽、2歳下の第4子も満州國遼陽が出生地となっています。事情は分かりませんが、父が生まれる前後2年の間に一時的に「中華民國山西省」に移動していたようです。
父が物心ついたころは満州国にいたので、満州と思うのも無理ありません。
その後、日本に引き揚げてくることになりますが、どこに引き揚げてきたのか手元にある資料では記載がなく分かりませんでした。
父は長崎県佐世保市が故郷だと言っていました。
長崎商業高等学校の出身で、卒業アルバムにはその当時の住所が記載してあり、確かに佐世保市となっています。
戦後の混乱で満州から日本に戻ってからのことをたどることができません。
父の母方の戸籍を見ると、南満州とか出てきますし、こちらは残っている資料が少なく、さらによく分かりません。
私は一体どこからやってきたんでしょうか?
最近、ゴルゴ13を読み返しています。
主に自分が高校、大学時代に読んでいましたが、今、改めて読むと、歴史や世界情勢、経済などの情報がふんだんに取り入れられており、また深い洞察も感じられます。
特に戦前戦後の話題が多く、父の生きた時代と重なっていることを今になって実感しています。
それでは!