【人生における黄金期とは】
・スタンドバイミーの世界
中学生の頃に友人と3人でゴムボートとテントを担いで、電車とバスを乗り継いて大台ケ原(奈良、三重、和歌山の県境)にある池原ダムにブラックバスを釣りに行った。
キャンプ場でもなんでもない場所に、テントを張って、ダムの水を汲んで、その水で飯ごうを炊いた。
真夜中、野生の犬かイノシシがテントの周りをうろついている音が聞こえたが、3人ともビビりあがってテントから一歩も外に出れなかった。
友達同士、言いたいことをお互い言いまくり、時にはケンカもしながら、最高に友情を謳歌した1回目の黄金期だった。
・体育会ノリのテニスサークル
2回目の黄金期は、一浪した末に入学した大学のテニスサークルだった。
上下関係は厳しかったが、それを超えた縦のつながりや、同回同士の強固な横のつながりをこれまでの人生で初めて経験した。
誰かのワンルームマンションの下宿に、ほぼ毎晩5~6人で集まって、朝まで麻雀したり、時には宴会をして恋愛について語り合ったり、幹部学年の時はたまに真剣な話し合いもした。
本当に幸せだった。
お金はみんなあんまりなかったけど、有り余るほどの時間を共有できる友達がたくさんいた。
しかし、そんな黄金期も長くは続かず卒業して、みんなバラバラになって社会人になっていった。
夢のような毎日はすぐに幻になった。
・意識を探求する仲間たち
大学を卒業して約10年、自分は結婚していて一人目の息子が生まれた。
そこそこ安定した会社に勤めていて、特に不自由はなかったが、時々、学生の頃のことを思い出し、もうあの頃には戻れないと思うと少し寂しくなった。
その頃に仕事に生かそうとコーチングを学びだしたのがきっかけで、意識を探求するセミナーを受講した。
そのセミナーでは、途中から感じることを練習するのだが、自分には感じること自体がまったく分からなかった。
いつの間にか、社会人になって考えてばかりで、感じるとはどういうことか分からなくなっていた。
仕事で自分の感情を押し殺すことが多かったせいか、振り返れば学生の頃のように、バカ笑いすることも日常からなくなっていた。
感じる練習を始めて4日目、私はサポートしてくれている女性の前で不覚にも号泣した。
学生の頃、自分らしく、自分のことが大好きで、周りにいる友人が大好きで、一瞬一瞬を感じて幸せに生きていた自分を完全に置き去りにして、今を生きていたことにハッキリと気づいたからだった。
そのままの勢いで翌月にアメリカのフロリダである意識の探求の上級コースを受講した。
世界20か国以上から参加していて、日本からは50人くらいが参加していた。
最初は抵抗ある人たちも何人かいたが、いろんな人とペアになって意識のワークをしていくと、その人の本質が分かり、ひとりひとりの本質とがっちりと繋がることができるようになっていった。
夜はルームメイト3人で、夜中までいろんなことを語り合った。
あの学生時代の友達の下宿にみんなで泊まって、夜遅くまで語り合った記憶が蘇ってきた。
コース中は常に楽しくて、今ここにて、目の前の人との繋がりを感じていた。
これが3回目の黄金期。
・4回目の黄金期を仕掛けることにした
自分は幸運にも人生で3回も黄金期を経験することができた。
今度は自分発信で人生の黄金期を創り出そうと思っている。
早川といると誰もが正直で無防備でいることができて、自分らしくいられるそんな繋がりをたくさん創りたい。
そして、早川を触媒として、早川に繋がった人たちが今度は、早川を介さずにその人たち同士が直接、繋がって行く。
どんどん、どんどん、個と個がつながり、球面状階層樹状構造(たとえば5人のグループがあるとすると、ひとりひとりが他の4人全員と1対1でも繋がっている状態)になっていく。
本気で正直に自分の人生を生きていきたい人と、自分も本気で関わって生きていきたいと思う。
だいぶ自分のビジョンが明確になってきた。
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