ウィトゲンシュタインはこう語る
突然、現れた新人の事務員さんが、なぜかとても可愛い。やたら可愛い。ぜんぶ可愛い。
なんでも女性社会での洗礼を受け、転職先にと我が社を選んだらしいのだが、その判断力が的確なモノであるかどうかについては私は沈黙せざるを得ない。無責任に放たれた言葉の矢が、彼女を動かす要因であったコトは間違いない。
私は人の悪口が好きではない。いや、嫌いではない。しかしそれは気心知れた者を相手に限っての「あの人のああゆうとこ嫌だよね~」とか「その人のそこんとこ直して欲しいよね~」とか、そういった根拠や事実にもとづいた類の、たあいのないモノばかりである。ホントにこんなにやんわ~りとした口調かどうかは受け手側の想像力にゆだねるとする。
個人に対する不特定多数の誹謗中傷行為は今や社会問題まで発展し拡大の一途を辿っている。しかし、その放たれた言葉の矢のすべてが的を得ているかどうかは言わずもがなの悲惨な状況である。
例えば全員中学生と全員高校生のチームがサッカーの試合をするとなった時に、多くの者はどちらが勝利すると予想するだろうか。
その中学生は全員、全国大会の優勝チームのメンバーであり、高校生は全員、現役茶道部だと聞かされたあともその決断はくつがえるコトはないだろうか?
その全貌からかけ離れた脆弱な情報量にもとづき、放たれた言葉の刃もが、人の柔らかい部分をえぐり、その心を弱らせていく凶器となり得るのである。これは一例にすぎない。
大切な者を守るために沈黙を貫く者もいる。偏見のない者など会ったコトがない。むしろそこに向けられた他虐性こそが、向けるべきヘイトの対象ではなかろうか?
許容と慈愛に満ちあふれた、優しい世界への再構築の着工の時期は、もうすぐ訪れようとしているのかもしれない。
かの哲学者、ウィトゲンシュタインはこう語る。
「ええっ?彼氏いんのかよ!」
語り得ぬモノへの喧騒は
鳴り止むコトをまだ知らない
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