職場で揉めた話〜異世界よりの生還者〜
職場で揉めた。相手は同じ日から同じプロジェクトに参加していたトヨカワさん。同じ会社なのに初対面。噂や評判すら、きいたことがなかった僕にとっては謎の人物だ。
会社からは、どっちがリーダーでという話もなく、別の大きなプロジェクトのように会社の代表だけが会議室に集まって打ち合わせをするような規模でもなかったので、そのへんは、なあなあのまま進行していった。担当者のミヤタさんも臨機応変に対応してくれたので、そこはとてもありがたかった。
数日間、一緒に仕事をしてみて確信したことがあった。それは僕とトヨカワさんとは、なにもかもが噛み合わないということだ。僕の仕事に対する考え方には否定的だし、上から目線での発言がやたらと多い。
悪気があってそうなのではなく、本当に心から否定的であり、本当に心から僕のことを下に見ているのが、会話の内容からもひしひしと伝わってきた。見た目の印象で、その中身まで決めつけているのだろうか?真相は謎のままだ。
交わす言葉は次第に少なくなり、しばらくは、まったく別々の仕事を同じ担当者で進めていたのだが、彼の進めていた仕事のほうが、もともとの量の少なさもあって手すきになってしまったので、僕の進めている作業に合流してくれるという話になった。
プロジェクト参加から三週間後の正午、喫煙より戻ってきたトヨカワさんが、合流初日に早々と僕の仕事ぶりに対してのダメ出しを始めた。寝耳に水だった。こっちの仕事に関しては僕のほうが担当者とのやりとりも頻繁だったし、時間を費やした分だけ情報量も豊富だったからだ。
なぜダメなのか?とコチラが問うと、いっさいの事実に基づかない賛同しかねる意見を主張した。僕は打ち合わせをした時の担当者の発言や、その要望にそった立ち回りによっての現状であることを彼に説明した。
そしてトヨカワさんの言い分がなんの事実にも基づいていないことを指摘すると、彼は「違うよ」と言い放ち、なにが違うのかとコチラが問うと「なんでわかんないの?」と言い放った。
事実に基づいた根拠を示しながら論理を通そうとする僕に対して、己の主観、偏見、独断をトライデントのように振りかざし、異世界の摂理に基づき大空を自由自在に飛び回るかのように、のたまうトヨカワさん。
「担当者はゆっくり金曜日までに終わらせてくれればいいって君には言ったかもしれないけど、こっちの仕事のほうを先に火曜日までに終わらせたほうがいいに決まってるから。見れば分かるでしょ?会社にクレームが入っちゃうよ」
なるほど、事実としてそれが起こり得たとしよう。
「ちっくしょ〜!あいつら金曜日までに終わってれば大丈夫って言った仕事を木曜日に終わらせやがった!あいつらの会社にクレーム入れてやる〜!」
もしも、この世界に実在するのであればだが、そんなアホな担当者はこっちから願い下げだ。担当者と少しでも話したのか?ときくと「話したわけじゃないけど…………」と賛同しかねる意見を主張する。職場のどの関係者と話したのか?ときくと「誰かと話したわけじゃないけど…………」と賛同しかねる意見を主張する。
担当者とのやりとりや、関わっている時間の密度などにより、細部までの情報に精通している人間を差し置いて、あらゆる事情をいっさい知らない立場の人間が決めつけで物事を判断するのはいかがなものか?
不毛なやりとりは、ながらく続いた。「違うよ」と「なんでわかんないの?」の無限ループ編。こちらがどれだけ論理を組み立て説明しても、決して納得することがなく、なんの根拠も示せない主張をしているのは自分のほうだという結論にも決して行き着かない。
なにより謎だったのは、彼が望む現状からかけ離れているのが、担当者や職場の関係者のすべてを除く僕だけに起因していると思い込んでいることだった。ぜんぶ君のせいだよといわんばかりに。それはあまりにも物事を単純にとらえすぎてはいないだろうか?
誰とも共有していない個人的な思い込みですよね?とコチラが問うと「違うよ」と言い放ち、なにが違うのかとコチラが問うと「なんでわかんないの?」と言い放つ。
…………アンタなあ
なんべん同じこと言うんだよ!ちゃんと事実に基づいた根拠を示しながらしゃべれや!あんたの理屈がまかり通るんなら否定も肯定もなんでもアリじゃねえかよ!
「違うよ、なんでわかんないの?魔法使いは、いるに決まってるから!」
いるわけねーだろ、バーカバーカ!なにがどーなって、そんだけ自分に都合のいい解釈に変換されてんのか、いっぺん頭ん中、パカッて開けて見せてくれや!…………いや…………ごめんなさい、今の例えは言いすぎました。
ここで二人で話をしても、これ以上は埒が明かないので、ミヤタさんと話をしてください。僕がそう告げると、彼は担当者に電話をつなげた。後々、僕のほうからも担当者に確認してみたところ、想像通りのやりとりだった。
誰の意見とも一致しない彼の独自の理念に基づいた発言は、さらに続いた。たった今まで会話をしていた担当者が、それだけは止めて欲しい、上司からも念を押されている、という禁忌を侵した手段で、午後からは仕事を進めてくれと僕に指図をしたのだ「そっちのほうがいいに決まってるから」と。
……ち、違うよ
……な、な、なんでわかんないの?
……そ、そ、そ、そっちのほうがよくないに決まってるから。
結果が一緒なら仕事は自由なやり方で進めてくれて構わないと普段はそう言ってくれている比較的にゆるいタイプの担当者からの禁止令。会社へのクレームの懸念はどこへいった?
僕のことを否定した過ぎて頭ん中バグってきてんのか?僕のことを下に見た過ぎてバカでかいリスクを背負うことになるのにマヒってきてんのか?なぜ禁止なのかの説明の時に、確かアンタもそこにいたよなあ?今の電話で解禁されたのか?答えは否、当然だ。事実に基づいた、それらを理由に低調にお断りすると
「よし、わかった」
ようやく言葉が届いたようだ。
「もう帰っていいよ、君はクビだ」
寝耳に水だった。悪い夢なら覚めてくれ。
数分後の担当者。
「なんでそんなことになったんですか?……残念ですけど、またどこかでお願いします」
後日、僕を今の会社に誘ってくれた役員の男。
「トヨカワ?部長がどっかから引っ張ってきた人なのかなあ?俺が知らないってことは君のほうがこの会社では先輩だよ。君がそのプロジェクトからそいつを外せばよかったんだよ」
そして社長。
「向こうの人は、みんな君を気に入ってくれてたみたいだよ。もうすぐ始まる別のプロジェクトがあるらしいから誘われるんじゃない?」
さらに人事担当。
「相性よくなかったみたいだね」
相性って言葉で語れる次元の話なのか?なんの根拠も示せない主観的な独断と偏見に基づいた主張のすえに、その反論の余地を対立者ごと排除しようとする行為。なによりそんな権限はアンタにねえだろ。
「君は不真面目で態度も悪いし、仕事も遅いからクビだ!」
職場でアンタ以外の誰ともトラブルを起こさずに良好な関係を築けているのに、自分の主観にしか基づかない、面と向かっての不真面目で態度も悪いって発言、それはただの個人的な悪口だぜ。
仕事が遅い?朝っぱらから、優先順位が違うって呼び出されて、まったく同じ作業内容だったよなあ?僕は半日でアンタの3倍以上のスピードで仕事を進めたぜ。たった半日で。厳密には7対2の割合だ。たった半日で。僕はもう中1なのにアンタはまだ小2だぜ。たった半日で。
不真面目な人間が、どうやってそのスキルを身につけたんだ?落ち着きがなく、視野も狭すぎて目先のことしか見えていないから進捗状況すら把握できていない。
だからこその理屈なんだろ?もしも僕と同じように、そのことを把握していたうえでのセリフなんだったら、アンタの住む世界線はここじゃない。安っぽいSF小説かカオスな夢の中かのいずれかだろう。
僕が朝っぱらから呼び出された理由は、彼が己の主観に基づきAの資料に関する仕事を急いで終わらせたかったからだ。僕の7に対して4だけ進めてくれていれば、その仕事は正午までには完了していた。
しかし、彼は途中からAの資料を視界から追いやりBの資料に関する仕事に手をつけ始めた。彼が進めた7対2の、2のうちの1がそれだ。彼はその思い違いのままに仕事を進めていた自覚すらなかった。
食料よりもまずは水のほうが優先だと自分で言っておきながら、川に背を向け、たまたま視界に飛び込んできたウサギを追いかけているようなもんだ。喉の渇きにあえぎながら。
僕が担当者に催促していなかったら、Aの資料だって今でもまだ僕たちの手もとには届いていない資料だ。僕の催促という判断なしでは、まだ手もとにすらなかったはずの資料を使って、どれだけ仕事を進めていれば僕は彼から仕事が早いという評価をもらえたのだろうか?
担当者は僕たちに、まだ渡す予定ではなかった資料を使って、それに関する仕事を早く終わらせて欲しいと望んでいたのだろうか?そうだとしたら、僕の知らないうちに、この世界の時間軸に大きな歪みが生じてきているのかもしれない。
せめて前提からの誤解を払拭できる最低限の情報だけでもいいから取り入れて、無駄の少ない立ち回りをして欲しかった、僕みたいに。でないと取り越し苦労ばかりを募らせて無駄の多い動きになってしまうから、アンタみたいに。
僕はあらゆる言動の矛盾を彼に指摘すると、またもや苦虫を噛み潰したような渋い顔をしながら
「違うよ、なんでわかんないの?」
…………アンタなあ
なんべん同じこと言うんだよ!なんべん同じこと言うんだよ!なんべん同じこと言うんだよ!
ここまで分からず屋な人間が実在するんだね。やれやれだが、きっと相手もまったく同じことを、そう思っている。
「違うよ」
なんでこんなに理解してもらえないんだろう?うんざりだが、きっと相手もまったく同じことを、そう思っている。
「なんでわかんないの?」
こっちのほうが正当なのは目に見えている。すげえアホらしいけど、きっと相手もまったく同じことを、そう思っている。
「そうに決まってるから」
僕のことを思い込みで不真面目で自分より能力が低いって決めつけて、そこは絶対にくつがえそうとしないから、言っていることに事実との差異が生じて、まったく噛み合わないのだろうと僕は分析する。
僕のことをおとしいれようとかじゃなくて、彼は本気でそう思っている。僕は僕で彼を物事の本質を見極めようともしない、薄っぺらい、理屈の通用しない人間だと本気でそう思っている。
僕を窮地に追いやるような反論をアンタはたったひとつでも出せたか?事実だの根拠だの、僕にアンタは、なんべん同じことを言わせたんだよ。アンタは中2ではなく小2なんだ。背負えるものは限られている。事実すら認めようとしない態度はいったいなんなんだ?自分の感性をもっと疑ったほうがいい。大人の会話に参加するのはそれからにしてくれ。……年上だけど。
僕はまた口を開こうとしたが、すぐにやめた。これからどれほど理にかなった言葉を並べようと、相手に届かないと悟ったからだ。そして、もうこれ以上、話したくもねえし、話しても無駄だから、アンタの言葉を受け入れて、生真面目に素直な態度を見せてあげるよ。こんな事例は初めてだ。もっと建設的な話ができる相手だったら、どう転んでもこんな結末にはならなかったはずだ。
さっきまで繰り広げられていた戦いがまるで嘘のように、すべてが穏やかに感じられた。そして気づけば、いつもとは違う、青すぎる空と、まだ眩しい太陽のもと、僕はよく知る世界へと生還していた。
一度だけ、電車の中で異世界の住人より着信があったが「なんで本当に帰っちゃうの?不真面目にも程があるでしょ?」などと、ほざかれたら僕はもう…………笑うしかないので拒否しておいた、永遠に。そのセリフが事実であったなら、それ以上の話の落としどころは、この世界では見つからない。そういった意味では、ちゃんと電話には出るべきだったのかもしれない。
かくして彼の信じる正義がくだした審判により、僕の役目はついえてしまった。幻想と対峙しながら、なんかわめいていたヤツがひとりいただけで「なにも起きていないだろう」と勘ぐるのは僕だけの下世話な邪推に他ならないだろう。たった二人でも、これなんだから国家間のトラブルなんて容易に解決できないのは当たり前のことなのかもしれない。だけど当方、争いなんて好まぬ主義だ。
あとは僕のいない場所で、望み通り、心のままに、自由に、好きなだけ、勝手にしてくれてかまわない。誰にも侵されたくはない、そこがアンタにとっての安住の世界なら…………
それでいいよ
魔法使いアルチ