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〝Focus on yourself,No excuse.〟【#33 笹井幹太 選手】


こんにちは!新潟アルビレックスBBnote編集部です。ここでは、普段なかなか見えない選手の一面を、インタビューを通して皆様にお届けしたいと思います!

【2023‐24シーズン 選手インタビュー】
5人目はこの方。〝長岡が生んだ期待の星〟笹井幹太選手!アウェー越谷戦では初の先発出場を果たし、『笹井選手のプレーをもっと見たい!』と思わせるアグレッシブなプレーでチームを支えてくれました。いつも持ち前の明るさでチームを盛り上げてくれている傍ら、新潟アルビレックスBBスクールのコーチとしても活躍する笹井選手。そんな笹井選手がどんな想いで、どんな人生を歩んできたのか、お話を伺いました。
ぜひ、最後までご覧ください。


ー笹井選手がバスケットボールを始めたきっかけを教えて下さい。
僕が6歳の頃、5つ上のお兄ちゃんのバスケについていった時、めちゃくちゃバスケの上手い人がいて、その人を見て『かっこいい…!』と思い、僕もバスケを始めました。本格的に始めたのは小学1年生の時で、僕が1年生の時にお兄ちゃんが6年生でした。越路Jr.(ジュニア)というチームで、佳太君(今村佳太選手:琉球ゴールデンキングス所属)もいる強いチームでした。

バスケットボールを始めた頃の笹井選手
越路Jr.時代の笹井選手

ー中学校は、学区内の中学校へ入学されたんですか?
中学校は、宮内中学校へ入学しました。本当は大島中学校の学区なんですが、僕が中学に上がる頃はバスケ部の指導者が変わり、人数もすごく少なくなっていたので、当時長岡市でバスケ部が強かった宮内中学校を選びました。
宮内中学校では、僕が2年生の時に北信越大会に出場することができたんですが、僕が3年生のときは県大会で1回戦負けでした。ベスト4くらいまでは行きたい!!と思っていたんですが、新潟市のレベルがすごく高かったですね。小池(小池文哉選手)がいる鳥屋野中学校や、あとは本丸中学校、僕の代のときは石山中学校が強かったです。

ー高校はどのように選択されたんですか?
高校は、新潟県内のバスケが強い学校に進学したいと思っていました。お兄ちゃん(笹井舜汰選手:クレバー所属)が新商(新潟商業高等学校)で大矢君(大矢孝太朗選手)と一緒にバスケをしていて、お兄ちゃんが2年生の時、大矢君が3年生でした。
お兄ちゃんの試合をよく観に行っていたので、大矢君には当時(小学生の頃)からめちゃくちゃ優しくしてもらっていました。
オファーをもらっていたので新商へ行くことも考えていたんですが、当時、帝京(帝京長岡高等学校)が全国でもベスト8に入ったり、どんどん強くなっていたんです。帝京の監督(柴田勲先生)も僕に声を掛けてくれたり、家からも近いこともあって帝京を選びました。人数も多いので試合に出れないかもしれない…っていうのが不安でしたが、人生一度きりのチャンスだ!!と思って進学を決めました。

ー実際に入学されてみて、いかがでしたか?
僕が1年生の頃、3年生に善さん(遠藤善選手)がいました。善さんは当時から試合に出ていました。入ってみたら人もすごく多いですし、その中で活躍するっていうのは本当に難しかったですね。やっぱり、中学校と高校って身体つきとかも全然違うじゃないですか。まずそこに慣れるのがめっちゃ大変で、必死に練習に付いていくだけの毎日でした…。

ー辞めたいと思ったことはなかったんですか?
そりゃあ、ありますよ。まず、1年生の時の最初の遠征に行けなかったんです。1年生は上手い人が3人くらい選ばれて遠征に連れて行ってもらえるんですけど、僕は選ばれなかったんです。絶対選ばれると思っていたので『ああ、もう終わった…』と思ったし、すごくショックでした。

ー試合に出れるようになったのはいつ頃ですか?
2年生の冬くらいから試合に絡むようになってきたんですが、怪我が重なって、ベンチには入れても試合に出れない、ということがたくさんありました。
その年のウインターカップも3位になったんですが、試合には出ていません。3年生の夏のインターハイ予選では、小池がいる開志(開志国際高等学校)との試合があったんですが、その試合の前に捻挫をしてしまい、痛み止めの座薬を挿して試合に出ました。座薬を挿していてもめちゃくちゃ痛くて、走り方も変だったと思います。その試合では開志に負けてしまいました。

その試合の後、練習でアップをしていた時に足首に骨が引っかかるような違和感があって病院に行きました。病院の先生から『疲労で剥がれた骨の欠片が足の関節にはまっている』と言われて、夏の終わりくらいに骨を取る手術をしました。3ヶ月くらいで復帰できたんですが、ウインターカップ予選の新潟県予選には間に合いませんでした。
本戦では監督がベンチに入れてくれたんですが、全然パフォーマンスも上がらないし自分の思うように身体が動かないし、本当に辛かったです。結果的にベスト4に入ることができたんですが、活躍もできず、応援してくれた方たちに何も恩返しできなかったことが悔しくて、すごく後悔が残っています。

高校時代の笹井選手

ー新潟経営大学への進学を決めた理由や、きっかけはありますか?
佳太君が新潟経営大学の出身で、僕が進学する頃にはプロとして新潟で活躍していたので、進学について佳太君に相談しました。最初は関東の大学も考えていたんですが、関東の大学に進んでも試合に出れない選手ってたくさんいるし、そうなったら終わりだしリスクが高いじゃないですか。実際に佳太君が、地方の大学からでもプロになれるっていうのを証明してくれていたし、『(新潟経営大学は)自分に合ったペースでできるから成長できると思う』という話を聞いていたので、新潟経営大学へ進学することを決めました。

ー新潟経営大学での生活はいかがでしたか?
大学の僕の1個上にプロを目指している選手がいて、その人と毎日一緒に自主練をしていました。その当時僕はプロになることは考えていなかったんですが、大学でめちゃくちゃ上手くなって自分の価値を高めたい!と思っていたので、1個上にプロを目指すような意識の高い選手がいたことは本当に良い刺激になりました。山崎玲緒っていう選手で、今はさいたまブロンコスでプレーしています。

大学に入ってすぐの頃は、身体つきの違いに驚きました。みんな全然身体が違いましたね。僕は今体重86㎏あるんですが、高校の頃は71㎏くらいしかなかったので、とにかくトレーニングを頑張りました。経営大は栄養士の方もいて、毎日ご飯の写真を撮って管理して、ご飯の量もその都度計って食べていました。体重を増やすために、お腹がいっぱいでも1日5食くらい食べてトレーニングするというのを繰り返していました。

ーバスケ中心の生活だったんですね!
大学では暇があったらバスケして、空きコマがあったらバスケして、夜も11時くらいまで自主練して…ていう感じの生活でした。
もちろん大学生なので、飲みに行こう!とか、遊びに行こう!とか誘われることも多かったんですけど、いつも『何のためにこの大学に来たのか』っていうのを考えていて、親にお金も出してもらってるし、関東の人たちに負けたくない!見返したい!という想いで過ごしていました。

ーやる気が出ない時や、サボりたくなる日はありませんでしたか?
トレーニングしたくない日も、やる気が出ない日も当然あるし、やる気が出ないからっていう理由で帰っていく人もたくさんいました。でも、ここで帰ったら俺も一緒だよな…と思って、周りにどう思われてもいいから自分の決めたことは言い訳せず絶対に最後までやろう!って決めました。

バスケは習慣の積み重ねのスポーツだと思うので、今はあまり試合に出れる機会はないんですが、チャンスがいつ巡ってくるかわからないし、そのチャンスが来た時に一番良いパフォーマンスが出せるように毎日練習しています。

大学時代の笹井選手

ー大学時代で印象に残っている試合はありますか?
大学3年生の時の天皇杯で、帝京高校と試合をする機会がありました。高校を卒業してから初めて恩師の前でプレーする機会だったので、成長した姿を見せたい!と思いながらプレーしたのが思い出に残っています。
先生からも『高校の時にこういうプレーして欲しかった!』と言っていただけて、もっと頑張ろう!って思いましたね。あとは大学4年生の時の春の北信越のリーグ戦で、33点取れた試合が思い出に残っています!

ーいつ頃からプロになることを意識し始めたんでしょうか?
僕はずっと、卒業後はお兄ちゃんと同じように実業団でバスケをしようと思っていました。でも、大学4年生の進路相談の時に『どうせこれからもバスケを続けるなら、プロを目指してみたらどうだ』と田巻先生(田巻信吾氏)から声を掛けていただいて、プロを目指すことに決めました。

その後、関東のチームと練習試合する機会がありました。これまで自分がやってきたことが関東のチームを相手にどれだけ通用するのか、すごく楽しみだったんですが、実際にやってみたら『全然やれる!!』と手応えを感じました。それまで毎日ひたすらバスケだけをやって過ごして来ましたが、そこで初めて、自分がやってきたことは間違っていなかった!と実感することができました。

大学時代の笹井選手

ー笹井選手のこれからの目標を教えて下さい。
誰もがここに立てるわけじゃないので、今こうしてコートに立ってプレーするチャンスを頂いているからには、応援してくれる方の為に今できることを全力でやっていきたいと思います。今は試合に出る機会も少ないですが、自分次第で可能性は無限大に拡がると思っています。

2024年2月10日 越谷アルファーズ戦

ーブースターの皆様へメッセージをお願いします。
苦しい状況の中、応援し続けて下さっているブースターの皆様には感謝しかありません。本当にありがとうございます。言い訳せず、今自分たちができることを最大限やっていきたいと思います。
これからも応援よろしくお願いします!

ー笹井選手、貴重なお話をありがとうございました。


【note編集部コメント】
いつも練習の後、最後までシューティングを続ける姿が印象的な笹井選手。『チャンスがいつ巡ってくるかわからないし、そのチャンスが来た時に一番良いパフォーマンスが出せるように…』という言葉を聞き、改めて2月の越谷戦でのプレーを思い出します。

〝Focus on yourself,No excuse.〟
まさに彼の人生を表す言葉に、ぐっと重みを感じることができました。知れば知るほど魅力が詰まった笹井選手。
これからも笹井選手の魅力でチームを盛り上げてください!!