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オンライン授業での気付き(6)オンライン授業は現代版「寺子屋」だった

私が運営する(一社)アルバ・エデュは、平時は学校にアクティブラーニングの授業に訪れる団体ですが、一斉休校に合わせて3月2日(月)から「オンラインおうち学校」を開講し、全国の子どもたちに向けて各界の第一人者の先生方にお願いしてZOOM上で授業をご提供してきました。

新鮮だったのは、その先生方の授業が科目の枠にはまらなかったこと、実学が教えられていたこと、学年も関係なかったこと。これは現代版の寺子屋なんだな、ということがわかったのです。


「科目」「学年」には収まらなかった!

今回、一連の授業を自分自身が受けて思ったのは「あー科目の境なんて無い!」「年齢なんて関係ない!」ということ。

当初、受講生を公募するにあたり、それぞれの講師の授業はどの科目にあたるのかと考えて分類しました。ところが、ほとんどが科目横断的な「総合的な学習の時間」いわゆる「総合」の授業としか言いようがないことがわかりました。というのも、様々な場で活躍されている方々を講師にお呼びしたわけですが、皆様の各分野を切り取って、そこから子どもたちに投げかける授業内容を「逆算」して科目に当てはめることが難しいのです。

実際の例をご紹介すると、「英語」の授業はグローバルな考え方とは何かを考えさせられる社会科の探究の時間となりましたし、「食育」の授業は家庭科、理科、社会が絡み、マーケティングの基礎まで勉強しました。「書写」の時間には英語のカリグラフィーの話から自分らしさの表現とは何か、という哲学的な話にまで広がりました。


そうやってみると、学校の「科目」や「学年」という存在が不思議に思えてきました。基礎的なスキルを積み上げるには適していたとしても、現実世界から見ると、かなり無理をして分けたものだ、ということが分かります。

かつて寺子屋で教えられていたもの

画像2寺子屋といえば、吉田松陰や伊藤博文らを育てた松下村塾や、緒方洪庵が福沢諭吉に教えた適塾などが有名ですが、実は全国いたるところでこの寺子屋は展開されていました。

武士たちが学んだ藩校では儒教が主流とはいえ、それぞれの身分も超えて教育内容はかなり柔軟なもので、算術である「そろばん」、地理に相当する「国尽(くにづくし)」、人生の教訓を教える「実語教」、そして仕事上のやりとりを教える「商売往来」など、子どもの成長に応じ、人生に即した実学が教えられていました。

9-11歳から通い始め、13~18歳まで多学年の子たちが入り混じって学んだと言いますし、年長者が若年者に対して問答をして鍛えたという話も、ちょうど今回のオンライン授業の受講者が多世代にわたったこととも似ていると感じます。

現代の「科目」はいつから始まったのか

明治以降の教育の近代化の中で、1872年の「小学校則」で「綴字」「単語」「読本」といった藩校・寺子屋時代には存在しなかった学科が構成されますが、それはSpelling, Vocaburary, Readingといった米国カリキュラムを直訳したスキル名でした。では現代の科目がいつ決まったかを見てみると、理科は1886年、国語は1900年、社会は1947年!と実にバラバラ。我々はどうしても算国理社の分類はあたかも万物の創成期からあるような錯覚に陥りがちですが、決してそんなに歴史が古いわけではないのですね。

科目、学年を超えた学びを

今回、一連の授業を私自身が受けてみて、実に世の中は授業科目なんかでは語り尽くせない、ということを知りました。むしろ科目に分けることで社会が複雑に連関しているという事実を見失うことも多いのではないかという気がしました。そもそも、多くの人が高校時代に文系理系の選択をし、大人になってお互いに言葉が通じない縦割り国家は大いに損をしていると思います。

子どもたちも、「これがニュースで聞く〇〇の話」であったり、講師が「実際に仕事の現場ではこんなことが起きていて」と写真入りで解説してくださる話には大いに食いついていましたね。社会とのつながりが分かる授業は、勉強をするモチベーションも変わってきそうな気がします。

科目の枠を超え、学年の枠、世代の枠も超えた学びがあって良い。オンライン授業を通じて、まだまだこの実験を続けていきたいと思っています。

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Aska
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