【感想】『serial experiments lain』Layer:05 /「全体性」について考える
時間と空間の連続性
アニメ『serial experiments lain』は、幻覚に悩まされる主人公の岩倉玲音が、ワイヤードというネットワークを通じて、物理世界と情報世界の垣根が崩れ始めていることに気がつくところから始まります。
そして、玲音がワイヤードにのめり込んでいくほど、人々の無意識がさらに様々な形で現実世界へと漏れ出していきます。
第5話となるLayer:05 Distortion では、玲音の姉である岩倉美香が無意識による侵入を受ける様がホラー的手法を用いて描かれています。そして、この辺りからストーリーの描写は時制が崩れ、空間の繋がりも入り組んだ構成となっていきます。
その上、作中でも現実世界とワイヤードの境界が曖昧になっているため、それぞれの出来事が現実に起こったことなのか、登場人物の見た夢などのイメージなのかを判別することが非常に難しくなっていきます。
タイムスリップや瞬間移動といったことが現実的に不可能であるように、我々の意識はシームレスな時間と空間の中にあります。しかし、私たちの見る夢がそうであるように、無意識の世界は必ずしも時間と空間によって定位できるわけではありません。
この物語内の描写は連続性の無い出来事であり、イメージの断片の様でもありますが、私たちはそれらを『lain』という作品として一つに繋がった物語として観ることになります。
人生における全体性
心と体が明確に区別できないように、私たちは自身を構成する要素に一定の「全体性」を持っています。
心についての「全体性」を考えてみると、意識(自我)と無意識を含めた全体の中心として「自己」が存在するといえるでしょう。
そして、この考え方は、一般に言うところの人生観にも当てはめることができます。
例えば、事故で我が子を失った人に、事故の原因や子どもの死因といった論理的な説明がされても、彼が納得することはないでしょう。
なぜなら、彼にとっての問題は「なぜ愛する我が子が死んだのか」という苦悩にあるから。彼が求めているのは、人生についての「全体的」な観点からの答えです。
当然ながら、作中で美香が体験したことは科学的な観点からは説明のしようがありません。ところが、恣意的に引き起こされた事態である以上、「全体的」な観点からの答えがもたらされるとも考えづらいでしょう。
全体性の喪失
先に挙げた例のように、人生における「全体性」とは、生と死を繋げて捉える「死生観」にあります。
仮に意識水準での時間と空間の連続性が損なわれた場合、私たちの「死生観」は失われ、人生の全体における自分の在処を見失ってしまうでしょう。
layer:05 Distortionで描かれているのは、そんなフィクションならではの「全体性の喪失」表現と言えます。
物語の初めに自殺した四方田千砂のように、肉体を失って意識だけの存在となったとき、生と死を繋ぐ物語から逸脱したその主体は「自己」として在り続けられるのでしょうか。
『lain』という物語には「全体性」について考えるためのヒントが散りばめられているように感じます。
【参考文献など】
参考文献
使用させていただいた画像
『lain』20周年記念サイト「welcome back to wired」より
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