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【小説】カレイドスコープ 第2話 恭平

 前回

 
 看板が無ければ廃屋と見間違えられる事が間違いないビルの3階に入居している事務所を出ながら恭平は、先ほど貰ったばかりの使い回されてくたびれた封筒を無造作に破って開けると、中には封筒に見合ったくらいに皺くちゃの一万円札が3枚ほど入っており、予想外の報酬額に気付いて一瞬足を止めた後、足取り軽く口笛を吹いてビルを後にした。

 二日間拘束の仕事ではあったが、実働時間はそれぞれ3時間程度であったので、時給に換算すると五千円と割がよく、夜勤の仕事の合間に出来たのも恭平にとっては好都合の案件だった。

 この仕事を斡旋してくれたのは今お世話になっている事務所の社長の知り合いからであるが、その人物は昔は堅気では無かったという社長の知り合いだけあって、経営している興信所という単語が社名に入っていながらも、その取り扱っている事業内容が特殊な人材派遣で成り立っており、あらゆる面で胡散臭さ以外の事は感じられなかったのも事実だ。

 仕事の内容も相当変わっており、葬儀での故人の縁者を演じ、通夜から葬式に至る一連の式典に参加するといったものであった。

 割が良いバイトだったので、何かしら一般人が避けたがる理由を孕んでいるだろう事は想像していたが、流石に誰かの振りをする演技経験がある訳では無いので、報酬の良さを天秤にかけて二の足を踏んでいたところ、どうやら神妙な面持ちで参加するだけで良いという条件だったので、若干不安要素は感じてはいるものの、恭平は引き受ける事にした。

 一連の式典に必要な喪服を間に合わせる為、用意された必要経費を使ってレンタルで一式揃え、聞いた住所にバスを乗り継ぎ赴くと、予想以上に瀟洒な構えの家で通夜が執り行われていたのが分かり、恭平は門の前で一瞬気後れしてしまっていた。

 予め聞いていた情報の限りでは、恭平は故人の学生時代の親友という設定で参加するという事ではあったので、無くなった人物は同世代である事は知ってはいたが、家の門構えを見る限りでは明らかに育ちの良い家庭に育った人物像を想像させるので、架空の関係性ではあったものの、故人と自分の共通点を探すのは難しいような気がしていた。

 記帳を済ませ家の中に案内されると、葬儀の準備をしている業者のような人や、家族の仕事上の付き合いがあるような人々は多く見受けられたが、不思議と故人と同世代の参列者は見られず、恭平は自分が故人の親友の代表という大役を演じなければならないような責任を感じ始め、安易にバイトを引き受けたことに対して徐々に後悔し始めた。

 大きく深呼吸して自分のキャラ設定を頭の中を考え始めた時、恭平の横に自分と同世代の男性が座ったので、内心ほっとしてその横顔を覗き込んでみた。

 恭平の視線に気付いた男はチラリと恭平の方に顔を向けると、何かに気付いたようにほんの少し口角を上げ、それから再び何事もなかったように前に向き直すと、一変して神妙な表情を作り始めた。

 男の行為に違和感を覚えたものの、その顔に見覚えがあるような気がしてもう一度そろりと横目で男の横顔を盗み見ると、髪形や髪の色は恭平が知っているのとは違うものの、確かに過去に面識がある男であることが分かった。

 故人の本当の友人の一人であると思ったこの隣の男は、恭平と同じくバイトとして雇われて派遣された男である事を確信した。

 今の事務所では様々な仕事に派遣されるのだが、一人で行う仕事もあれば何人かで協力して行う仕事もあり、その度に何人かの初対面と同僚に現場で出会うことになっている。

 そもそもお互い脛に傷を持つものの集団なので、仕事場で一緒に作業をする事があっても、和気藹々と雑談をしたり、自己紹介がてらに自分の武勇伝を語ったりという事はほとんどなく、ストイックなまでに仕事のみでしか繋がってない関係性に終始していた為、このように再会したとしても、会話が弾む事など皆無な環境だった。

 ただこれまでは同じメンバーと仕事をする事もほとんど無かったので、恭平がその男の正体を認識できたのも、その独特な佇まいのせいでもあった。

 訳ありで素性を隠して働きたい人々の集団の中では、他人を詮索するという行為はタブーに近い行為であった為、内面では様々な想いや疑念が渦巻いているのが透けて見えるのであるが、実際には波風を立てる事を良しとしない風潮が場を支配していた為、距離感を持って接する事が暗黙の了解であった。

 彼もそういった人種の一人のように最初は思えていたのだが、他の同僚が持っている諦観の奥に潜んだ今にも暴発しそうな不安定な雰囲気とは明らかに一線を画し、皮肉にもその世界から更に一歩抜きんでたような空気を纏っていたのが、恭平の記憶に強く刻まれていたのだ。

 年齢の割に老成した雰囲気を醸し出しているせいもあり、ちょっとした軽口で話しかけるのも憚れてしまい、それがまた彼を一層孤高に見せる事に拍車を掛けていた。

 ただ何度か仕事で恭平は彼と話す機会があったが、その会話のトーンでは単なる人間嫌いでは無いのが感じられ、なんとなくであるが好感を抱いたのも覚えていた。

 通夜の席で隣に座っているその男は、以前一緒に仕事をした時のような金髪ではなく、しっかりと髪を整えて黒く染めている姿になっており、それは意外と彼の雰囲気との違和感を感じさせなかった。

 結局その日に恭平と同年代の男性の弔問客は隣の男以外に現れず、指定されていた拘束時間も過ぎたので、遺族の方々に挨拶をしてその場を後にした。

 帰りのバス乗り場に向かうと、先に通夜を出ていた隣に座っていた男が、バス停の近くのベンチに座り煙草を吸っていたので、ちょっとした気まぐれで恭平は男に話しかけた。

 「お疲れ様。さっきの通夜で一緒になったって事は、ひょっとして藤野さんからバイトの話が流れてきた?」

 男は特に興味がなさそうに恭平の方を上目使いで眺め、煙草の煙をゆっくり口から吐き出してから、視線を元に戻してぼそぼそと返事を返した。

 「知ってる? 今回の葬儀になんで俺らが呼ばれたか?」

 質問に質問で返されたことに多少戸惑いながらも、一応会話をする意思をその言葉から感じ取れたので、恭平は思考を巡らせて気の利いた回答を考えてみたが、別にそこまで会話を盛り上げる気も無く、「生前の友達が少なかったじゃない?」と、ごくありきたりな返事をした。

 男は恭平の回答に対しては特に肯定も否定もする事も無く、面倒くさそうに煙草の吸殻を靴の裏で揉み消すと、淡々とした口調で独り言のように話し出した。

 「あの家見たら分かると思うけど、結構地元じゃ名士として名が知れている父親を持つ家庭なんだってさ。そんな訳で色々世間体やしがらみがあるらしく、今回俺たちみたいなのが真面目くさって茶番を演じる事で、なんとか体裁を整えてるって訳。」

 男の自嘲を含んだ話し方に恭平は嫌悪と共感を同時に感じ、最初は挨拶程度の会話をしてこの場を立ち去るつもりだったのだが、街灯に引き寄せられる虫のように、男の話の吸引力に引き込まれているのを自覚し始めていた。

 「死んだっていうそこの二男は、どちらかっていうと内向的な性格でね、昨年就職して一人暮らししていたところに、恋人らしき存在も出来た事が周囲に雰囲気で伝わったんだって。一見全てが順風満帆に事が進んでいるに周囲には見えてたらしいよ。」

 恭平は話の続きを促すため、わざとらしい相槌を打たずに「それで」と一言だけ発し、話の続きが紡がれるのを待った。

 「突然死で息を引き取ったその日も、恋人が部屋に泊まっていたらしいけど、どうやら意識が無い状態で病院に搬送された時、呼ばれた家族が病院で初めて息子の恋人と対面したら、なんとそいつが男だったってオチ。」

 話し方とは裏腹に、男の表情は特にこれらの出来事を茶化した感じでも無かったため、恭平はどのようなリアクションを取れば良いのか一瞬迷ったが、変な間が空くのも嫌だったので「そうだったんだ」を当たり障りのない返事を返すにとどまった。

 「だから本当に葬儀に参列したい故人の恋人や友人たちは、実家の人たちの意向で参列させてもらえず、その代わりに俺達が堂々と友人のふりしてお金をもらえるって訳。」

 まるで恭平を共犯者扱いするような物言いに一瞬ムッとしたが、不思議と男の言葉からは他者に対する断罪や自己憐憫のような感情が伝わらなかったので、状況を冷静に飲み込みながらも皮肉な返答を返した。

 「別に言い訳するつもりは無いけど、あんたは俺と違って事情を予め知っていたにも関わらず、卑屈になることなく葬儀に堂々と参加したって訳だ。」

 恭平は自分が偉そうな事を言える立場では無いのを重々承知はしていたが、この男が挑発にどんな反応をするかに興味を持った。

 正直その場で恭平に敵意を露わにして突っかかってくるのならば、心の中でこの男を見下して溜飲を下げる事が出来たかもしれなかったが、予想に反して男が見せた態度は、無表情で煙草を吸いながら自嘲気味に「確かにね」と呟いた姿だったので、攻撃の矛先を軽々と躱された形となった。

 ちょうどそのタイミングで帰りのバスが到着したので、恭平は「それじゃまた」と曖昧な挨拶をしてバスに乗り込もうとしたところ、エンジン音に半分掻き消されながらも男の言葉が聞こえてきた。

 その言葉が「あいつ、昔に転校生だった俺に良くしてくれたんだよね」って言っていたのに気付いたのは、バスが発車し始めたタイミングだった。

 走り出すバスの窓からもう一度男の顔を覗いたが、そこにはやっぱり飄々として決して感傷的でない表情が見てとれたので、自分の気持ちをどこに落ち着かせて良いのか分からずに、ただ居心地の悪さを感じていた。

 バスのシートに大きく体を沈めると、恭平はスーツのポケットからスマートフォンを出してフェイスブックのアプリに接続し、慣れた手つきで画面をスクロールさせていく。

 ただ画面に映っているタイムラインはしばらく更新されておらず、それだけを確認するとすぐにアプリを終了させた。

 家を出てからもう1年半以上が経過しているが、迷惑を掛けない為に今までに一度も連絡を入れていないので、その後家族がどうやって生活をしているのかはとても気掛かりであった。

 そして唯一の確認材料である妹のツグミのSNSが更新されなければ、今家族がどんな状態であるのかは全く分からない状況なのだ。

 とあるきっかけで暴力事件の首謀者として起訴されてから、父の経営する会社や進学を控えたツグミが肩身の狭い思いをせずに済む為に、しばらくは実家を離れて家族との連絡を絶ち、一人で生活を送ることを恭平は決めたのだが、その間に父の会社の経営が傾いて大きな借金を抱える事になったのを知ったのは、およそ3か月前くらいであった。

 それから少しでも実家の借金を返済する為に、違法すれすれの仕事の斡旋をしてもらい、お金を貯めている日々であるが、莫大な借金額の前ではまだまだ焼け石に水の状況であるのは否めないので、その状況に苛立って心の中に澱が溜まっていくのを感じながらも、なんとか現状を打破出来るように模索を繰り返していた。

 とりあえず明日に事務所で今回の報酬を貰った後、もっと稼げる仕事を紹介してもらえないか相談してみようと恭平は考えながら、スマートフォンの画面に映っているフェイススブックの画面を閉じ、自分も目を閉じてからバスの揺れに身を任せた。


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