【小説】カレイドスコープ 第4話 恭平
前回
年季の入ったワゴン車に乗せられて着いた場所は、恭平にとって今まで無縁で足を踏み入れたことのない、その地域随一の高級住宅街であった。
今回は清掃関係の仕事だと聞いていたので、作業系の仕事の際にいつも着ているつなぎを着てきたのだが、ところどころほつれや汚れが目立つそのいでたちは、明らかにその土地の醸し出す上品な雰囲気から浮いており、恭平は目に見えない圧迫感を感じさせるような雰囲気をそこかしこから感じさせられた。
このような歩合の良い仕事を得る為に、事務所の社長に呆れられるくらいに頼み込んで紹介してもらったのだが、いつもは眼を合わさずに事務的に面倒くさそうに話をする社長が珍しく目を覗き込み、まるで値踏みでもするかのような態度を見せた時は、流石に一瞬戸惑いを隠す事が出来なかった。
「お前はいわゆる裏の世界と関わって、今後その事に怯えながら暮らすかもしれない可能性についての覚悟は出来ているか?」
脅し文句のような言葉を投げかけられて、サッと背筋が冷たくなる感覚をその場で味わったが、二日前にネットニュースの地方版に載っていた記事が頭の中に瞬時に再生されると、再び恭平の中の覚悟がグッと固まるのを感じた。
実家が経営している製版所の昔からの取引先であった会社の雑誌が休刊となり、唯一の安定収入が絶たれてしまった今、製版所は大変な状況に陥っていたのだ。
恭平が暴力事件を起こしてしまった時も、風評被害を恐れた複数の取引先から契約解除をされたのを目の当たりにしていたので、自分が招いてしまったこの事態をなんとか収拾する為に、リスクを度外視しても大金を稼ぐ事を優先事項にして、実家へ金銭的に償いをすると決めたのだ。
「覚悟は、出来ています。」
恭平の口から出た言葉は、本人が自覚しているよりもしっかりした抑揚で放たれたものではあったが、それ以上に自分の決意を表明する言葉は口から出てこらず、まるでその一言に恐怖や諦めや執着のような物が凝縮されていて、それ以上の言葉を放てば、そこから全てが飛び出してきて四方八方に気持ちが拡散されてしまいそうな錯覚を覚えた。
ワゴン車から降りると、早速清掃用具を出すために恭平はバックハッチを開けて、バケツやデッキブラシを手際良く取り出し始めたが、それらをバケツリレーのように渡す相手が、以前仕事で偽の友人を装って葬式に参列した男であった。
社長の脅しで不安に苛まれていたせいもあったので、知った顔が現場に居るという事が少しだけ心強くし、そして少しだけ気まずく感じさせる要因にもなった。
今回請け負った仕事をする現場に行く為には、朝の7時に指定の場所に行ってワゴン車を待つ手はずになっていたのだが、待ち合わせ時間の少し前にその場所に着くと、作業着を着た男が既に待合場所に佇んでいたので、一応挨拶をしとこうと思って「おはようございます」と声を掛けたら、振り向いたのは予期せず知った顔であったのだ。
男は恭平の顔を見ると、少しだけ眉を動かしたかと思うと、ぼそぼそと「どうも」だけ言い、再び正面に向き直り煙草を吸い始め、それっきり二人の間には会話は無く、ワゴン車の中でも他人行儀のまま2時間ほどの時間を過ごすことになった。
以前葬式に参列した際に恭平と会話した時のその男の印象は、近寄り難い雰囲気ながらも言葉の端々に愛嬌が感じられたが、今回は前とは別人のように負のオーラを纏っているように見え、話しかけるのを憚れるような空気を醸し出していた。
ただ恭平自身も自分の事で精一杯だったのもあり、余計な詮索をしたりする余裕も無い状態だったので、顔見知りが一緒でも雑談でもする気持ちにもなれないし、或る意味都合が良い沈黙を作り出すことが出来ていた。
清掃用具もあらかたワゴン車より取り出し、恭平たちは両手いっぱいにそれらを抱えて高級マンションのエントランスを抜けると、そこには高い天井から柔らかい照明に照らされた広い空間があり、床の大理石が鏡のように自分の姿を映し出している具合は、今までの仕事現場の場末加減とは雲泥の差があったので、自分達が今からする仕事は思ったより危険では無いような気持になってきた。
ただマンションのエントランスで待機していた男の雰囲気は、見た目では分からない只ならぬ静かな威圧感を身に纏っていたので、堅気の人間では無い事は誰の目にも明らかであった。
最上階までエレベーターで上がると、ペントハウスになっている一角まで案内され、男は無言のまま鍵を開け、恭平たちを部屋の中へと導いた。
靴を脱いで部屋に上がり、廊下を進んでリビングへと付いた時、強烈な違和感が襲って一同全員の足がそこで止まった。
大画面のテレビはひび割れてラックから床に落ちており、カーテンは引き千切られ、ソファには血溜まりが固まったシミが出来ていた。
そして白い壁にところどころ小さな穴が開いており、それは素人目に見ても銃痕であることは明らかで、恭平は自分の覚悟がもろくも崩れ去りそうになりながらも、必死で気持ちを抑えてその場を取り繕った。
恭平たちの反応に左程興味が無いように、部屋の鍵を開けた男は部屋の片づけの作業手順を淡々と話し始め、まるですぐにでも自分の役目を終わらせたいような口調で説明を続けた。
「まずは処分する家具を伝えるから、それを外に出す作業を行ってくれ。 それからとりあえず部屋の中を徹底的に綺麗に掃除しろ。 特に血痕は徹底的に落とせよ。」
今回の仕事を取り仕切っている清掃業者の責任者は、自分の部下二人と恭平達二人にてきぱきと指示を与え、恭平は通夜で一緒に仕事をした男と組むことになったので、早速血がしみ込んでいるソファにカバーをかけ、二人でマンションの外まで運んで行った。
エレベーターに乗りこんで一階まで降りる間、緊張感の連続で感覚が麻痺し始めてきた事と、今回の仕事場で唯一の部外者同士という親近感にも似た気持ちも沸いてきて、恭平は男に対して独り言にも聞こえるような感じで話しかけた。
「もしこの仕事を手伝ったのが万が一にでも公になったら、何かの隠ぺい罪みたいな犯罪に加担した事になったりするのかな?」
案の定恭平の質問に対して男の反応はなかったが、想定内の対応だったので気にせずにいると、間が空いた後に予想外に返事が返ってきたので、逆にそっちの方に驚いた。
「たぶんだけど…、あの部屋では人は死んでない。」
極めて冷静な口調で言われたので、恭平はその話を丸ごと信じそうになったが、話の根拠が全く分からなかったので、男から発せられる次の言葉を待った。
「もし死人が出ていたら、俺らみたいな素性の分からない部外者は絶対呼ばないはずだ。 誰かが撃たれて怪我をしたのかもしれないけど、その処理を普通の業者に頼むのが憚られるから、訳ありで世間と距離を取っている俺らに話が回ってきたんだろ。」
男の分析に説得力を感じた恭平は、この状況があまり良くない事には変わりは無いが、五里霧中に右往左往と彷徨っているような状況からは脱出出来たような気持になり、この男に対して再び少し好感を抱いたのをきっかけに、今更ながら初めての自己紹介を男に対して行った。
「俺は岡野。 岡野恭平が本名だ。 別にあんたの名前を教えてほしい訳じゃないけど、何か用があったら岡野って呼んでくれ。」
男は珍しいものでも見るような目で恭平を覗き込み、エレベーターが一階について自動ドアが開いた瞬間、「俺は芳川泰人」とだけ言い、興味が無さそうに再び無言でソファを運ぶ為に力を入れて持ち上げた。
作業は恭平達が力仕事や清掃を担当し、他のスタッフが銃痕を隠すための壁紙の張り替え等を行っていたが、黙々と作業が進む中、この部屋へと恭平達を案内した見た目が堅気じゃない男は、苛立ちを隠すことなく誰かと大声でスマホ越しに話しており、その怒声は隣の部屋にも聞こえてくるほどの大きな声へと変わっていった。
「お前が用意するって言ってた二人分の報酬はとっくに先方から貰ってるんだよ! だから今更二人に逃げられて用意出来ませんでしたって言えない状況くらい分かってるよな? ガキの使いじゃないし下手な言い訳が通用するとは思うなよ。 この状況がかなりマズイことになっているのはお前でも十分理解出来てるよな?」
恭平は男の怒鳴り声に動揺して、芳川の顔を伺いながら作業に取り組んでいたが、その表情はまるで何事にも興味が無いように平然としたものだったので、そのお蔭でなんとなく根拠のない安心感を得る事が出来ていた。
スマホでの会話が終わったのか作業の経過を見る為に恭平達のいる部屋に乱暴に男は入ってきて、一瞥だけすると「もう少し手早くやれ」とだけ吐き捨て、煙草を吸いにベランダへと出て行った。
作業終了の目途が立ったのもあり、14時過ぎに漸く休憩を取れることになったが、他のスタッフ達は予め自分達の弁当を用意してはいたものの、恭平と泰人の分までは用意されていなかったので、二人で外に食料を買いに行くことになった。
マンションの位置する立地柄、作業着で気楽に入れるような飲食店が近くにあるはずも無いので、最寄りのコンビニに寄って何か買う事にしたのだが、マンションに戻ってあの雰囲気の中昼食を取るのも憚れたので、恭平は近くの公園か空いているスペースで食べようと思い、泰人にもそう提案してみた。
泰人は恭平の提案に対し特に肯定も否定もせず、一緒に食べるように声を掛けられた事に関して意外そうな視線を寄越すだけだった。
ただコンビニに行く途中にスマホを取り出した泰人は、着信があったのを確認したのかすぐに折り返し電話を掛け、隣に恭平が歩いているのも気にせずに、通話の相手に対して何事かを真剣に聞いているようだった。
泰人が電話で何を話しているのかは具体的には分からなかったが、その会話の時々で使われる「状態」や「治療」という頻繁に出てくるワードのお蔭で、誰かが入院しているらしい事は安易に想像出来た。
コンビニで買い物を済ませてマンションの裏庭で二人して昼食を取ったが、恭平は体を使った仕事だったのでボリュームのある弁当を選んでいたのに対し、泰人は同じ分だけ体を動かしているにも拘らず、ブラックコーヒーと総菜パン一個のみという内容の食事しか取っていなかった。
すぐに食事を終えた泰人は、まるで少量の食事を補うかのように煙草を立て続けにふかし始め、お蔭でその顔色はお世辞にも血色が良いとは言い難いものであった。
これまでしてきたように、恭平はこの仕事を通じて誰かとお互いの素性を話し合おうとは気はさらさら無かったが、現在自分の身に降りかかっている様々なしがらみを少しでも振り払って気持ちを軽くしたかったのと、偶然ながら数回に渡って一緒に働くことになった泰人に対して、不思議と心の壁を自ら取り払い始めていた。
「この前の葬式の時だけど、事情も知らずに酷いこと言って悪かった。」
自然に出てきた第一声は、もやもやしていた気持ちを晴らす為の言葉だった。
だが恭平の言葉が泰人の耳に届いているのかどうかは一見して分からず、泰人は返事をせずに煙草を胸いっぱいに吸って煙を大きく口から吐き出した後、「あぁ」と力なく呟いただけだった。
その返事は決して会話をこれから続けようとするきっかけになる物では無かったが、それでも自分が拒絶されていないという小さなサインを言葉の端から感じる事が出来た恭平は、今までずっと一人で抱えていた想いを、神父に告解室で懺悔をするような気持で語り始めた。
「今回の仕事は結構やばそうでビビったけど、俺、どうしても今月末までに大金が必要なんだ。 まだ全然必要な額に足りないから、もう少し危ない橋渡らなきゃいけないんだけどな。」
泰人はどうでもいいような素振りを見せながらも、恭平の顔を値踏みするような視線で見つめ、「ふーん」とだけ言って新しい煙草に火を点けた。
休憩時間の終了に差し掛かったので、二人ともマンションに向かって歩き出したが、その途中で急に泰人が話し出したのが意外過ぎて、恭平も自分に向かって話しかけられているのを理解するのに一瞬の時間を要した。
「あんた、これ以上深入りしない方がいいよ。 大金が必要な理由もあるだろうけど、ここ以上の現場に行くと、貰う額に対して割に合わないリスクを抱え込んで、これから一生それに怯えながら生きなきゃいけなくなるから。」
飄々と話す泰人のその口調が、言葉の内容に説得力を盛り込んでおり、恭平の決意が再び萎縮していくのを自覚したが、この期に及んで自分の心配をしている現状を恥ずかしく思い、自棄気味に反論を試みた。
「わざわざアドバイスを貰って有難いけど、その言葉を鵜呑みにして逃げ出せば、たぶんそっちの方が後々まで後悔しそうだから。 俺は他の奴らとは違って、自分の為に稼いでいる訳じゃないんで。」
恭平の言葉に何か思うところがあったのか、泰人はいつもの無関心な表情を一瞬だけ苦々しく豹変させ、横目で恭平の顔を一瞥すると、また憮然とした顔つきに戻って何も返事をせずに歩き続けた。
午後からの作業は主に清掃に費やされており、力仕事は無い分細かい指示で部屋を綺麗にしていたが、何度もスマホで誰かと連絡をやり取りしていた部屋の見張りの男は、恭平達が掃除をしているリビングのソファに無造作に身を投げ出し、頭を抱えながら視線を宙に投げかけていた。
男の態度に明らかにイライラしている様子が見て取れるが、恭平はそれを気付かない振りをして作業を進めており、そのうちに男は作業している泰人の顔を眺め始めたので、何か嫌なことが起こる予感がしたが、意外にも男は表情を明るくして何か閃いたように口を開いた。
「お前、何年か前にこの町で、山下のところで働いてたよな?」
泰人の作業の手が止まり男の方を振り返るが、その視線は恭平が見たことのない冷たいものだったので、今から何か良く無い事が始まる予感がした。
「何のことか分かりませんが、誰かと勘違いしてるんじゃないですか?」
泰人は一言だけそう言うと、また黙々と作業に戻って、そのまま会話を強制的に終わらせたいようだった。
「おいおい、別に昔の事で難癖を付けようって訳じゃないから、そんなに警戒するなよ。 俺はただこういった不思議な縁に遭遇したから、割のいい仕事を紹介しようと思っただけだぜ。 ここの片付けなんかと比べ物にならないくらい報酬は貰えるしな。」
泰人は少し思案しているようだったが、作業の手を止めて振り返ると、スマホを出してから男に質問をした。
「いますぐには決めれませんが、興味はあるので連絡先を聞いてもいいですか? 仕事の内容によっては引き受けてもいいですよ。」
泰人の意外な返事に恭平は驚いたが、それよりも大金が貰える仕事に付いても興味が隠せず、聞き耳を立てながら作業を続けていた。
「おい、お前もこの話に興味無いか?」
背中から声を掛けられ振り向くと、男が恭平に向かって声を掛けているのを理解し、咄嗟の事だったので上手く返事が出来ずにまごついていると、「お前にも連絡先教えておくよ」とだけ言われ、恭平の意思とは関係なく物事が進んでいったが、心のどこかではチャンスだと感じていた。
ちらっと横目で見た泰人の視線は、より一層冷やかなものだったが、敢えてそれに気付かない振りをしてその場をやり過ごした。
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