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【小説】カレイドスコープ 第5話 泰人

 前回

 
  仕事中に知らない電話番号からの着信が2件ほど入っており、いつもであれば気にもせずに無視をするのであるが、留守電に何かメッセージが残されているようだったので、泰人は昼の休憩時間に内容を確認すべく再生ボタンを押した。

 スマホのスピーカーからは聞いた事のない年配であろう女性の声が聞こえ、出来るだけ早めに折り返しの連絡がほしい旨が録音されていた。

 泰人は急に自分が激しく動揺しているのを意識し、気持ちを抑えながらも着信のあった番号へと急いで掛け直した。

 2回ほどコールが続いた後に出た相手側は、周囲にせわしない状況を想像させる雑音の中から『○○大学病院の血液内科です』と返事をし、その病院名は今朝沙耶が診療にいったはずの町中の病院とは違っていたので、泰人は更に混乱した。

 「先ほどそちらより着信があった嘉村泰人という者だけど、どういった要件での電話か教えてもらえる?」

 泰人は電話越しに質問をしながらも、相手がどうってことのない要件で電話を掛けてきたことを期待し、どんどん大きくなっている自分の不安を抑えつけようと必死になっていた。

 「ちょっとお待ちくださいね。 あぁ、1時間ちょっと前にお電話を差し上げていますね。 現在村越沙耶さんの担当の者が席を外しているので詳細は後程ご連絡差し上げますが、村越さんの入院に関しての手続きが必要なので、それでお電話を差し上げたみたいです。」

 「入院」の一言が耳に入った途端、泰人は呼吸をする事も忘れ、体中の力が抜けていったせいか、その場から一歩も動くことが出来なかった。

 「ちょっと待て。 沙耶は今どんな状態なんだ? なんで入院しなきゃいけないんだ? そこはどんな病院なんだよ?」

 次々に溢れ出てくる不安を押しよける為に、泰人は言葉を選ばずに矢継ぎ早に電話で質問をしたが、その興奮気味に放たれた言葉に圧倒された電話先の相手は、要領を得ずに当たり障りのない返事をするだけだった。



 病室で見た沙耶の姿は、泰人の記憶に留まっている沙耶と寸分の違いも無く、屈託のない表情でいつもの笑顔を振りまいており、どこか体に悪いところがあるとは俄かには信じる事が出来ないほどであった。

 あまりまじまじと様子を観察すると、逆に心配させてしまうかもしれないと思い、泰人も平静に振舞おうとするのだが、それが口を継いで出てきそうな言葉を次々と封じてしまい、結果不愛想な雰囲気を醸し出している事になってしまっていた。

 「仕事の方は大丈夫?」

 沙耶は開口一番自分の事では無く泰人の事を尋ね、「あぁ、問題ない」とだけ返し、どのように話を切り出してよいかが分からず、再び口を噤んでしまった。

 先ほど病院に付いた時に沙耶の主治医に呼ばれ、沙耶の病状について説明を受けたのであるが、医者の淡々とした話し方も重なり、それが沙耶の体を蝕んでいる病巣の話ではなく、まるで故障した車の部品についても説明を受けている印象だったのであるが、あまりの突然の事なので聞いた内容に現実味を感じられず、様々な手続きを終えて病室に向かう間に、徐々に深刻さが真綿のように泰人の首を絞め始めていた。

 白血病なんかドラマの中でしか聞いた事のない病気だったので、具体的にどのような症状でどのような治療が行われるのか、医者から聞いて初めて理解したくらいだった。

 そして沙耶の病状について極めて深刻であることを聞かされた時、恐らく生まれて初めてこの世界に一人に取り残されるかもしれない孤独と恐怖について意識し、沙耶が自分自身よりもずっと大切な存在であることを改めて泰人は確信されられた。

 目の前にいる沙耶はもう自分の症状について医師より説明を受けているようであるが、取り乱したり落ち込んでいたりいるようには見えず、泰人の前では自分達の家で過ごしているような素の状態でいたので出来るだけ平静を装って会話をしていた。

 しかし平気な振りをしても泰人の胸の内にはどんどん石が詰まっていき、本当に吐き出したい言葉は心の奥に沈殿したまま行き場を失い、気が付いたら気まずい沈黙が二人の間を流れていた。

 沙耶は泰人の気持ちを察してか、少しだけ真剣な面持ちで話の核心に触れ、なだめるような口調で話し始めた。

 「そんなに深刻な顔しなくても大丈夫だよ。 私、正直言って病気になる事なんか怖くないから。 これまでに無事に生きてこられたことだけでも感謝だね。 それでもね…、泰人に心配掛けちゃう事になったのは、本当にごめんね。」

 沙耶の思いがけない謝罪が起爆剤となり、泰人の中で出口も無く蠢いていた様々な想いが一気に溢れ出し、悲しみや不安や怒りが入り混じった複雑な感情と共に、心からの叫びが漸く言葉となって表出した。

 「そんな風に言うんじゃねぇよ! なんでいつも謝ってばっかなんだよ。 これまでだって沙耶が悪かったことなんか一度だって無かったじゃないか。 だから自分を責めたりなんかするなよ。 俺はただ、お前がいないと本当に…」

 そこまで一気に言うと泰人はグッと唾を飲み込み、今まで言うのを躊躇していた一言を、弱々しい子供のような呟き方で繋げた。

 「生きてる価値なんて無い人間だって事を思い知らされるんだ。」

 自分があまりにも無防備な姿で醜態を晒している事を自覚していたが、次にどういった言葉を発してどのように振舞えばよいかも分からず、ただ沙耶の前で何もできずに立ち尽くしていたが、その右手をそっと沙耶に握られ静かに撫でられているまま、どうしようもないこの状態に身を任していた。

 ネット検索や本屋での立ち読みで白血病の知識を深める日々を泰人は過ごしていたが、現在行われている化学療法の体への負担の大きさを知り、更に完治に向けて骨髄移植が必要である可能性も分かって、一人でいると不安と絶望感に押し潰されそうになりながらも、治療に向けて必要なお金を稼ぐ為に、事務所の社長に高収入の仕事を斡旋してもらうようにお願いに行った。

 社長は泰人の嘗ての裏稼業についても或る程度周知しているのもあり、高リスクの仕事の斡旋についても念押しや脅し等はせず、ただ「いいのか? 以前のような生活に戻っても」とだけ伝え、ヤクザ関連の施設の清掃業を斡旋する約束をした。

 「俺もこの業界で生きていくのも長くなって、人を見る目だけは肥えてきたつもりなんだけどな。 だからどうしようもない人間とそうでない人間くらいは簡単に見分ける事が出来るようになったが、お前は正直どちらだかさっぱり分からん。」

 社長が独り言のようにそう言いながらパソコンに向かって打ち込みをしていたが、泰人はそれに対しては特に感想も言わず、「斡旋有難うございます」と淡々と答えただけだった。

 「それから今回はもう一人ウチから派遣しているから、そいつと一緒に作業する事になる。 そいつはこういった仕事は初めての経験でビビってるかもしれないから、上手くあしらいながら仕事を一緒に進めてくれ。」

 社長の言葉に「はい」と一言だけ返事をして、泰人は事務所を早々に後にした。


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