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ダンディズムは坐骨神経痛から教わった
「体調悪くなったから今年の春も日本には行けそうにないわ」
妙子はブエノスアイレスに住んでいる。昔アルゼンチンタンゴを一緒に始めた友人だ。
毎年4月福岡で桜タンゴフェスティバルという日本で最大のアルゼンチンタンゴのイベントが開かれ、世界中から大勢のダンサーが来る。彼女も福岡に来るのを楽しみにしていた。
アルゼンチンタンゴは男性が女性を音楽の中でリードしつつ、二人のコミュニケーションを楽しむ。すべて即興のペアダンスである。
二人のコミュニケーションが上手く取れた時はとても気持ちがいい。
「福岡に持って行きたかったけど、靴だけ送ろうかな」
妙子は、ブエノスアイレスでアルゼンチンタンゴ用のシューズを作っている。タンゴへの愛が、靴作りに向かったらしい。女性向けのピンヒールが中心であるが、頼んだら男性用のシューズも作ってくれた。
同じ頃、私も問題を抱えていた。3月の頭から左脚が突然痛み出したのだ。
そして整形外科を受診した。
「左脚の付け根ぐらいから、後面にかけて、下は足首まで、金床に脚がはさまれているような。激しい時は吐き気もするぐらいです」
「座るとどうですか」
「少し楽になります。それにまっすぐ寝ると痛いので、膝を抱えるようにして寝ています」
「まずMRIの予約を撮りましょう。木曜日ね。痛み止め出しておきます。大丈夫、坐骨神経痛で死んだ人はいないから」
そりゃあ、坐骨神経痛で死んだ人はいないだろう。
でも桜タンゴには間に合わないかもしれない。だから今すぐMRIを撮ってほしかった。
痛みを取るために手術でもなんでも受けるつもりだった。
今年は桜タンゴで少しでもまともな踊りができるようにレッスン沢山受けてきたのに。
3月は年度末で出張も多い。痛みのためにほとんどの会議はオンラインに変えた。しかし変更できない出張もあった。大阪から羽田への飛行機に乗るにも列に待つのが苦痛で、地上係員に、
「坐骨神経痛で長時間も立っていられないので、優先搭乗お願いできませんか」
と相談すると、
「もちろんです、車椅子ご準備いたしましょうか」
いきなり車椅子はプライドが傷つくので遠慮した。私の痛みは、立っているとツライけど、座ると少しずつ和らぐのが不幸中の幸いとだろう。
東京出張で宿泊がある時は、ミロンガ(アルゼンチンタンゴのダンスパーティー)に行くことがある。その夜も友人が主催する西麻布のバーで開かれるミロンガに誘われていた。ライブもあるから踊れなくても音楽を聴いていればいいと思いそのバーに向かった。
いつもの私だったらカベセオ(女性に視線を投げかけて踊りに誘うこと)をしまくって、ずっとフロアで踊っているはずの私が、今日は静かに座っていた。
「どうしちゃったの」とダンス仲間が心配してくれた。
「坐骨神経痛で、3曲は踊れません、1曲だけでよければ」
アルゼンチンタンゴのミロンガでは3、4曲続けて踊り、相手を変えるというルールがある。この3、4曲の集まりをタンダという。この時は1曲踊るのがやっとで一曲踊ったら座って休んだ。
少し戦ってはM78星雲に帰るウルトラマンみたいだった。
大阪に戻り再受診してMRIを撮った。
整形外科医は写真を見ながら
「腰椎と仙骨の間の椎間板のヘルニアが後根神経を直撃していますね。これは痛いでしょうねえ。痛み止めを出しておきますね。それと脊椎専門の先生の外来を予約しておきます。手術するかどうかはその先生と話し合ってください」
「今は痛み止めしか方法はないのですか」
「ヘルニアは放っておいても良くなる人もいますからねえ。後根神経には感覚神経しかない。つまり痛みがあっても運動する能力はやられていないから運動はできるはずですよ。座ってできる運動は続けてください」
アルゼンチンタンゴは座ってはできない。
桜タンゴフェスティバルまで残り2週間。週末は冬服の片付をして静かに過ごした。その効果かすこし痛みは和らいで5,6分ぐらいは立っていられるようになった。
あともう少し。1タンダ10分ぐらい立っていられたら。
結局痛みは残ったが桜タンゴフェスティバルに行くことにした。
夜のミロンガ。オルケスタはすばらしい演奏を聞かせてくれる。
美しく着飾った女性たちは、1曲目でパートナーを見つけてフロアに出ていく。
私はというと最初の1曲は我慢してオルケスタを聞いて楽しむことにした。
2曲目にやっと顔を上げて、まだフロアに出ていない女性を探す。
1曲目にパートナーを見つけられなかった女性たちがまだ残っていて、視線が合うとダンスフロアに向かった。
二曲だけ、心を込めて踊った。
また休憩をはさんで二曲だけ。その繰り返し。
続けて踊るよりも、集中してパートナーのことを良く考えられた。
妙子にチャットで桜タンゴフェスティバルの報告をした。
「痛かったから2曲だけ、しかもその後も休憩を繰り返していたよ」
「毎回出ずっぱりで踊るよりも、1タンダごとにパウザ(休憩)入れる方が粋ではございませんか」
「特に今回は3曲続けて踊るのは辛いから、最初はわざとカベセオせずに我慢していました」
「その余裕が決め手のダンディズムよ。例え脚が痛くても、相手はそのことがわかりません。坐骨神経痛が治ってもそのスタイル、維持してくださいね」
「今度こそ踊ろうね」