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【#3 食べたことない】タピオカフルーツ豆花について、ひいては『グ〜タンヌ〜ボ』について。

「やっと 女子トークみたいになってきた」と田中みな実がツッコむ。「ここまでは『女子トーク』じゃなかったの!?」とスマホを覗きながらツッコんだ。

 
 「グ〜タンヌ〜ボのトークみたいじゃない!?」というツッコミは「ユニクロのCMみたいじゃない!?」というツッコミ並みにその場にポジティブな空気を呼び込む。なので、大いに使わせていただいている。とりわけ飲み会の中盤以降で。
 
「いまのってグ〜タンヌ〜ボのトークみたいじゃない!?」とツッこむことによって、「和やかだけどディープなコミュニケーションができましたよね!?」という認識をカジュアルにその場で共有できる。

「いまのグ〜タンヌ〜ボのトークみたいじゃない!?」とツッこむことによって、どんなデフレ居酒屋でも「水槽に魚が泳ぐ南青山の店」になる。

 『グ〜タンヌ〜ボ』は『グ〜タンヌ〜ボ2』として再びリメイクされ、1月よりレギュラー放送されている。
「台本なしのガールズトーク。今夜も本音が止まらない。」というコンセプトの下つくられたドキュメントに極めて近いVTRにレギュラー陣がツッコみをいれる。

『セブンルール』や『相席食堂』など、ボケとして完成されたVTRに対しスタジオでツッコむことによって驚くポイントや笑うポイントをツッコミでわかりやすくしてみせる番組が人気を獲得しているなかで『グ〜タンヌ〜ボ』のリメイクは当然の流れなのだろう。
 
 では、『グ〜タンヌ〜ボ2』におけるボケとはなんなのだろうと考えた。ボケがあるからこそツッコミが成立するわけで。
 
 例えば『セブンルール』におけるボケとは「類稀なる努力」や「一見すると突飛にも思えるアイデアプロセス」である。これらが「常識」とズレているからボケになり、ツッコミも成立する。
 『相席食堂』におけるボケとは「奇天烈なキャスティング」や「段取りを無視したレポートコメント」である。これらが「常識」(=『ヒルナンデス!!』的なロケ)とズレているからボケになり、ツッコミも成立する。
 
では、『グ〜タンヌ〜ボ』におけるボケとは何かに戻ると、

 例えば、今週の#4の場合、以下の会話は本来ならば「ガールズ」っぽくないが故に『グ〜タンヌ〜ボ』の世界観においてはボケになり得るシーンだ。

まひる(ガンバレルーヤ)「ゲームするの?」

飯豊まりえ 「私もゲームします」

西野七瀬 「撃つ系?」

飯豊 「撃つやつ 銃」

西野 「撃つ系苦手」

飯豊 「何やってるの?」

西野 「平和な 世界を救う的な」

飯豊 「世界を救うゲームってあるの!? すごく良いゲームだね」

西野 「マジでめっちゃよくて」

まひる 「救ってるの?」

西野 「救った! この間」

テロップ 「救い立てほやほや」

西野 「半泣きになりながらエンディングを見て 感動する!泣く!」

 ただ、スタジオのMCはこのシーンに対してツッコミしきれておらず、会話は宙づりになっている印象さえ受けた。しかし、この宙づりになったボケこそが新しい「ガールズトーク」なのではないだろうか。

 このあとの土産を交換するパートにおいてガンバレルーヤのまひるは「タピオカフルール豆花」を紹介する。最も「自然さ」、「リアルさ」が要求されるプレゼントシーンでブームに思いっきり乗っかった一品を出してしまう。これは、以上のゲームトークと対照的に「グ〜タンっぽさ」の磁場に引っ張られたが故の不自然さだろう。(対して、「ドラマの現場でウケる」という理由でもなかを土産にした飯豊まりえの巧みさたるや。)

これ以外にも、長谷川京子がいかに過剰に江角マキコのポジションを引き受けているかや、滝沢カレンがいかにクレバーであるかなど言及したい点は山ほどあるのだけれど、今回はひとまず置いておく。

新しい『グ〜タンヌ〜ボ』は、「『ガールズ』とはなんぞや」と考えさせられるシーズンになるという点で必見である。

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アララ
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