本当なら『ブラック・ウィドウ』を観るはずだったあなたに『タイラー・レイク 命の奪還』を観て欲しい
5月1日金曜日。朝一番に『ブラック・ウィドウ』をTOHOシネマズ新宿に観に行く。観終わったらMCUが再び始まる高揚感と物語が繋がっていくワクワクが冷めないうちに、珈琲西武でクリームソーダを飲みながら友人と感想を話し合う。話が全く関係ないところまで脱線した頃、店を出て缶ビールを飲みながら高田馬場まで歩く。そして、ビール瓶一本400円の馴染みの居酒屋に行き、そのまま気の済むまで話し続けた……
これは2ヶ月前までの5月1日のプランだった。本当だったら昨日、僕は『ブラック・ウィドウ』を観る予定だったのである。
しかし、ご存知の通り『ブラック・ウィドウ』は公開延期になった。しょうがない。映画館が空いていないのだから。
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実を言うと最近の外出ができない生活に不満はない。(世の中の流れとか行政の対応は置いといて。)
家に居ても映画は観られるし、本も読める。いつでも音楽が聴ける。なんなら、今までより作品に集中できる気さえする。僕には、よく言われるような「自粛生活がつらい」とか「退屈だ」という感情がわからない。
ただ、映画館に行けなくなる日が来るなんて思っていなかった。「映画館に行く」という行為は、映画を観る前や後に喫茶店に入る時間や、観終わった後に酒を飲むといった余剰も含めた娯楽だ。しかしいまや映画館どころか、喫茶店も居酒屋も開いていない。僕たちは、余剰が生み出す楽しみを失ったのである。
そして何より、MCUの新たなフェーズの始まりを告げる『ブラック・ウィドウ』を観られないことへの喪失感に耐えられない。MCUは物語やキャラクターの関係性のなかで文脈や意味を読み解く総合エンターテインメントだ。9ヶ月待ち続けた楽しみが先延ばしになってしまうのは、やりきれない。
しかし、嘆いてばかりいられない。映画館に行かなくても、あるいはMCUではなくても新しい作品がこの世にはたくさん出ている。
例えば、Netflixムービー『タイラー・レイク -命の奪還-』がそうだ。この作品は、僕たちのMCロスを埋めるには十分な作品である。
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まず、参加している俳優・監督がいい。
主人公のタイラー・レイクを演じるのはクリス・ヘムワーズ。約10年に渡ってアベンジャーズの「雷神」、ソーを演じ続けている俳優だ。そして、彼を助ける謎の人物ニックを演じるのはデヴィット・ハーバー。『ストレンジャー・シングス』ではホッパー署長を演じ、『ブラック・ウィドウ』では「ロシアのキャプテンアメリカ」ことレッドガーディアンを演じることが決まっている。
なにより制作総指揮とプロデュースはMCUシリーズのメイン監督であるルッソ兄弟。『タイラー・レイク』の原作グラフィック・ノベル(欧米圏のマンガの総称)もジョー・ルッソが書いたものだ。これほどまで『ブラック・ウィドウ』が観られない喪失感を埋めるにふさわしい映画はない。
ストーリーはこうだ。
主人公のタイラーは表沙汰にできない案件を扱う傭兵。「最強の兵士」と呼ばれていながら、息子を亡くしたショックから酒と鎮痛剤の中毒に悩まされ、戦いに身を投じている男だ。彼はオーストラリアの小さい小屋に暮らしながら、時折水の中に飛び込んでは、亡き息子の幻影を見ていた。
そんなタイラーに舞い込んだのは、インドの麻薬王の息子、オヴィの救出作戦である。誘拐したのはバングラディッシュを裏で動かす麻薬王アミール・アシフ。作戦が成功しても失敗しても、麻薬王に追われることになるリスキーな案件である。
しかし、彼はこの依頼を受ける。リスキーであればあるほど、トラウマから逃れられるのである。そして彼はバングラディッシュに向かい、ダフィを救出するのだが、タイラーに依頼料を払いたくないインドの麻薬カルテルの構成員、ランディープからも攻撃を受ける。
周囲に敵しかいなくなったタイラーとオヴィが、生きるために戦い逃げ続ける。そんなクライム・アクションムービーだ。
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この作品の最大の魅力は、息を飲むアクションシーンの数々であろう。
タイラーとオヴィは、兵士やギャングからひたすらに狙われ続ける。しかも戦地は建物が密集したバングラディッシュの市街地。どこから敵が出てくるかわからないという状況を、タイラーやダフィの視点に近いアングルから長回しで撮影することで、画面に緊張感が生まれる。
そして、タイラーはどこからともなく現れ続ける敵を、スピーディに倒し続ける。彼が持つのはムジョルニアではなく、獣やマシンガン、手榴弾やレーキ(熊手)だ。物理的な爆発力に頼らず、クリス・ヘムワーズやスタントマンの身体能力によって生み出される派手さが魅力だ。
この大胆かつ計算されたロケーション、アングル、アクションが『タイラー・レイク』のエンターテイメント性を担保しているのである。
この作品の監督を務めたサム・ハーフレイブはスタントマン出身のクリエイター。『シビル・ウォー:キャプテン・アメリカ』のスタントの監修などを担当している。『シビル・ウォー』といえば、アイアンマンとバッキー、キャプテン・アメリカの肉弾戦が名シーンで知られているが、あれもサムの演出だ。
監督自らがスタントマンだからこそ、このような肉体的かつ派手な演出を生み出しているのである。ちなみに、『タイラー・レイク』のスタントシーンではサム本人がカメラを回している。
アクション・シーンの素晴らしさもさることながら、作品のなかのテーマ設定もこの映画に深みを与えている。
誘拐された少年オヴィは、麻薬王である父親を憎みながらも、自分の父親であることから逃れられない。利益のために人を殺していると知りながらも、家族としての愛情は捨てきれないのである。そしてタイラーは、その姿を自分の息子と投影する。彼は父親でありながら、人を殺す職業に就いていること、そして息子を亡くしてもなお戦いに身を投じる自分自身に嫌悪感を抱いている。
そしてそんなタイラーの姿を、少ないセリフと表情で演じるクリス・ヘムワーズの演技も圧巻だ。最愛の人や故郷を亡くしながら戦い続けるという点では、クリスが演じ続けていたソーにも通じる部分があるからこその演技であろう。
そんな「悪人と家族」というテーマは、この作品につきまとう。オヴィの父親の右腕であるランディープも、自身の家族のためにタイラーを狙う。タイラーの友人であるニックは、家族の命を守るために裏切りを働く。そして、バングラディッシュの麻薬王の部下たちは皆家族のように育ってきた孤児たちだ。生きるために戦い、命を奪い続けることの虚しさと切実さを、この作品は描く。
ルッソ兄弟はMCUシリーズで「正義が内包する暴力性」を主題にしてきた。逆にこの作品では「悪が内包する善良さ」を主題にしているのである。そうして観てみると、この作品の登場人物はMCUのヴィランとして登場してもおかしくない人物たちだ。
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2時間弱のアクション映画でありながら、様々な文脈を読み込める作品である『タイラー・レイク』は、クリス・ヘムワーズの俳優としての魅力とルッソ兄弟のクリエイター・プロデューサーとしての優秀さを再確認するにはうってつけの作品だ。
その後にMCUシリーズを観返せば、よりその魅力がわかるだろう。そして、全部観終わる頃にはゴールデンウィークが終わるはずだ。
【第55週目のテーマは『本当なら』でした】
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