千鳥と「選択」のお笑いを考える。
『アメトーーク!』の「帰ろか・・・千鳥」がはるか昔、『キングちゃん』ですら、ひと昔前に思える。いつか“ポスト千鳥”なんて紹介されていた、かまいたちの“ポスト”として、ニューヨークや見取り図が紹介される2021年。
さて、今の千鳥について、平成ノブシコブシ・徳井はこう話している。
なぜ千鳥が売れたのかって理由をスタッフさんに聴いて回った時期があったんですけど。千鳥さんって、『相席食堂』はもろにそうですけど、スタッフさんが作ってきたVTRにツッコんでくれるから、それが嬉しくて、自分がどんくらい面白いか判定できるから、千鳥さんと仕事してみたいってスタッフさんが多いって言ってました。
『相席食堂』
確かに『相席食堂』では、料理の接写映像が長すぎる、下にモザイクをかけ忘れている、大事なフリの部分をカットしてはいないかなど、VTRを編集したスタッフに二人が直接ツッコむ場面がたびたび訪れる。そして、その様子すらお笑いとして見せるラフさのようなものを、視聴者は千鳥のスタイルとして理解しているのではないだろうか。
視聴者も期待する、彼らの持ち味の一つが「判定」能力であることは明らかだ。
いきなり喩えが大きくなるが、松本人志が「面白いか、面白くないか」を判定する絶対的な存在であったように、揺らぐことのない尺度を持つ存在は、人から支持されるものだ。
では、千鳥も同様に「面白いか、面白くないか」を判定し続ける存在なのかと考えたとき、もう一つ、新しい側面があるように思う。
それが、「選択」だ。
『相席食堂』には、芸能人のロケを二人が「ちょっと待てぃ!」ボタンを叩きながら評価する趣旨があるが、その「判定」以外にも、ロケ中での言動が導かれるまで、レポーターの思考を千鳥がVTRと並走してツッコむ笑いも多く登場する。
OPで派手な登場をする、小道具を多用する、町の人に話しかけるなど、通常ならサラッと流し見するであろう出来事に、「相方がいないからバランスがとれなくなってる」「これまでの撮れ高がよくないことは自分で分かってんだな」などと千鳥がツッコむことで、焦りや恐れや自信といった感情がレポーターにどう作用しているのかを、選び取った選択肢(=実際の映像)の解説として、視聴者の想像を導き笑いを起こすのだ。
「選択」を用いたお笑いで一番なじみ深いのは「二択」という言葉だろう。
『アメトーーク!』『さんまのお笑い向上委員会』などで、ある瞬間に注目を集めた芸人が、周囲が期待する言動(2回繰り返したことの3回目など)と異なるアクションを起こして、場が盛り上がり損ねた際に「なんでその二択を外すんだよ!」などのツッコミ台詞として登場する。
しかしこれは、面白い展開にならなかったら比較的容易に使える、後出し判定の側面もあるから、同時進行でツッコんでいく千鳥の「選択」とは少々異なるはずだ。
バラエティ番組に出演する芸人・タレントが、面白いと思われたい、面白いものを披露したい、と考えていることを、視聴者は十分に分かっている。演者の精神が共通認識にあるからこそ、それが空回りしたり、上手くいかなかったりする要因に焦点を当てることが、エンタメになるのだ。だからこそ、思考の「選択」さえ言い当ててしまう経験と技術を持つ千鳥の番組には、面白いか否かの判定からもう一歩踏み込んだ面白さがある。
VTRを見る千鳥の視点は、きっと、僕たちが千鳥を見るときにワクワクする視線と似ている気がする。(このキャラクターはこの状況で、また「おぬし」と言うのだろうか、電話口でなんと繰り返すのだろうか、どんなアホなことをするのだろうか)
『相席食堂』以外にも、『千鳥のクセがすごいネタGP』『テレビ千鳥』と、彼らの代表番組は芸人の心理(=「選択」)に迫るものが多い。
『千織のクセがすごいネタGP』
『クセすご』はおそらく、キャラクターが強烈、展開が突飛、見る側に知識がいるなど、“わかりにくい”ネタに対して、予め「クセがすごい」と断りを入れることで、見る側に柔軟な視点を促すネタ番組だった。
しかし、結果的に一番大きい見どころは、ネタと千鳥のコメントの絶妙な化学反応だ。
一見分かりにくいネタに対して、芸人はどこを面白がってもらいたいのか、視聴者がより楽しむにはどこを意識したらいいのかを、一言で言い表し続けている。
これは、簡単な感想や紹介、容易に予想できる展開のガイドではない。むしろ、そういった情報は視聴者がネタを面白がれるポイントをつぶす行為と、徹底して避けている。
(千鳥の横に座るゲストには、こうしたコメントをする方が多い。以外にも、“売れっ子”であるほどその傾向が顕著だ、情報バラエティがどれほど視聴者にかみ砕いて説明することに執着しているのかがわかる。実際、これまでで最もネタに余計なコメントをし続けたのは小島瑠璃子である)
ネタで面白がれるポイントをかぎ分けるのも「選択」だ。面白く見るための視点を気づかないうちに誘導する上品さと、芸人への優しい姿勢を兼ね備えた千鳥だからこそ、放送されるネタの幅と、あの放送時間を両立できているのだと思う。
余談だが、ネタの細部に焦点を当てる点で、大悟が志村けんをリスペクトしていた有名な話がある。『志村ともだち』で印象的な大悟のコメントは、コントで志村けんがオナラをした際の「一番いい屁の音」だ。(そういえば千鳥の漫才も、意外に細部の設定をきちんと説明するものが多い)
『テレビ千鳥』
そして「テレビ千鳥」では、2人もプレイヤーとして様々な「選択」にまつわる選手権企画を行っている。
(最新の1時間SPは「一周だけバイキング!!」芸人がバイキング皿にどう料理を盛り付けているかをモニターしてキャッキャ笑うだけの、まさに「選択」企画だ)
屈指の名作回として「ネコか?ノブか?ゲーム」を挙げたい。
「二択」を用いたシンプルなゲームであり、芸人という人種の性を検証する、なんとも奥深い企画だった。
そもそもは、別企画回で大悟がなんとなく思い付いてノブにやらせたゲームだった。
ルール
炬燵のなかに潜ったノブが、ネコの鳴き声(にゃー)とノブらしい一言(クセがすごい!)を交互に発する。
その間に大悟はノブが炬燵から“ノブ”で出てくるか“ネコ”で出てくるかをフリップに予想し、ノブが炬燵から勢いよく出てきた姿がどちらになるかを当てる。
実にシンプル。実にバカバカしい。説明を受けたノブもそう指摘する。しかし、大悟は「でも、(お前)もうネコがやりたなっとるやろ?笑」の一言で、ノブを意識させ、裏切れる土壌を作ってしまう。大悟はネコと予想し、果たしてノブも、ネコで出てきてしまった。
そして、ここから生まれた仮説が「ネコか、素の自分か。芸人でこの選択肢を提示された場合、芸人ならどうしてもボケ(=ネコ)てしまうのではないか」というもの。
それを検証するだけの回が、後に放送されるのだが、趣旨を伝えずに挑戦させられた、麒麟・川島、ブラマヨ・小杉の両名は見事に説を立証したうえ、「少しでもウケそうなネコの方で出てしまった」とコメントしてしまう。
大悟の着眼点の鋭さが、シンプルな「二択」ゲームで表現される鮮やかさと、やっぱりネコで出てくる芸人たちが面白くてたまらなかった。
「面白い」ことはもちろん、「面白くさせるために芸人は何を考えているのか」までも視聴者に明かし、それらを融合して一本の企画にする。
千鳥のオリジナリティを象徴するような回だ。
* * *
千鳥が何よりも面白がっているのが「選択」である予感がずっとしている。漫才やロケで見る二人が面白がっているポイントが、"繰り返し"や"強弱の表現"に思えたからかもしれない。
「判定」の尺度をあてがうばかりではなく、「選択」の視点をふりかけていく彼らの冠番組は、2人が面白いと思っていることがきれいに引き出され、さまざまな相乗効果も生み始めていると思う。
「判定」が最大のカギとなる『有吉の壁』と同時期に『クセすご』が放送されている2021年、相も変わらず面白い。
もちろん、千鳥が「判断」も「選択」も司る最強芸人と言い切りたいわけではない。
上述した「ネコか?ノブか?ゲーム」検証回の最終挑戦者、ペナルティー・ワッキーは大悟の予想をことごとく覆すかのように、次々とオリジナルキャラで炬燵から登場したうえ、企画趣旨を説明されたときにこう呟くのだ。
「ネコで出ても面白くないじゃん」
"面白い"はたくさんある。
オケタニ
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