【#16 欠伸】フジロックの季節〜ずぶ濡れになって踊った「今夜はブギーバック」と寝起きに聴いた「夜を使い果たして」〜
一昨年の7月29日の土曜日は苗場にいた。朝から降り続いていた雨は、夕方になるとより強くなり、レインコートを着ているのにも関わらず全身がずぶ濡れになっていた。19時から1時間ほど雨に打たれ続けていると、夏なのにどうも寒く、眠くなってくる。大きな欠伸をした時に、ステージは暗くなり、音楽が鳴り出した。大勢の楽器隊と共に3人のラッパーと初老の男が歌い始めると2万人の観客は大きな歓声をあげた。「フジ!って言ったらロック!って言ってくれ」という、どうも文字にすると間抜けなコールアンドレスポンスは今でも耳から離れない。
去年の7月28日の土曜日も苗場にいた。その日は、かなり大きめの台風が来ていたせいか、あたりが暗くなってくると、風が吹きすさんで、
夜中の2時半を回った頃、キャンプ用の椅子に座っていた僕は友人に起こされた。寝ている時に起こされると大概機嫌が悪いものだから、確かとてつもなく愛想の悪い反応をした記憶がある。けれども、ステージ上の黒縁メガネの男が音楽を鳴らし始めると、欠伸をする間もなく立ち上がり、そのまま朝の5時まで踊り続けた。
ずぶ濡れになりながら踊った「今夜はブギーバック」と、寝起きに聴いた「夜を使い果たして」以上に、素晴らしい音楽はあまりない気がする。
フジロックの季節がやってきた。音楽好きにとっては、行ってなくてもソワソワしてしまう時期。そして、出不精の僕にとっては、一年で数少なく遠出をする時期だ。オザケンが出演した年に足を運んでから、フジロックに行くのは今年でもう3回目になる。
フジロックは僕にとって、音楽が鳴り続ける街だ。一つのステージで音楽が鳴り止んでも、またどこか遠くから音楽が聴こえてくる。そりゃそうだ、16個もステージがあるのだから。観たいアーティストのライブを観ることも大きな楽しみでもあるのだが、予期せずして観たライブの方が案外印象に残っていたりする。そんな予期せぬ出会いがたくさん生まれるのは、ずっと音楽が鳴り続けているフジロックだからこそのものだ。
飯を食べる場所も、飲み物を買う場所も、もちろんある。泊まろうと思えば、テントを立てることができる。それに加え、子供が遊ぶ公園のようなスペースもあれば、川遊びができる場所もある。なんなら、映画を流していたり落語をやっている場所もあるのだ。フジロックには、人々が生活できる最低限度の機能だけでなく、必要なものがだいたいある。つまり、フジロックの3日間には「街」が苗場スキー場にできるのだ。
ちょっと前に、自身もフェスを運営する立場にあるShitaro Kazuharaさんのこんなnoteを読んだ。
そこにはこんな一節があった。
ここにあるものは、人生を大いに豊かする。
ここにないものは、人生に大して必要じゃない。
世界最高峰のフェス「グラストンベリー・フェスティバル」で、グダグダに遊び疲れた最終日の朝に思ったことは、そんなことだった。
僕はグラストンベリーには行ったことはないけれども、フジロックに行くときの感情は驚くことに、ここに引用された一節と全く同じだ。なにが自分にとって一番必要なものなのか、なにがいらないのか、ということがフジロックに行くとクリアになるのだ(ちなみにこれをkazuharaさんは、フェスティバル・ウェルビーイングと呼んでいる)。
素晴らしい音楽を聴き続けること、新しいものに出会うこと、美味しいご飯があること、名前も知らない人たちが楽しそうにしていること。そして、予期してないような最高の瞬間があること。
それが揃ったのが、寝起きに聴いた「夜を使い果たして」だったのかもしれない。
今年はどんな最高の瞬間があるんだろう。
ここ1週間はタイムテーブルとにらめっこをしながら、日曜日の夜にザ・キュアーを観るか、ジェイムス・ブレイクを観るか、なんてことをずっと考えている。
でも来週実際に観てるのはクルアンビンだったりして。
(ボブ)
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