【#7 欲望】これ、俺が作ったことになんねぇかな
ちょっと前の「関ジャム」で、蔦谷好位置がシーアの「シャンデリア」を紹介しながら、こんなことを言っていた。
「これ俺が作ったことになんねぇかなぁ」
いかにも、ずん飯尾が言いそうな言葉だ。音楽を作っている人に言われたシーアもさぞ幸せだろう。
ふと、8年ほど前の「月刊カドカワ」で、大泉洋がこんなことを言いながら桑田佳祐の魅力を語っていたことを思い出す。
「桑田佳祐さんの『白い恋人』を聴いた時『どうして俺がこれ作れねぇんだよ!』って思ったんですね。」
「いや、音楽作ったことないだろ」とは思ったが、その気持ちがわからないことはなかった。
自分もたまにそう思う。最近だと、あいみょんの「マリーゴールド」とか。なんなら3年前くらいに自分が作ってた気がする。
なぜ素晴らしい音楽に出会うと、不釣り合いな嫉妬心が生まれるのだろう。
いい作品がもたらす衝撃が、一通り終わった後にフツフツと湧きだすあのなにか。
メロディや歌詞やアレンジが、あまりにも自分の心にフィットするがあまり、そう思うのだろうか。
確かにブライアン・イーノの『アンビエント』を「俺が作ったことにならねぇかなぁ」と思うことはない。きっとそうだろう。
そんな全音楽リスナーが抱く「俺が作ったことにならねぇかなぁ」という欲望を、具現化してしまった作品がある。
作画かわぐちかいじ・原作藤井哲夫の漫画「僕はビートルズ」である。
あらすじをごく簡単に説明する。
「2010年の日本でビートルズのコピーバンドをしていた4人の男たちが1961年にタイムスリップをして、ビートルズの曲を演奏してデビューする」
まさに「俺が作ったことにしたい!!」という感情をそのまんま作品にしてしまった。
しかも題材は、今なお世界のミュージシャンに影響を与え続けているビートルズである。
版権的に大丈夫なのか?という疑問はさておき、ストーリーを聞いただけでもワクワクする漫画だ。
「タイムスリップした理由が謎」とか「身分もわからないのに、なんでこいつら怪しまれないんだろう?」など、様々な突っ込みどころはあるものの、基本的には説得力のあるストーリー展開が続く。
ビートルズの曲を演奏してしまうコピーバンドの4人のキャラクターもいい。
ビートルズの曲をリリースしてしまったことに罪悪感を抱き続ける、ジョージのパートを担当するショウ。
タイムスリップをしたことに使命を感じビートルズの曲を演奏する、ポールパートのマコト。
ビートルズの曲を演奏することに反発し、自らのオリジナル曲をリリースしようとするジョンパートのレイ。
タイムスリップした先で家族を設けてしまうリンゴパートのコンタ。
ビートルズのメンバーの性格を投影した登場人物たちが、ぶつかり合いながら世界的なスターに登りつめるまでを描く。
この作品の主題は「オリジナルとはなにか?」という問いである。
物語の中盤、ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタイン(実在した人物)が指摘するのは「日本人のバンドなのに、日本的なルーツが一切ない」ということである。
ナナメ読みをしているだけだと「そりゃ、ビートルズの曲だからねぇ」と受け流してしまうこのセリフこそが「僕はビートルズ」における根本的な問いなのだ。
いくらビートルズの曲を完璧に真似て演奏しようとも、彼ら自身のルーツ、「イギリス的な空気」は真似できない。
言い換えれば、いくら整ったコード進行やメロディ、言葉があってもソングライターの自分の中から生まれたものでなければ、オリジナリティは生まれない。そんな「オリジナル論」にたどり着く。
全10巻。これほど妄想が膨らみ、かつ潔く終わる漫画はあまりない。
そして「俺が作ったことにならねぇかなぁ」という感情は、音楽を賞賛する言葉の中で最上級のものであることに気づかされる。
余談だが、この作品のプロットを読んだ作画のかわぐちかいじは、こういったそうだ。
「俺が描きたいぐらいだ」
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