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なぜ売れる監督には対立するプロデューサーがつきものなのか【よき理解者であり、憎き仇】
どうも皆さんご機嫌よう。
いつものふざけた感想文ではなく、まじめな記事を執筆してみることにしました。
・絵コンテ、CGなどのアニメーター
・制作進行、プロデューサーなどの制作デスク
この両者がいてはじめて、映画は作ることができよくすることもできます。
今回、そのハーモニーとバランスについて語ろうと思います
では、前置きもほどほどにしてほんへどうぞ
そもそも売れる監督とは?
そもそも売れてる監督というのはなんなのか。
今回はアニメに限定して話していこうと思うが大まかに言うとその基準は街頭でその映画について聞いたら10人中7人くらい知ってるような
映画を作っていたら売れる監督であると、肌感覚的に思う。
このような定義をしてしまうと、ほんとに指で数えるくらいしかいなくなるのだがぱっと思いつく限り挙げてみると...
宮崎駿
庵野秀明
新海誠
細田守
押井守
高畑勲
とまぁこんな感じなのだが、私あまり、押井守には詳しくないので今回はあまり触れられない。押井守ファンの方、すみません。
閑話休題
名だたる巨匠達を支えたプロデューサー達
この錚々たるメンツのプロデューサーといえば
鈴木敏夫や川村元気や(対立とは逆だが)大月俊倫などがいる。
今回はわかりやすくするため
宮崎駿
新海誠
細田守
庵野秀明
この4人について、話していこうと思う。
監督とプロデューサー
宮崎駿と鈴木敏夫
歴と知れた名コンビ(苦笑)であるが
彼らが頻繁にというより、いつでも対立を起こしていて、結果鈴木敏夫に宮崎駿が丸く押し込まれているというのはよく知られている話だろう(某okd氏の数少ない功績)
宮崎駿、この作家兼監督のこの人間
なんのストッパーもないまま作品を作ってしまうと、到底我々愚民には理解できないモノになってしまう。
その最たる例として、鈴木敏夫が弱体化した後に作り上げた『君たちはどう生きるか』だろう。(まだ作る気があり、絶賛製作中らしい。もう鈴木敏夫のライフはゼロよ!)
最近、TSUTAYAレンタルコーナーにあって、もっかい観ようかなと思ったが、その瞬間とんでもない頭痛が引き起こされ容易に触れ難い雰囲気を感じたのが鮮明に記憶に残っている。
とまぁ、有名な話、ジブリというコンテンツが成り立っているのも鈴木敏夫という唯一宮崎駿に対抗しうるプロデューサーのおかげと言っても過言ではないだろう
庵野秀明と大月俊倫
こいつらは、逆に対立していない例である
この庵野秀明という人間も一時期、深淵よりもさらに黒く病んでいた時期があったのですが
その影響でエヴァはあんな感じで宮崎駿と同じくなかなか我々愚民には理解し難いモノと成っております。
しかし、レンタルビデオコーナーで見ても、頭痛くならない!(お前の頭は難解映画判定機か)
『Air/まごころをきみに』は流石に躊躇しましたが、それでも頭痛はしませんでした。
この差は、大月俊倫さんの庵野への理解度があったからかと思います。
ここからは推測になるんですが、庵野は病んでいたので、押さえつけるとさらに病む可能性があるんですよ
そうなると、どうなるか。今ギリ理解可能なエヴァが誰も理解できないオーパーツになってしまう。
だから、あえて大月Pは一切作品の内容に干渉しないことで、そのサードインパクトを未然に防いだのではないでしょうか(カヲルくん!?)
細田守と誰もいなかった
別にプロデューサーがいなかったわけではございません。ですが、彼は現在迷走に迷走を重ねております。
当時最新のCGと青春を扱う監督ということで、よく新海誠と比較され、一歩リードすらしていた細田守。
ですが、今は見る影もございません。
映画を出すたびに、失敗を繰り返し、そして反省もしない。
挙げ句、一歩リードしていたはずの新海誠にはいつのまにか、途方もない差をつけられている
こいつは別に、人間が理解不能なモノを作るタイプでも、作品がつまらないタイプでもない。
しかし、自分でやろうとしすぎた。しすぎている。
彼は今、監督業に原作、脚本にありとあらゆる業務を兼業しています。
彼の問題は特に脚本。
ヒット作を出していた頃は、脚本を2人体制で作っていましたが
なにを血迷ったかいきなり、ひとりで描けるもん!
なんて言い出しちゃいました...
その結果、細田守作でも影の薄い『未来のミライ』サマーウォーズの面汚し『竜とそばかすの姫』など、さまざまな迷作を世に送り出してきました。
私自身、元はと云えば細田守の熱狂的なファンであっただけに本当に悲しいし、悔しいです
彼を変えてくれるような、彼を目覚めさせてくれるような、プロデューサーないし、誰かが現れることを...
またかの時のような細田守を観られることを切に願っています...
新海誠と川村元気
お次、今や国民的映画監督となりつつある新海誠でございます。
彼をここまで押し上げたのは、作家兼プロデューサーの川村元気氏のおかげと言っても過言ではないでしょう。
というのも、彼マーケティングの才があり(当社比)
実際彼がプロデューサーなどとして参加した『君の名は』は世界的な大ヒット
興収251億円、日本映画史上歴代5位という結果を挙げました。
それまでの新海誠によくある辛気臭い雰囲気や、ビターエンドを好む傾向がなくなり、また主題歌にRAD WIMPSを採用することで、より話題性に富み、またより大衆にも受け入れられやすい作品となったことが、主な理由であると考えられます。
その後の新海誠作品においてもこのような傾向が見られ、同様に大ヒットをかましています
めでたしめでたし…………
これでいいのか?
本当にお前はこれで満足できているのか?
心の故郷となる、辛気臭いあの作品を
あのもどかしい、どうしようもない、そんな気持ちを!!
我々新海誠拗らせオタクは2度と享受することは叶わぬのか!!
所詮、映画も商売。売れなきゃ続かないのは勿論わかっているし、決して『君の名は』や『天気の子』」『すずめの戸締り』が嫌いなわけではない
しかし!!
遠野貴樹が呪縛に囚われていたように!
私たちも現在進行形で、新海誠のあの作風に一途に恋心を抱き、また呪縛に苦しんでいるのだよ!
他のじゃ満足できない。そういうふうにした責任を取らずに!
勝手に大人になりやがって!
庵野もそうだよ!
新エヴァで病み期から解放された瞬間俺たちを諭すようなこと言い出してよ!
「命って素晴らしいね」 「共同体って素晴らしいね」 「農業って素晴らしいよね」
は?ふざけんな!
俺たちが求めている庵野秀樹はとにかく暗い主人公と終わっている世界観と常人には理解できないような演出で、見るものを軽く鬱にするような!
そんなやつだっただろ!
そのくせあの(以下略
閑話休題
というわけで、独自性を取るか、普遍性を取るか、勿論バランスが取れているのが理想的なのだが、そんなに上手くいくものでもない。
新海誠があの頃のまま映画を制作していたら、尖りすぎて、それもそれで面白いかも知れないが、今のように国民的映画作家にもなっていなかっただろうし、私自身『君の名は』から入っているので、出会えているかも怪しいところである。
この点においては川村元気に感謝しなければならない
しかし、往年の新海誠オタクがまたあの頃のような作品を望んでいるのも事実
今後また、あの頃のようにとは言わずとも...
観客の観たいものと、監督の魅せたいもの/まとめ
ここまで、4人の監督の話を例に挙げて説明してきました。(途中取り乱してしまいましたが)
いかがでしたでしょうか。
宮崎駿が半自伝的な作品で観客に人生について問うたように
庵野が大人や責任について示したように
新海誠が男女が不可抗力によって引き裂かれるさまを描いたように
どの映画にも、作者の魅せたいものというものがあります。これは映画に限った話ではありません。
しかし、同時に作品は観客がいて初めて成り立つもの。
監督の意図と同時に観客が観たいもの観せられたいものも存在しているのです。
その中で、両者の橋渡し的な役割を果たしているプロデューサーという仕事は、作者と観客(ライト層もマニア層も)両方の反感を買ってしまう。そんな存在なのではないかと私は考えます。
監督からしたら、自分の個性を押さえつけてくる目の上のたんこぶのような存在でしょうが
それがあるからこそ、我々はひとりぼっちにならずに映画を楽しめているのではないかと思います。
初めて真面目にかなり長い文章を執筆したので
酷く拙い文章でしたが、ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。
では、また👋