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「私の夢みた異世界」 第九話:未明

第八話:夜更 ↓



 現実はもうすぐ夏の匂いを感じる様になりました。そして、花子の就職活動はもうすぐ終わりを迎えようとしていました。なん十社も受けて残ったのは一つだけ。しかもまだ四次面接の結果待ちでした。花子は気が気ではない状態でアトリエに通っていました。アトリエに向かう途中の廊下で、教授が花子に話しかけてきました。

「鈴木さん、立花さんと連絡とっていたりしない?」
「連絡先は知らないです」
「そう。第一志望が受かってから連絡無くなったのよね~」

教授はそれだけで、いつもの挨拶と雰囲気は変わりありませんでした。
 ひとりでいるアトリエで、花子はトランペットの演奏も始めました。禁止されているわけではないため、絵の息抜きで始めていました。途中で物書きも始め、落ち着きがありませんでした。
 眩しい太陽が橙色に代わり、空気も冷えてきた時、花子のスマートフォンに一着のメールが届きます。外の音すら聞こえない静かな部屋にいた花子はその受信音で心臓が止まりかけました。花子が座っている場所からスマートフォンが置いてある机は手を伸ばせば届く距離でした。しかし、花子には遠い、遠い道の先にあるようでした。頭も体もズキズキと痛くなり、熱が出てしまったのではないかと思えるほどのめまいが花子を襲います。唾すら飲み込めない花子は指先だけ冷たくなった手でスマートフォンを手に取りました。
 人は大きな衝撃があると何も考えられなくなります。喜怒哀楽に当てはまらない無という感情になるのです。確固たる感情は、その衝撃から時間を経ないと生まれないのです。
 まだ夜になれば寒い時期です。風は冷たく、虫の音は聞こえません。人のいない住宅地の公園で花子はひとり、ブランコに座っていました。都会の光のせいで星が殆ど見えない空を仰ぎながら、小さく揺れていました。耳にツンとはいる着信のコールを、何度か鳴った後に花子はゆっくりと取ります。

「・・・・・・落ちちゃった。最後のとこだったんだけど」

くぐもった声で花子は答えました。今まで費やしてきた時間は一体何になったのかと、その時間すべてが夜風と共に流れ去って行きます。否定されても笑顔を振りまき、ボロボロの足も、真っ黒な髪も、すべて意味のない疲労になってしまったのです。小さな外灯だけが照らす公園から、迷子になった感情を抑えるようにこらえた声が聞こえてきました。
 何時になったかわからない程うずくまっていた花子は、家に帰れば逃げるように寝てしまいました。明日の授業、今後の就活、今の感情、頭を痛くさせることからすぐに逃げたかったのです。異世界ならやることがあるからです。自分を必要としている簡単で単純な世界にさっさと行きたかったのです。
 イザールで目が覚めるなり、部屋のドアが勢いよく開きます。エルナが鎧を着た状態で、花子を起こしに来ました。

「ハナコ! 街の近くで魔物が出た! 今すぐ行くぞ!」

すぐに花子は返事をし、エルナと一緒に街の外へと急いで駆け出しました。
 街は大樹に守られているお陰で、魔物が入ることはありません。しかし、森はなく岩場のため目視できる大量の魔物がいました。

「ビヨンド!」

アリエッタの魔法は花火のように派手で、きらびやかでした。花子も負けじと魔法を放ちますが、浄化できる魔法なのに、浄化できない魔物がいました。何故かと戸惑う花子にアリエッタが教えます。

「浄化できるのは元の意志がある者に限るんだ。完全に魔物になってしまったらもう倒すしかないよ」

アリエッタは容赦なく魔物を倒していきます。戦いの中でもアリエッタは楽しそうに、そして目立つように立ち回っています。
 魔物の数がだいぶ減ってきたころ、ギルドのメンバーが岩の陰からボロボロになって出てきてウェイズに叫びます。

「おい! レオがいるぞ!」

ウェイズは血相を変えて岩の向こうへと走っていきます。ポラリスは直ぐにウェイズの後を追います。ウェイズや花子以外のポラリスメンバーが反応するのを考えるあたり、花子はすぐにレオが誰なのか気が付きます。

「レオって、魔物になったウェイズの友人?」
「そうだ」

エルナも苦しそうに答えます。
 現場に着いた時、倒れているギルドメンバーの中におぞましくたっている人間がいました。ただ、それは可能な限り人間に近いだけであり、片腕はもう怪物になっていました。

「本当にレオだ」

レオはポラリスに気が付くと、即座に攻撃を仕掛けてきました。唸り声をあげ、怪物となった腕から煌々と燃える炎を出してきました。ウェイズは最前に立ち、直ぐに炎を縦でふさぎます。しかし、すぐに反撃できる状況になったはずのウェイズは進むことをためらっていました。

「ウェイズ! 止まっちゃだめだよ! ミルキーウェイ!」

アリエッタは先ほどの魔物同様、レオにも容赦なく攻撃しました。浄化される事はなく、レオはまだ理性を失ったままです。エルナやメイザも続き、暴れるレオを抑えに立ち向かっていきました。花子は共に行かず、ウェイズを心配します。

「レオを倒したいの?」
「・・・・・・」

苦しい表情をするウェイズは答えませんでした。

「浄化させればいいんだよね」

花子はレオに向かって宝石の魔法を当てていきます。アリエッタと同じ魔法であるなら、ふたりがかりで浄化させることが出来るのではないかと思ったのです。しかし、一向にその気配はありませんでした。

「花子! 浄化させる気じゃ倒せないよ! 本気で攻撃するって思えばダメージを与えられるから!」
「でも、倒しても元には戻らない!」
「元には戻らないよ! 私だって試したんだから!」

アリエッタは花子に構わずレオを攻撃します。それに対し、花子は浄化させることに希望がなくともレオに魔法を当てていきます。ウェイズだけは攻撃に移れず、エルナやメイザもレオを攻撃するのにためらいがあるのか、中々止めを刺すことができません。

「一緒に攻撃しよう、花子! 一撃かませばいいんだって!」

花子は首を縦に振りませんでした。エラセドの噴水で話したウェイズを思えばレオを一瞬でも正気に戻させたいと思っていたのです。そして、自分の能力に負けを認めたくなかったのです。ウェイズも同じ思いでした。レオの攻撃を縦で抑え、動きを止めます。花子アリエッタを退けて、レオへ近づきます。

「やああああっ!」

零距離で放たれた、高濃度の魔法は目を伏せるほどの閃光を放ちました。視界が晴れるとレオの体は人間に戻っていました。よろけているレオを近くにいたウェイズは支えました。

「ウェイズ・・・・・・歌完成したか?」
「・・・あぁ」
「そうか、それだけ聞きたかった。よかった。迷惑かけて悪かったな」

そう述べて微笑んだレオは眠るように目を閉じ、ウェイズの腕の中で動かなくなりました。ウェイズはしばらくそこから動きませんでした。花子は静かに歩き、ウェイズの傍に行きます。

「ハナコ、ありがとうな」

何かから解放された声に、戦闘で疲れた花子もほっとしました。
 ギルドに戻れば、住民もポラリスを出迎えてくれました。傷の手当てやご飯の準備などでギルド内は騒がしくなりました。騒がしい中、花子は治療道具をもって書庫へ向かいしました。
 書庫で治療道具をアリエッタに渡すと、慣れた手つきで自分の体の手当てを始めました。

「諦めずに戦っていてすごいね」

いつも自信にあふれている表情のアリエッタが、寂し気な笑顔をしていました。

「私も頑張ったんだけどね。相当苦戦したのに、花子はすごいね」

花子はその羨むようなセリフを聞き、両手に力が入りました。

「私は諦めちゃったから、どうせ正気になんか戻らないって思っていて」
「後悔を私に述べてどうしたいの?」

花子は鋭い口調で返しました。アリエッタの表情が固まりました。花子は浄化をしようとしなかったアリエッタに苛立ちを覚えてはいませんでした。一度ダメだったから、無理だろうと考えるのは当然です。しかし、こうして戦いが終わってから後悔の念を呟くのは何の意味があるのかと思ったのです。笑顔が消えていくアリエッタを見て、花子は自分の態度を反省します。

「ごめん」

そう言い、花子は書庫から出ていきました。
 花子は寝室のベッドに座り、アリエッタに放った言葉を思い出します。後悔を述べるのであれば、後悔しないようにすればいいという考えの元、放った言葉でした。それは花子自身にも刺さる言葉でした。現実の自分は後悔しないように生きているか?と自問自答を始めたのです。
 しだいにギルドは静かになり、空も雲がかかって静けさが増します。花子の頭では自分の声が反響して、一層うるさく感じます。花子は現世から逃げるように異世界に来ました。しかし、現世になにも未練がないかと言えば違います。本当は現世で誰かから認められて、何者かになりたかったのです。それが簡単に手に入った異世界に甘えているだけだと、そう花子は思い始めました。未練はじきに後悔になってしまうことを花子はわかっていました。だから、どんなに他が優れていても自分の好きを貫いていました。
 自分の在り方について花子は頭を抱えました。就職も満足いかず、自分の能力にも満足が行っていない状況の花子は、人生という道で迷子になっていました。しかし突然、そんな迷いを強引に剥がすように轟音がギルドを揺らしました。花子は光った外を見るため、窓から体を乗り出します。

「大樹が倒れている!」

街を守っていた四つの大樹の内、三つが光を無くして倒れて行っていたのです。そして、街から見える大峰の祭壇がある山の頂上に大きく、空の光をすべて闇に包むゲートが開いていました。
 ギルド内では急いで現場に向かう者たちがあふれていました。花子は直ぐにエルナとウェイズ、アリエッタを見つけますが、メイザの姿が見えないとのことです。探そうとする四人に駆け付けたチェイブが息を上げながら命令します。

「お前らは大峰の祭壇に一番近い大樹に向かってくれ」
「メイザがいないのです!」
「なに?!」

エルナの言葉に一瞬驚いたチェイブでしたが、構わず行けと言い放ちます。急いでアリエッタを連れて四人が出ていきますが、メイザと仲の良かったティーモは後ろからこっそり付いて行きました。
 大峰の祭壇に一番近い大樹にたどり着くと、もうそこは激しく損傷した岩場であり、大樹の根本だけ残っていました。先に到着していたギルドメンバーが何者かと戦っている音がし、四人はその相手を見て体中が強張ります。ギルドメンバーと対峙していたのは、暗闇を操るランでした。そして、ランの手にはぐったりとしたメイザがいたのです。

「リオルリの大樹も本当は根元をメイザに破壊してもらう予定だったのにな。理性を保つ強さだけは人間以上だ」

ランに捕まれているぐったりとしたメイザは辛うじて息がある様子でした。

「貴様! メイザに何をした!」

剣を向けて怒鳴るエルナにランは冷静に答えます。

「額の模様、残っていたようだが解読できなかったようだな。それは私の魔力を注いだことで出来たものだ。エルフの力と魔族の力を融合させるためにもな。つまり、こいつは私がエルフの力を得るために利用しただけさ。大樹はエルフの力だけが作れるもの。そして、その大樹はこの世界の自然を支えるもの。つまり今共に回収したエルフの力によって私は大樹を根元から破壊できることになる。試してみようか?」

瞬間、根本が影に切り裂かれてしまいました。ランが微動だにしなかったことから、遠隔で破壊が出来るようになっていたのです。

「何かが崩れる瞬間が唯一快楽を感じられる。一緒に過ごしていた仲間が、ずっと私に利用されているとも知らず呑気なものだ」

エルナは大剣をランに向けて振り下ろしますが、影の剣によって軽くあしらわれてしまいます。

「私はただ好きなことをしているだけだ。貴様らも好きなことをして生きて行くのは望んでいることだろう?」

全てを蔑み笑うランに、皆一斉に立ち向かいます。

「ミルキーウェイ!」

アリエッタは追尾する宝石でランとメイザを引きはがします。ランは指を鳴らし、影から大量の魔物を召喚しました。とうとう決着の時、みな魔物に立ち向かっていきます。花子も加勢しますが、メイザを回収しようと様子をうかがっていました。ランにとって脅威であるアリエッタと花子は魔物にマークされ、中々メイザの元へと行けませんでした。そんな中、岩陰を駆使して隠れていたティーモがメイザの元へ全速力で向かいました。ティーモはメイザを抱え、その場から逃げようとしたときランに気が付かれてしまいます。余裕そうに剣を投げ、ティーモは避けるのが間に合いません。皆、ランの剣によってティーモの存在に気がつきましたが、花子だけはその前にティーモに気が付いていました。エルナから散々習った空中に立つ能力を駆使し、空中を蹴って猛スピードで魔物をかき分けてティーモを飛び抱えました。

「ハナコ!」

ティーモとメイザを抱えていた花子の足には血がにじんでいました。花子は経験したことない激痛に恐怖を感じました。死んでしまうのではないかという恐怖です。花子は抱えたまま岩場に転がり、体を強打してしまいました。
 暗闇から目が覚めた花子は、また病院のベッドに横たわっていました。体を強打した瞬間に気絶してしまったのです。足を見れば治療が施されていました。安全な場所にいると瞬時に感じた花子は安堵すると同時に、異世界を案じました。
ベッドのすぐ傍には医者が座っており、気分を尋ねられました。

「また三日眠っていたよ。流石に精密検査をした方がいいかもしれない」

花子はその場を離れようとした医者を止めます。

「あと、あと数日だけ待ってくだい。そしてまだ誰にも私が起きたことを言わないでください! お願いします」

必死に訴える花子に医者は戸惑います。

「すぐに解決させます」

明らかに正常に、真剣に見つめる花子に医者は疑いませんでした。今日はもう日が沈んでいたこともあり、医者は今晩だけ時間をくれました。
花子はベッドから立ち上がり、病棟のラウンジに出ました。全面ガラス張りの窓からはビルの明かりが星のように光っていました。そして用意されている椅子机の中に、ひとりだけ誰かが立っていました。

「あ、大丈夫?! 先生から入院したって聞いて」

面会カードをぶら下げた立花でした。花子は立花の様な人間が何故、面会しに来たのか理解できませんでした。

「様子だけ見てって言われただけだよ。元気そうでよかった。もうすぐ閉館だから失礼するね」

立花は明るく手を振り、花子の横を通り過ぎます。花子は小さい背中の立花を目で見送ります。すると、すぐ前のエレベーターのボタンの前で立花は立ち止まりました。

「ねぇ、鈴木さんは就職どう?」

背を花子に向けたまま立花は話し始めます。花子はそのセリフで咽が詰まります。

「立花さんは第一志望に受かったんだよね」
「うん。俗にいう大手企業。でも嬉しくないんだ。親に言われて就職先を絞っちゃった。何も目指さなかった私が悪いんだけどね」

立花は音がならない程弱々しくエレベーターのボタンを押します。

「後悔している。私は流されちゃった。大手だから喜ぶべきなのにね」
「嬉しくないの?」

どんな人間だって大手の企業、ましてや一流企業に入れるのであれば嬉しいものだと花子は信じて疑っていませんでした。立花はため息のように笑います。

「私の好きとは違うところだし、言われて受けたところだし……」

エレベーターが到着した音が病棟に響きました。病棟の温かな光とは真逆の、冷たい光がエレベーター内を照らしています。立花がエレベーターに乗る前に、花子は問いかけます。

「自分のやりたいこと、貫かなかったの?」

立花はエレベーターに乗り、軽く上半身を花子の方へ向かせます。

「私は鈴木さんとは違うから」

直ぐに扉は閉まり、病棟の照明も就寝時間となり薄暗くなりました。逃げるように去った立花に花子は唇に力を入れることしかできませんでした。
 花子は暗いラウンジで椅子に軽く座っていました。そして痛む足から目をそらし、夜景を眺めていました。自分の気持ちにケリを付けようと花子は思い返します。異世界に行けたことはとても楽しいことでした。世界から必要とされ、特別な能力を持ち、心から自分を案じてくれる仲間がいます。就職だって考えなくて良いのです。それに対して現実の自分は何もない人間でした。好きな事やっていても何かあるわけでもないのです。
 生きるためには職に就き、好きなことは段々とできなくなっていくのがこの世でした。しかし、花子はランとの戦闘から逃れ、現世で目を覚ました時に安堵したことを思い出します。そう、都合のいいときだけこの世界で良かったと思っていたのです。結局、異世界であろうが現世であろうが都合が良ければいいというだけなのです。

「いいの? それで」

異世界で生きることを決めれば、現世は死ぬことになります。現世で産まれ、現世で生きて、現世で生きている自分を否定するのか?と花子は自分に投げかけます。そんな時、ポケットに入れていたスマートフォンにメールが受信されました。メールのタイトルは『投稿した作品にコメントが付きました』、そしてメールの本文にそのコメントが書かれていました。

『面白かったです』

たったその一言だけでした。たったそれだけの感想でしたが、花子は椅子から勢いよく立ち上がります。今生きている命、それはこの世で苦しみ、悩み、悲しみ、そして出来上がったものです。自分が生きようとしたこの世界から逃げたい気持ちは山ほどありました。しかし、歩き続けてきたのが今の自分です。未来が不安で何も見えなくなっても、今の私は今の自分が好きになれる自分になろうと決心しました。

「私はこの世界で生きて、やりたいことをしていたんだ」

『解決していないのにその世界に行っても、同じことでまた悩むんだろうなぁ』ティーモのセリフを思い出します。自分は幸せだと思っている異世界でも、悩み苦しむことは変わりないのです。何処に行っても、解決法を知らないのであれば同じことに悩むのです。

「この命、自分の好きを貫くためにあるんだ」

花子は大きく息を吸い、声が出るほど大きく吐きました。そして自分の胸に手を当てます。

「ケリをつけてこなきゃ」


第十話:彼者誰時 ↓

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