繊細すぎる感覚を保つ為に開けた孔
私たちを苦しめるのは事実ではない。
私たちを苦しめるのは感情である。
恋人との別れという事実そのものは、次の日からの生活を、身体的に耐え難いものにする事はない。
ただ、隣に恋人がいた過去が、私たちを苦しめる。
そして、一人となった生活は、過去を取り戻すために、取り憑かれている。
私たちは、事実ではなく、感情によって、次の日からの生活を身体的に耐え難いものにしてしまう。
私たちから恋人が盗まれたにも関わらず、そのほかの日常は、無慈悲に淡々と行われている。
その事実が、どうしようもなく耐え難いのは、感情のせいなのだ。
生命維持を脅かすほどに、繊細で、高尚な感覚を、現実生活に曝け出すことなど、誰ができようものか。
私たちは、感情と共に、部屋へ閉じこもる。
いかなる臓器よりも壊れやすいのに、いかなる臓器よりも重大な役割を持つ”感情”を休養させるために。
しかし、感情にも酸素が必要だ。
閉じ込めてしまうと、過去の、負の感情が、二酸化炭素のように蔓延し、感情は、たちまち腐ってしまうのだ。
吐き出すことも、吸い込むことも必要なので、渋々と、外へ出かける。
感情が弱っている時、居場所は必要ない。
なぜなら、立ち止まれば、過去の追っ手が足を引きずるから。
なので、私たちは、一人で街を歩く事をやめてはいけない。
ある日、僕は、感情を殺す術を知った。
その方法は、”僕”を殺す事だった。
自殺、ではない。
「感情を抱えている、僕」だけを殺すのだ。
そうすれば、残るのは事実だけ。
僕は、それを知った日から、心に孔を開けた。
実際、効果は絶大だった。
いかなる恋も全て、一夜の夢のように僕を通り抜け、
優しさや悲しみに、生活を耐えがたくされる事もなくなった。
さて、抉られた心は何処へ行ったのだろう。
抉った心と一緒に、私の才能も捨てられてしまったようだ。
結果的に、弱くて愚かな僕は、辛い生活に溺れながら、これまで殺してきた感情の亡骸にそっと寄り添う。
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