精神の錨(いかり)
普段、僕たちは、「自己」を重く繫ぎ留める無数の錨を身体に巻きつけている。
例えばそれは、服装や髪型、部屋の配置や所持品といった「モノ」だったり。
または、職場や学校、交友関係や過去の思い出の先に立つという「コト」だったりする。
僕たちは、常に無数のモノやコトに繋ぎ留められているお陰で、「自己」が広い意識の大海で、座標を失わずに済んでいる。
深い孤独と向き合い思想を広げるとは、錨付きの大きな船「自己」から、小さな「小舟」を出して大海を冒険する事だ。
その小舟も、元の場所に帰って来れるように、大船とロープで繋がれている。
かなりしっかりした綱だ。簡単には千切れない。
この綱は、おそらく新調して最近できた記憶だろう。
昨日会った友人や、来週飲みに行く約束、1ヶ月前に別れた恋人との失恋などなど。
あまり深く孤独を経験していけないのは、この綱が古びてくるからだ。
そうなってしまったら、好奇心旺盛な小舟に乗った冒険家は、気の赴くままに大海へと行き帰って来ない。
ただ、本当の事を言えば、この冒険家だけが、本当の「自己」なんだよ。
モノやコトに縛られていたのは、偽の私だった。
無数の錨が、冒険家を連れ戻そうと追いかけてくる。
「追いつくものなら来てごらん。」
そう言い残して彼は、狭い港から、黒いスープに飲まれていった。
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