黒い海に溺れた意識
僕はある日の夜、海へと出かけた。時計の針は22時を回っていた。
海そのものは、車で10分もあれば行けてしまうのでそれほど新鮮でもない。
けれども、時期はまだ5月の中旬。しかも夜中に一人で海へ行くというのは案外エネルギーがいる行動だ。
それなりに強い動機がなければ、わざわざ行こうと思わないだろう。
例えば、長く付き合った彼女と別れたとか、親友と喧嘩したとか、夢への旅路で足を挫いたとか。
でも、僕の場合は違った。ふらふらと綿毛が風下に流される程度の斥力で、なんとなく海へと出向いた。
あえて理由を挙げるなら、部屋に溜まっていた憂鬱と倦怠から抜け出すために、非日常の風景に浸りたかったのだ。
のろのろと支度を終え、車に乗って海へと向かった。道中、少しだけワクワクしていたのを覚えている。
海が特別に好きだったからではない。突発的な衝動に身を任せている感覚に酔っていたのだ。
僕は今回のように、一人で行動する事を好む傾向にある。
交友関係を顧みてもそうだ。
数年来の親友と出会った事がないし、異性と付き合った事もない。
単純に面倒くさいというのもあるが、何よりも怖いと思っている。信頼するという事は、裏切られるという結末の始まりだと思ってしまうのだ。
それでも21年間は生きてこれたし、ストレスの少ない人生を送ってきた。
孤独に耐えられるのは、自分にあまり執着していないからかもしれない。
自分の心が傷付いたところで、他人事のように思ってしまうし、何か拘りがあって生きているわけではないのだ。
それよりも、なぜ”僕”が存在するのか、死とは何か、生とは何か、という絶望的な問いを何年も掘り返すことに、僕は支えられて生きている。
その問いに対して偉大なる哲学者たちと対談する事は、良い孤独の処方箋となっている。
そんな僕が人当たり良く笑顔で生活できているのは、カメレオンの擬態術に近い、自己防衛本能として作動している感じだ。
日々の倦怠や憂鬱とは、そういった擬態の疲労感にも近いのかもしれない。
無神経に、何度も何度も「〇〇せよ。」という、他者や社会の要請に対して、肌から血が出るほどの変色をしなくてはいけない事に、精神がついていけなくなっている。
いっそ、社会から切断されてしまいたい。
そう思うのだ。
砂浜へと到着し、剥き出しの素顔(心)で降り立った。
足が触れた所から一気に溶け出す砂は、月明かりに照らされ、紺碧の魔力を漂わせて僕を歓迎していた。
影が纏わり付いてくるのが、この時だけは異常に気持ち悪かった。
空は一点の曇りもない。
半月がハンモックのように宙吊りになっていて、その隣には北斗七星が、壁飾りのように飾られていた。
枯れた草を靡かせた砂の丘を超え、僕は海へと向かった。
遠くから聴こえる波の音に、若干の緊張感が生まれ、「思いつきでこんな場所に来なければよかった」と後悔した。
高原の頂上に立つと、そこには絶望的な広さが待ち構えていた。
夜の海は青ではない。黒だ。
無音の静寂に、不規則なリズムで走るノイズのような波の破裂音だけが存在していた。
恐怖に怯えた僕の足は竦み、これ以上先に行って良いのか分からずに立ち止まった。
しばらく距離を置いて対峙していると、目が暗順応(暗闇に慣れるという意味)し、水平線と空の境目や、砂浜と海の境目が判別できるようになって恐怖感は弱まった。
目に映った景色はまるで、僕が抱えている絶望的な問いが具現化したような世界だった。
生と死、僕の無力感、孤独、弱さ、虚無、そういったものが「海」や「月光」「砂」「気温」「風」・・・といった、五感で感じられる全てに宿っていた。
墨汁のような蠢きで、私の立っている砂浜を喰い尽くそうと襲ってくる黒の波は、死の世界へと案内する、大量の亡霊たちの手のようだった。
亡霊の手に掴まれた空間は、白波とともに彼岸へと引きずり込まれてゆく。
暗闇の中、絶対不可視の破裂音は、不協和音を響かせて私の背後まで届き、私のいる場所ごと水平線の向こう側へと帰っていく。
僕の意識は既に飲まれて溺れていた。
孤独を愛するなどと思い上がった魂に寄る辺は用意されていない。
自然と涙が零れ落ちた。
しかしその一滴は、巨大過ぎる海の前で遥かに無力で虚無だった。
「早く!命そのものが飲まれる前に!立ち去らなければいけない!」
そう思っても、金縛りにあったように動く事はできなかった。
「もう少し、この先に何かがありそうだ。」
虚空と暗黒スープの隙間にある深淵に、目が釘付けとなっていた。
深淵の先に何が映ったのか。
・・・
何も映ってなどいないかった。
ただ、そんな”無”を必死に掴もうとする愚かな「僕」の姿だけは確認できた。
そして、あの涙の出処は「僕」の、人間としての弱さだった。
「一人が寂しいと思う僕は、迷子になっていたみたいだ。」
心が晴れるどころか、また一つ奇怪な謎を受け取った僕は、異空間を後にした。
後味の悪い結末だが、その不気味さが、僕を掴んで離さない唯一の友として、今日も不気味に寄り添っている。
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