※炎上覚悟で投稿します。 ずっと自宅介護していた96歳の祖父が、 3週間ほど前に入院しました。 病院は、コロナのため 面会禁止。 いつ死ぬか分からないような状況の祖父と、 3週間の間、一度も会えていません。 嘔吐し、呼吸困難になったため 緊急搬送し、そのまま入院。 呼吸器に繋がれ、 食事も食べられず、点滴を打ちながら、 ひとり孤独に苦しんで闘って、 いま、ようやく病状も安定したそうです。 その間、家族に会えず、 どれだけ孤独で、辛い思いをしていたか。 祖父本人か
さて、橈骨神経麻痺になってから、現時点で1ヶ月と2週間。 日常生活ではほぼ支障がないくらいに回復した。 (いまだに親指に鈍い痺れ&髪の毛をゴムで縛るのに苦労するが…) 無くしたものが戻ってくると、 これは本当に以前持っていたものと同じものなのかと 少々疑ってしまうことがある。 歯の矯正治療をしたことがあるのだが、 2年の治療を終えたその時、 この歯で味わっている食感は 果たして本来の自分が味わってきた食感と 本当に一緒だろうか、と思った。 (まあ、美味ければなんでも良いけ
左手が思うように動かなくなってから2週間。 ここで現れたのが、「左手いらないんじゃないの問題」 だいたいの事は利き手の右手があればどうにかなる。 そして、無理に左手を使おうとすると めっちゃ疲れる。 文字通り「神経を使う」のだ。 普段何気なく使う言葉の意味を 身をもって理解した。 ものすごく意識して、意識して、「動け!」と念じても ビクともしない。 動かそうと頑張ると、「うっりゃ!」と声が出る。 切り離された存在になってしまった。 そんな左手に転機が訪れたのが、 妹
34歳 女 左手を橈骨神経麻痺 この条件で 日常生活で困ったことを書き出してみよう。 ・髪の毛が縛れない ・顔が掻けない ・鼻をほじれない ・右脇の下&背中が洗えない ・シャワーヘッドを持ちながら髪の毛が洗えない ・ドライヤーで髪をセットできない ・お菓子の袋やタレのパックが開けられない ・ナイフ&フォークは無理 ・卵かけご飯をかきこめない ・不安定な器に盛られた食べ物(パフェとか)厳しい ・歩きスマホできない(元からするな) ・両手で犬猫をワシャワシャできない(泣)
友人と岐阜の温泉地へ旅行中、 電車でウトウトして、 目が覚めると左手が動かなくなっていた。 最初は今世紀まれに見る一般的な痺れだと思っていたが、 なんか様子が違う。 目的地に着いて、観光している間もずっと治らない。 2時間、3時間と経過して 夕食の時間になっても思うように動かない左手。 さすがにちょっと焦って来て、 脳梗塞じゃないか、ついに私のコレステロールが爆発したのでは、と なかなかに不安な夜を過ごした。 「起きたら治ってますように」 治っていなかった。 と
子猫を拾った時、 それはとても小さくてか弱かった。 猫なんて、どちらかといえば苦手な部類。 私の生まれて初めての記憶は、 当時流行った猫のキャラクターが描かれたビスケットを見て 「怖い」と泣いた事だった。 そんな私が猫を拾った。 30分近く、遠目で見守りながら考え抜いた挙句、 拾って帰った。 泥まみれの体を拭いてやると 「ミャ」と嫌そうに鳴く。 あまりに汚いので、お湯で洗ってみた。 あっという間にお湯は濁り、黒い粒々が浮かぶ。 ノミと、血の塊だった。 茶色っぽいと思っ
結構好きだ。 猫のどの部位が好きかというと、 (もう結局すべてが愛おしくて嫌いな部分なんて思い浮かばないが) おしりは結構上位だ。 おしりから太ももにかけてのラインなんて芸術的モッフだし、 ケツ穴にちょっぴり付いたウーチなんてお茶目以外の何者でもない。 ただ、他のおしりには興味がない。 この世でただ一人。飼い猫のアルのケツだけだ。 今日もアルに感謝。 このように、何かを好きに変えてくれる存在はありがたい。 アルに出会わなければ、私はおしりを好きという感情を 味わうこ
ひとりで屋久島に行ってきた。 島に着いた時は思ったほど「屋久島」感を感じなかったのだが、 その夜、居酒屋で現地の人と喋った時に初めて、 屋久島に来たな〜と感じた。 結構、人がその土地を象徴することって、多いと思う。 旅の目的は縄文杉だったのだが、 (この前の雨で通常ルートが通れず、 健脚向けのルートに無謀にも挑むことになった) 結局、旅して帰って来ていつも思うことは、 人との交流が何より楽しいってこと。 ガイドブックにもどこにも載っていない 島の魅力を堪能した夜だった
就職してしまった… もう普通の社会人に成り果ててしまった。 起こりうる事象の中で最も平凡な出来事。 こんなにも、仕事がない日々がかけがえのないものだったなんて 失って初めて気づいた。 今日から普通に朝7時起きの生活が始まる。 昼過ぎまでと猫とニャンニャン出来ないのだ。 仕事先は広告代理店業。 おそらく忙しくなる事が予想される。 どうしよう。犬とキャンキャンお出かけできない… 世界は暗黒に閉ざされ、私の心は憔悴の一途をたどっている。 出社初日の朝の、研修が空いたこの
もうすぐ、あと1時間あまりで平成が終わる。 昭和60年生まれの私にとっては、 物心ついてから、初めての改元。 ちょっと寂しいような、ワクワクするような、 不思議な気持ちで過ごす。 元号越し蕎麦も祝いの日本酒もいただいたが 他に、平成にやり残した事、なんだろう。 ・恋愛&結婚 (平成ジャンプしちゃったなぁ。 そんなに焦りはないが、とりあえず恋愛はしたい。 平成の後悔に苛まれて、あと一歩動き出せない自分に 令和ではどうか、積極性と良い出会いがありますように。) ・ピアスの
夢で会いたい。 時間を持て余すのも板についてきた。 年甲斐もなく、昼過ぎまで寝ることも全く苦にならない。 (今さら伸びる身長もないのだが…) どこまでだって無職生活をエンジョイできそうな予感がしている。 と、思っていたら、6月から働く予定の会社から 取材に同行してほしいと、現在2泊3日の取材旅行へ。 初日にして思うことは、早く家に帰って猫と戯れたい… 久しぶりに早起きしたら頭がボーッとしっぱなしだし、 もう社会人不適合者に成り果ててしまっているようだ。 上司にはバレな
期間限定のプー太郎ライフを満喫している。 5月末までの2ヶ月限定ゆとり生活。 (6月からはバリバリに働くことが決定されている それはもう、バリバリに…) すでに、行きたかった、京都5泊6日の目標を果たした。 (桜の季節、人の多さには疲弊したが、とても良い旅だった) あとはもう、昨日も今日も明日もひたすらに、 朝起きては、猫の言うがままに我が腕枕を捧げ、 ナァ〜ンと鳴かれるので添い寝し続け、 さすがに昼過ぎに起き上がり、 次は愛犬にハイテンションで半日分の愛を注ぎ入れ、
α波でも出しているのだろうか。 どんなヒーリング音楽よりも 愛猫のいびきに安らぎを感じる。 もはや音楽である。 それにしても、ほぼ全ての猫は なんと可愛らしい声で鳴くのだろう。 ラジオの企画で、 5分間ただひたすら猫の鳴き声を流すのはどうか? と、提案したことがある。 話は盛り上がり、だいぶ良いところまで行ったが いまだ実現していない。 まあ、わざわざ電波を拾わずとも 今日も生音で、思う存分その音楽を聴けばいいか。 私だけの音楽。
猫としての生き方を考えてみた。 この人の体をして、猫として生きることは可能だろうか? まず、完全なる猫として生きることは不可能である。 自分が許しても他人が許さない。 なら、どこまで寄せることが出来るか。 そもそも、生き方とは? 私が彼女(愛猫アル)の何を知っているのだろうか? 私が与えたもの以外、知らない彼女だ。 生き方を選ぶことなんてそもそも考えたことはないだろう。 毎日をただ、平穏に、気ままに、思いのまま生きている。 それは決して同じことの繰り返しで