クルックス菅を游ぐ魚
中学生の頃の雨宮さんと梅野さん
「く、く、く」「クルックス菅」
絵の具を零したような夕焼けが空に広がっていた。
橙色に満ちる理科室は、凛とした静謐に満ちていた。少なくとも、彼女の胸元にある赤いスカーフが、ひらひらと揺れているだけで、なんだかふたりだけで浮世から逃げ出してきたような錯覚に陥ってしまうくらいには。
おかしいな子みたい、と唇に触れていた指が、夕焼けに浄化された空気を掠めた。
まるで、2人だけで夕焼けに溺れるのも、悪くないんじゃないかって。
(本当、おかしな子みたい)
「酸化マグネシウムの実験は白く光って変な匂いがしたね」
「なんだか、きらきらしてた」
「星が壊れる時って、あんななのかしら」
古い理科室には、たくさんの標本があった。
蝶、鳥、虫。
ホルマリンに漬けられ、永遠にされた死骸。
息を止めてそれらはじろりと私たちの罪のない逃避行を眺めている。
彼女の白い足は世話しなく動く。
白く薄汚れた引き戸を開くと据えた匂いがして、思わず眉根を寄せた。彼女は、面白そうに笑った。
「変なにおいがする」
「うんうん。そこはね、先生が化合した溶液の置き場なの」
宵闇を切り取ったような髪が私のそばで揺れる。
近くで見る彼女の瞳は夜空のようで、なんだかいつか読んだ絵本を思い出してしまった。瞳の奥に無数に輝く星。きっと、彼女は私を置いていくだろう。
「真空放電は、きらきらしてて好きだった」
「光ってたらなんでもいいの?」
彼女の横顔が、滲む。
二人で沈むなんて、現実を生きる私たちには出来なかった。どう逃げても、結局セーラー服を脱ぐ日が来るのだ。来て、しまうのだ。彼女と私は、ひとりぼっちで広い宇宙に放り出されてしまう。きっと、カムパネルラは、宇宙の魚になってしまった。
罪のない逃避行。
今だけは許して欲しい、なんて。
(なんて、罪ばかりじゃあないか)
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