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誕生日だった。
昨日は自分の誕生日だった。
もう少し若い頃は仲間に盛大に祝われてなんぼ、という感じだったけれど、
今は自分がもらったプレゼントを全て丁寧に並べて写真を撮ってSNSにあげるとか、そういう気力もないな、と思ったのが「歳をとったな」という感覚を助長させる感じだ。
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![](https://assets.st-note.com/img/1710055658921-HXulWkD1oI.jpg?width=1200)
知人にささやかなプレゼントをもらったり、
LINEギフトを頂いたり、
実家の母から荷物が送られてきたり。
そういう事柄が嬉しいと思った。
旦那はその日は仕事だったので、パーティというパーティこそしなかったし、
むしろ旦那は1歳半検診の時に一緒に来てもらい、その時に保健士さんやらに言われた言葉に傷ついていて、「落ち込んでる」と言っていた。
前祝いはしてもらったし、なんなら義理のお母さんからもケーキを頂いたので、寂しいという感じでは全然無かったのだけれど。
誕生日なのに
という執着は特に無かった。
skyにインしてみた。
フレンドに誕生日とか特に共有していないから、いつも通りの時を過ごした。
いつぞやかフレンドになった子におもむろに手を引かれていく。
ロシア人だったらしいけど、名前も知らないし、チャットテーブルで、話してみたけれど
翻訳しても何を言っているか分からないまま
「バイバイ」
とチャットが切れて、一人取り残された。
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少し歩くと、不思議な場所にたどり着いた。
メッセージボードを浮かべられるようになっていたので、そっと浮かべる。
私の誕生日は3月9日だから
レミオロメンの「3月9日」のメロディを演奏したかった。メロディだけでしか弾けないけれど。
楽器魔法を使って演奏した。
聞いてくれる人は居なかった。
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そんな自分に誕生日プレゼント、ということでピアノを交換した。
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草原等でもピアノを奏でてみた。
勿論聞く人はいなかったけれど。
もっと上手になりたいな。
雨林でパン焼き、キャンマラをして
誰かのシェアスペで少し眠った。
誕生日の夜はこんな過ごし方をした。
誰かに祝われる時間。
そして、誰にも何も言われない時間。
その間に生まれる感情。
誰かがいることといないこと。
その両方から得られるものがある。
誰かの誕生日に誰かが落ち込んでいる。
誰かが泣いている。
そんな存在を抱いて
地球は回っている。
完璧な孤独はこの世には存在しなくて
自分が孤独に閉じこもるか否かなのかもしれない。
孤独はまた儚くも、美しい。
そんなことを感じながら、また1つ歳をとった。
読んで頂き、ありがとうございます。
読んで下さった皆様が
ささやかな幸福を、ささやかな孤独を
ゆっくりゆっくり抱きしめることができますように。
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