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イタリア・教会壁画アシスタント回想記(または偽ポントルモの日記)
今から20年ほど前、とある教会にフレスコ大壁画が新規制作されました。その、準備から完成までを、私はアシスタントとして間近に体験する幸運に恵まれました。
当時、自分自身の備忘録もかねて、家族や友人数名に進捗状況を記したEメールを送っておりました。
SNSはまだアイデアすらなく、メールがようやく市民権を得てきたころ。友人から「モバイルギア」を譲りうけ、それを電話用ソケットにつなぎ、主に週末にメール。
友人たちからは偽ポントルモの日記、略して「偽ポン日記」と呼ばれていました。
一旦「モバギ」のクラッシュで全て消失しましたが、友人たちの手元に残っていたメールから、一部を除いてほぼ復元できました。
今回はメールを要約し、記憶を補いながら、この経験について記したいと思います。
(フレスコ普及協会会報20015年掲載文の改訂版となりますが、技術面などはわかりやすい形にして極力残しました。)
ミニ知識 ・・・フレスコ・テクニックとは、壁にモルタルを塗り、乾かないうちに絵を描く壁画技法です。イタリアでは古代ローマ時代から受け継がれた技法で、1300年台以降は「ジョルナータ」という、一日に描けるぶんだけ壁を塗り、次々と継ぎ足していくという手法が取り入れられました。ブオン(真正)フレスコとは上記の方法で描くこと、描かれた作品をさします。そのほかにフィント(偽)フレスコまたはセッコと呼ばれる壁画・技法があり、こちらは乾いた壁に描画することです。・・・・
作品発注の背景とアシスタント拝命の経緯
イタリア・シチリア島、古代ギリシャ時代の遺跡「神殿の谷」を擁するアグリジェント。
遺跡から海辺の町サンレオーネへの途上に「聖ピオ10世」教会があります。
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21世紀の幕開け当時。
25年ごとに行われるカソリックの「聖年祭」、なかでもさらに大きな区切りとなる、キリスト生誕2000年『ジュビレオ2000』にむけて、イタリア中の教会で、独自の記念事業が企画実行されていました。教会や収蔵品の修繕・修復はもとより、コンサート・公演会なども盛んでした。
そんな事業のひとつとして、アグリジェントの聖ピオ10世教会から、主祭壇画「キリスト磔刑と聖人図」が、画家Chillura(キッルーラ)氏に発注されました。
この7.5mX 6.4mもある大壁画は、フレスコ・テクニックでつくられることになります。
私は1997年からイタリア・フィレンツェでChillura氏のスタジオで絵の勉強をしており、1999年には隣市プラートにあるフレスコ画校Laboratorio di Affresco Vainellaでフレスコ・テクニックも習得していました。
そのような関係で、この一大事業にアシスタントという形でかかわり、大壁画が生まれる過程を間近に見、体験することになりました。
準備期間 2000年~2001年5月
{図像の決定}
磔刑図でキリストを取り巻く聖人の選択を、画家は施主である教会の信者会・司祭と詰めていき、フィレンツェのアトリエで全体構成とモデルデッサン、フレスコテクニックでの試作をスタートします。
{支持体の問題}
教会の創建は第二次大戦後で、壁の主建材は鉄筋コンクリートであったため、ブオン(真正)・フレスコを事故無く後世に残すためには、描画壁としてレンガ積みの壁をもう一枚建てる必要がありました。工事はアグリジェントで代々教会関係の建築・躯体修復を手がけている職人ブオンテンポ親子が施工しました。
{材料選定}
描画層のイントナコ(モルタル)に使用する材料を選定し、トスカーナからシチリアへ配送手配。
リボルノで船に荷積みされ、パレルモで上陸、トラックでパレットごと教会に輸送されました。
スタジオではイントナコのベスト配合を探るため繰り返しテスト。
{ボッゼット(ミニチュア出来上がり見本)}
全体構成が決まった後、幅が約1.5mほどある縮小版見本を本番と同じテクニック、真正フレスコで制作しアグリジェントに送りました。
これは寄付を募るために、本作が出来上がるまで、教会内に展示されることとなります。
メールを読み返すと、私は2001年3月あたりから本格的に手伝うようになり、デッサンをカルトーネ(実物大下書き)へ移し変えたり、試作のためのイントナコ配合と塗り、マントを羽織ってうずくまるマグダラのマリアのポーズでデッサンモデル(もどき)などもしていました。
いざアグリジェントへ 2001年5月
画材一式、キリストと聖人10人+馬一頭のカルトーネの入った巨大な筒3本、その他資料を持って現地に到着すると、建築用足場3層のむこうに、下地塗り「アリッチョ」が一面についた壁ができていました。
早速シノピア(壁上の下書き)を下地塗りの壁に描き、足場を下りて教会堂内からの見え方をチェック。人物で微調整の必要があり、シノピアでの変更をカルトーネに反映させました。
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夏は気温が高すぎてフレスコ制作には不向きと判断し、一旦フィレンツェに戻ります。
再びアグリジェントへ 同年9月末
いよいよ本番が始まる!と意気込んで教会入りしたものの、この年の猛暑はなかなか去らず、日中気温が27℃を超えなくなるのを待つことに。
そしてようやく10月31日フレスコをスタート!
ブオン・フレスコ制作 前半(10月31日~12月15日)終わりの始まり
1~2週目
足場の最上部にて、約2週間をかけ、建築モチーフ・空・背景のギリシャ神殿・十字架脇にいる天使を描きました。
初日が終わったときのメール・・・
「今日は記念すべき日かもしれません。アシスタントとしてですが,初めて教会の壁にフレスコを描くという経験をした・・今日はフィナーレの始まり・・」ちょっと興奮気味。
次のメールには・・・
「ともかく全て大きいのです。月曜の柱は幅が30センチくらい、描いた部分の長さは2メートル以上。木曜の空は2平米くらい・・・」(以後は毎週末にメールを配信)
そして上層の足場板を取り除き、中段へ移動。聖人像は足場の中層・下層にわたっているため、足場固定具の間隔をせばめて取り付け、フレキシブルに板の高さを変える必要があった。
3~6週目
聖人たちは右翼からスタート。教会名の由来であるアグリジェント出身だった法王ピオ十世、福音書記者のヨハネ、ひざまずくペテロ。
ペテロでは手を焼いて、彼だけで2度やり直し(そのとき神父がペテロの笑い話、彼は石頭で融通が利かない性格だったというエピソードを話してくれて一同納得)。いずれも絵の具の定着具合が理由でした。
右翼の三聖人ほぼ完成(12月15日)
そのころ教会でのイベントが多くなってきたので、ここでフレスコ制作はクリスマス休暇となりました。
この時期のメールには、毎日の進捗(ジョルナータの区切り)以外に、昼夜の食事にカルチョーフィ(アーティチョーク)のリゾットを頻繁に作っていたこと、12月13日のサンタルチアの祭日に、サクリスタ(聖具室係)がクチーアという伝統のお菓子を作ってご馳走してくれたことなども。
ブオンフレスコ制作後半(1月7日~2月2月22日)完成に向けて
明けて2002年、1月7日に制作を再スタート。
2000年の記念事業にもかかわらず、2002年にまだ作業まっさかりなあたりは、イタリアならではかもしれませんね。
7~9週目
新年の描画は中央のキリストから。
キリストのジョルナータ(描画区分)の詳細
・月曜・頭部と右腕
・火曜・左腕と胴
・水曜・キリスト周辺の空
・木曜・腰布
・金曜・両足
・土曜・槍でキリストをつくローマ兵の一部
これでキリスト完成。
十字架上部の天使とは数週間分乾きが違うことになり色あわせが難しい。
このあと2週間かけて中央部分のローマ兵と馬・聖母マリア(顔が気に入らずやり直し1回)・マグダラのマリアと背景・建築モチーフを終了。
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10~13週目
次の週は、最左翼の建築モチーフと背景の神殿・空など。気温がやや上がって15℃前後に。
そして、最後の3聖人、サンタ・ロザリア、サンタ・ルチア、聖ジェルランドに、2週間と2日。人物下の床を3日(1翼につき1日)で終了。
この二人の聖女の顔では2度やり直し。
一度目は画家本人が気に入らず、2度目は何かの影響で斑点状に色むらがあらわれ、没に。(なぜかいつも二人セットで描いていた。)
この斑点の原因について、「サンタ・ロザリアはやり直すたびに違う顔になり、正直なところ3度目の顔が一番良い出来(サンタ・ルチアはいつも美しい)」で、「自分の顔に満足しなかった聖女の抗議表明」か、足場に差し入れられたカーニバルの揚げ菓子「キャッケレ」の油脂が混入してクリスタル化に悪影響を与えたか、と分析しておりました。
メールにはまた、2月に神殿の谷(考古学地区)で行われるアーモンドの花祭に行ったことも。このお祭りは世界の各地から民族舞踊や伝統音楽の団体が来て演じるというもの。アーモンドの花が桜に似ていて、シチリアは春の訪れが早かったことを思い出します。
フレスコ壁画制作の最終日、左下に「ジュビレオ2000」のシンボルマークと作家・アシスタント・左官職人の名入れ(これはアシスタントの役目だった)、2月22日ついにフレスコ終了~。
「計69ジョルナータ、うちやり直し7回」とメール。
しばらくは朝起きて、「今日はもう足場を上がらなくていいのか」とほっとしていたように思います。足場の解体を見て、さびしい気持もありつつ、ようやく終わったんだ、と実感しました。
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そして、2002年3月17日、復活祭と同時にフレスコ画の除幕・聖別式が盛大に行われました。聖別はパッパラルド枢機卿によるものでした。
おわりに
フレスコでは乾燥後、テンペラでトーンの調整をするのが通常ですが、さまざまな事情でこの作品にはおこなわれていません。
写真はフレスコ完成直後のものです。
数年後に再訪したときには、色彩がより明るく輝いていました。
シチリア・アグリジェントにお越しのさいは、ペルッツィ地区の聖ピオ10世教会(Chiesa di S. Pio X a Villaggio Peruzzi)を訪れてみてください。
当初は誰もが祭壇画を見られるように、つねに正面扉が開いていました。教区神父の代替わりで方針は変わったかもしれません。
写真が少ないことについて
画家は制作過程がのこされることを好まず、特に本番のフレスコがはじまってからはカメラ禁止となりました。ここに掲載した途中写真は一度だけ禁令を破って撮影し、事後承諾を得たものです。
・・・・・・・
さて、ここから先は、テクニカルなことに興味があるかた向けです。フレスコ制作する方、やってみたい方、には有益な情報があるかもしれません。そうでない方には退屈なだけですので、読む場合はご了承ください。
テクニカル
イントナコの材料と配合
・不純物の無い砂(マッサチュッコリというタイプ) 2
・2年物のグラッセッロ(石灰クリーム)1
役割分担
画家をサポートした左官とアシスタントの役割分担
イントナコ混合作業は、レンガ積み・アリッチョも施工した教会御用達の左官職人が担当し、2~3週間に一度のペースで工事用ミキサーで混ぜて保管し、徐々に使用しました。描画層の塗りも毎日大面積だったので、大部分は職人にお願いしました。彼がいなければ、これだけの面積をこの期間で終わらせることはできなかったと、画家はじめ関係者一同異論がなく、前例は無いのですが、左官の名もフレスコに残すことになりました。
私(アシスタント)は主にジョルナータを切ること(タリオ)、翌日のジョルナータの接合(アッタッコ)、下絵の転写と輪郭トレース、色の混合などを担当。やり直しなどで小規模な場合のイントナコ塗り。上部と下部の建築モチーフの筆入れに少し参加。筆・道具洗浄。清掃・食事係。
作業時間
午前8時ごろからイントナコ塗りの作業開始。塗り終えたあと、下絵転写・描画に適した状態になるまで通常で1時間、引きが悪いときには2時間ほど待機。描画は、ミサがある関係でたいてい午後5時半まで、フレスコ後半には夜10時ごろまで続けることもありました。これを週6日、当初は教会祭事の間は休みましたが、冠婚葬祭の絶えない教区のため、中断していると納期がさらにずれ込むことが予想され、途中からはほとんどの場合、ミサ中も続けていました。
冬になり、気温が教会内部で12~13℃になったころ、塗ったイントナコの「引き」が悪くなり待機時間が長くなったことから、アリッチョに与える水を調節しました。初期(夏~秋)には3リットル与えていたものを、0.5リットルに。冬には描画も10時間以上可能になり、色の定着もよかったので、夕刻のミサのあとも制作していました。
何か参考になることがあれば幸いです。
お読みいただきありがとうございました。
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