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道は続く
冬休み最終日です。
昨日一昨日は大切な人とのお別れをしてきました。
訃報を聞いた時、ヨガウェアでレッスン7分前。
ここから2時間半。お通夜まで3時間…。今から準備して…と頭が働く前に体が動いていました。運転が苦手な私がこの冬道に高速に乗って、北に向かうと選択したことに今でも驚いています。そんな長い旅路で色々考えました。朝起きても考えていることがあって、言葉にしたい。そう思って、体を起こし、パソコンに
向かっています。先生と私の思い出にお付き合いしてくださる方がいれば読んでくださると嬉しいです。
先生との出会いは大学2年生の秋です。
行きたい大学にも行けず、空手も辞め自堕落な生活をしていました。
何も残らなくなった時空手をやろうかなと部活に行くと後輩が
「私が通っている道場に来てみませんか?」と誘ってくれました。
道場に行くと、きつい練習が待っていました。
それまでの私は何事にも本気で向き合うということがありませんでした。
本気で向き合った先に「結果」がないことが怖かったし、本気じゃなかったからと言い訳できるからです。それでも何となーく試合にも勝てたし、勉強もそれなり。
本気じゃないのに「結果」を残せる自分にも満足していました。
そんな私が練習に打ち込めるわけもなく、道場に行ってはサボり、廊下で保護者と話していても何も言わない先生。それでも私を道場に連れていくのに、毎回大学の正門まで迎えに来てくれる…不思議でした。
ある日、そんな雑談に先生が入ってきて、何気なく話している中で、
本気でやれない自分について話していました。すると先生が、
だったら一度本気で僕とやってみましょうよ。お手伝いしますから。
別に素敵な言葉でもないシンプルな言葉。きっと今までもこんな言葉を私にぶつけてくれた人はいたと思います。でも、なんか響いたんです。
翌日私は空手に専念するためにバイトを今月で辞めますと伝え、準備を進めます。
なぜ、あの時私が動いたのか、これは未だに説明がつきません。サボっている私を叱っても動かなかっただろうし、熱い言葉でも動かなかったと思っています。
私をよく見て、適切な時にシンプルな言葉を投げかけたのでしょうか。
(その意図については数年経った時に伺ってみれば良かったです。きっとはぐらかされるけど笑)
そうして、私は本気で練習に打ち込みます。あの厚い道着が汗で絞れるくらい、時には擦れて血が出て、血まみれになる時も。
練習がしんどくて、意識が飛びそうな時も吐いた時もありました。それでも絶対に手を抜かない。これが最後の一本だと思って、先生の練習に打ち込みました。
上手くなったかは分かりません。でも確実に私の心は成長していました。
練習までの1時間の道のり、練習前後のご飯、普段のお誘いの中で、先生とたくさんお話ししました。そんな先生との会話の中で、最も忘られない言葉があります。
100人生徒がいたら、10人上手くするのなんて誰にだってできるんだよな。
でも、100人全員が上手くなる指導がしたいって思ってる。
大事なことの多くを語らない先生でしたが、私の先生の空手道、人となりを感じる一番の言葉だと捉えています。
道場に通ってくる子たちには様々な背景・文脈があり、その子にとっての成長があります。「その子のこれからにとって何が大事か。」そんなことを考え、空手を手段として、「人を育てる」先生を指導者として心から尊敬していました。
この考えは私の教育観の根っこにあります。
「一人ひとりが生きる」というテーマが私の研究テーマです。
「今を生き生きする」 「未来に生きる」ことを大切に、一人ひとりを向き合いたいと思っています。
そんな先生に一度だけ叱られたことがあります。
大学3年生の時、インカレに行って、衝撃を受けました。
全国にはこんなにすごい選手がいるんだ!
完全にビビっていまい、思うように自分の形が打てず、北海道へと戻りました。
先生から「どうだった?」と聞かれた際に、
会場のマットに滑ってしまって…と話すと
だったらマットで練習すれば良かったじゃないですか。言い訳はしない。
ハッとしました。それと同時にまだ自分の中にある言い訳志向に気付きました。
こうして私は
「来年もう一度、インカレに行く。言い訳をしない満足するパフォーマンスをして、引退する。」
そう決めて、今まで以上に練習に励みました。
そして、大学4年生の春にもう一度インカレの切符を手にします。
日程を見ると、教員採用試験の一次試験とかぶっていたのです。
悩みに悩んで、
「インカレは人生で最後。教員採用試験は来年も受けられる。」
とインカレに出ることを決めます。先生に報告しようと思っていると先生から電話が来ました。
大会お疲れ様でした。良かったね。あなたはこの後教員採用試験を受けます。
(でも…)
あなたは早く先生になりなさい。きっとあなたを待っている子どもたちがたくさんいるから。
そうそう。空手じゃ飯食えないですからね笑
あの時、採用試験を受けなかったら別の道に進んでいたかもしれません。
天職である教員になっていなかったのではないかと思います。
そして、今の自分の教育観にはなっていません。
先生のおかげで、たくさんの人にも出会うことができました。
帰ってきて、友人と話しました。
「これだけあなたを動かしてくれた人と出会えたことが羨ましい。
今はさ、後悔(会っておけば良かった)、悲しい?どんな気持ち?」
そうだな。もちろん寂しいけどさ、
先生の「道」を大切に、もっと精進していこうって思ってる。
そう答えました。
空手の「道」は選びませんでしたが、教育という形で先生の「道」を歩んでいます。
先生、本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした。
安らかにお眠りください。
長い長い私と先生との思い出に付き合ってくださった方、ありがとうございました。
もし、私が道から逸れてしまった時は、ご指導いただければと思います。