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12月11日 教育者として活動する方途を考えたい

12月11日ですね。

今回盛岡で考えさせられたのは、自分の教育者としての血です。

盛岡市先人記念館に行ったのは、米内光政氏の事績を偲ぶためでした。
この施設は、盛岡に深いゆかりのある先人たちをまとめて顕彰しています。

その中でも特に記念室として専用の区画が設けられていたのが米内光政氏、新渡戸稲造氏、金田一京助氏の三氏でした(原敬氏と石川啄木氏は別に記念館があります)。

新渡戸稲造氏と金田一京助氏について、私は最低限の知識は持っていましたが、きちんと体系立てて学ぶのは初めて。お二人について書かれた本すら読んだことがありませんでした。


二人とも大学で教えており、教育者としての実績は十分です。
米内光政氏もまた、包容力を持った教育者としての資質があり、海軍で米内氏と並び称される山本五十六氏、井上成美氏も教育者としての挿話に事欠きません。


展示物を食い入るように見ているうちに、自分の教育への血がたぎるのを感じました。
私の祖父は二人とも教育者です。神戸大と岡山大で教えていたと聞きます。


特に父方の祖父は教育学者であり、戦後すぐ、学習カリキュラム研究で今も取り上げられる明石附小プランを主導したそうです。
その影響なのか、私の親族にも教員が何人かいます。


私はそもそも組織に馴染めず、一匹狼として生きる道を選んだので、教員ははなから自分の進路として眼中にありませんでした。

ところが、人生も中盤に差し掛かった時期にエバンジェリストという私にとって未知の役割を拝命し、そこから仕事の上でも研修講師を担う機会が増えています。

ちょうどこの前日、kintone Caféで皆さんの前でkintoneについて話したばかりです。

そうした活動をへて、人に教えることの面白さも少しずつ分かってきました。
そして、先人記念館の展示物を見るうちに教育者としての血が私の中で高まってきました。


有名な格言として、人を残すのは上、仕事を残すのは中、金を残すのは下というものがあります。

私もそろそろ、人を残すことを考える年齢に差し掛かっています。


経営者には本来、人を残す役割があります。ところが、今の私はまだ案件に携わらざるを得ず、満足にうちのメンバーに教える役割が果たせていません。

そもそも、教えることとは、自らの中にある知識のありったけを相手に伝える行為です。

そうした知識とは、一朝一夕に伝えられるような薄いものではありません。

私の属するのは技術業界です。日進月歩で技術は進みます。そのため、かつて得た古びた知識を振りかざしても役にたちません。教える側にも学ぶことへの飽くなき探究心が求められます。


ただ、技術はどう変われど、考え方については教えられるように思います。

例えば私が主に扱うkintoneを例に挙げれば、アルゴリズムやデータの持たせ方などは。

そろそろ教育者として活動を始める時期なのかも知れません。盛岡で学んだことの一つです。

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Yoshikazu Nagai(長井 祥和)
ありがとうございます。 弊社としても皆様のお役に立てるよう、今後も活動を行っていこうと思います。