5月16日 組織とマニュアルの限界
5月16日ですね。
今回の福島の旅で訪れた廃炉資料館や原子力災害伝承館では、その膨大な仕組みや組織や運用のオペレーションも説明パネルで掲示されていて、じっくりと学ぶことができました。
廃炉資料館では、膨大な原発の仕様書や保守規約、事故報告書の現物を見る機会がありました。私も実際にファイルのページを繰って内容の一部を読みました。
福島を離れた後も、仕事の合間の移動に原発や地震に関する本を何冊も読みました。
そうした経験から私が学んだ事。
それは、組織の限界とマニュアルの限界です。
責任体制がきっちりと定められ、マニュアルを遵守していれば業務が進められるのは、平時の状況です。
平時の状況ではマニュアルがあると強いです。
業務が標準化されることで、研修や受け入れも円滑に行き、日々の運用も整然と進みます。
問題は異常時の対応です。
事故当時、現場の方は電源が失われた状況で精一杯のことをしたと思います。その一方で、当日は情報伝達の不足が事故を招いたと言う分析もあります。
電源が失われ、灯りも状況も見えない中、放射線量が刻々と増加する極限状況の作業は、マニュアル以前にその場で判断しながらの場当たり作業を要求されました。
現場がそのような状況であれば、広報など外部との側の方々との連携はもっと取れません。
それが結局、東京電力や当時の政府やその他保安院などの関係各所の発表を後手後手に回らせ、大いに信頼を失わせたのはご存知の通りです。
異常時にはマニュアルには載っていないことが頻発します。
むしろ、マニュアルに載っていないからこそ異常時といえます。
原発を作った当時の方々や長年原発に関わられた方は、可能な限り、異常時でも対応できるようにマニュアルで記載していたのでしょう。
ところが、マニュアルには、電源が全て失われる状況まで想定されていなかったのです。
では、電源が完全に失われた場合のマニュアルまで作っておいた方がよかったのでしょうか。
そもそも電源が失われたら、全てが御破算になる。もはやマニュアルどころではないと言う開き直りがあったのでしょうか。
色々と考えさせられます。
今の弊社の状況に置き換えると、あらゆる状況が考えられます。
今の弊社は弱小かつ零細です。マニュアルもまだ整備途中です。
そもそも人数が少ない状況では、それぞれがそれぞれの案件をそれぞれの判断で動く方が早く動けます。
最近もここき書きましたが、電源が失われた状況において、IT業者が何ができるのか。もう開き直るしかないのかもしれません。
私たちIT業者は電源がない状況まで含めてマニュアルを作っておくべきなのでしょうか。
おそらく理想論を言えば、作っておくべきだと思います。
それはわかっていますが、弊社の場合、通常の業務マニュアルさえまだ心もとない状況です。さらに案件に追いまくられている今の状況の中、電源が失われた場合のマニュアルまで作る余裕がないのも確かです。
原発でも、電源が失われた場合のことも含めて考えておくべきだったのでしょうか。
おそらく、社会の多くの方からは、社会インフラを担う業者の責任である以上、作っておくべきだったと言われるのでしょう。でも、それ後付けです。
さらに、こうした異常時の対応を準備すればするほど、前もって組織を作って備えておく必要があります。つまり、組織は肥大化していきます。
さらに、そのためだけに大量のマニュアルと人員も必要となります。
それらはすべて単価に反映されていきます。
結局、私たちはどこまで異常時の対応に備えておけば良いのでしょう。人一人の対応力に頼らざるを得ないと言うことにならないでしょうか。
弊社は今、その状況です。
ただ、その状況だと新陳代謝が進みません。
新しい人が来た際に、その人の対応力に丸投げしてしまうことになり、新人の定着を阻みます。
まさに、うちが失敗してきた歴史の繰り返しです。
結局、弊社で作るガイドラインも、どの業種、業態でも横断して使える共通のものを作らざるを得ません。
各案件によって変化する個別対応については、各担当の対応力を磨き、それに頼らざるを得ないというジレンマがあります。
そこを踏まえて、どこまで標準化するかについては今考えています。
いくら膨大なマニュアルを作って責任分担をきっちり決めたところで、対応できない事は今回の福島の旅でかなり感じました。
組織とマニュアルの限界です。