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12月10日 米内光政氏を偲んで

12月10日ですね。

盛岡といえば、私にとっては米内光政氏の故郷です。
着いた初日に米内光政氏の居住地跡と盛岡八幡宮に立つ銅像を訪れ、翌日は盛岡市先人記念館に設けられた米内光政記念室を巡り、円光寺のお墓にも参拝しました。

米英と戦争すると国が滅ぶ、という信念を持ち、海軍の連合艦隊司令長官から海軍大臣、そして、日独伊三国同盟の締結への阻止を期待され、総理大臣の任につきましたが、半年で辞職を余儀なくされ、終戦に当たっては再度海軍大臣として登板を請われ、終戦から海軍の解体までを執り行った方です。


私は大学生の頃から太平洋戦争に関する多くの本を読んできました。いわゆる海軍の米内光政、山本五十六、井上成美の三氏については特に。

若い頃の私は井上成美氏に惹かれていました。尊敬する人物として、カミソリと称された理論肌の井上氏を挙げていた時期もあります。今ももちろん尊敬すべき方です。


ただ、年齢を重ねるごとに、米内光政氏にも惹かれつつあります。

大人のような包容力とスケールを持ち、膨大な知識を持ちながらそれをひけらかさず、口数も少なく、でもいざ国が難局の時は身を削って挺身する。
米内光政氏とはそんな人です。


もちろん完全無欠な人物ではなく、失敗もあったことでしょう。
米英と戦えば負けると分かっていて、その風潮に抵抗しても、結局は大いなる時代の流れに逆らえなかった。
それが組織の恐ろしさであり、米内氏であってもその時勢には抗えませんでした。


私もただの人。
ただ、私は当時の難局にあたり、米内光政氏の努力の何分の一もできたかどうか。


私は自由人でいたいと心の底から願っています。それを目指すために独立の道を選びました。しかしそれでもなお、組織の力の強さからは逃れられていません。


今の私は、経営者であるため、組織の引力の強大さをより知っています。

井上成美氏のように、曲がった事は許さず、敵を作ることも辞さずに相手を論破するような生き方はできません(氏が戦後に逼塞し続けた潔さは今も尊敬しています)。


今は読書によって見識を持ち、人を導かずともその人格で人がついてきた米内光政氏のようになりたいと思っています。

経営者として技術者として、教育者として。
余生をどう生きるか。考えたいと思います。

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Yoshikazu Nagai(長井 祥和)
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