4月25日 電車の定時運転は見直される時期なのかも。
4月25日ですね。
今日はJR福知山線の脱線事故から19年ですね。
二年前の五月に事故現場の慰霊施設を訪れた話はここに書きました。
その時、私は個人の責任を追求すればするほどかえって逆効果だと書きました。
今もその時の考えに変わりはありません。
今日は、それに加えて、人に責任がかかりすぎる仕事こそ、自動化されるべき、または分散すべきということを考えたいと思います。
今回の例で言うと、運転士という役割です。
私は普段、毎日のように電車に乗っています。
わが国の電車はおおかた、定時運転が維持されています。その正確さは世界一とも言われています。
確かにそれは賞賛されるべきことです。ただ、それは人間の注意力を極度に発揮した結果、実現できています。
鉄道の運営とは、運転士、車掌、駅係員、保線員、配電所、架線保守、車両保守、管制のそれぞれが職務に専念し、それぞれが集中力を発揮しながら協力して営まれています。
そうした多くのプロフェッショナルの連携のもと、電車の定期運行は維持されている一方で、運転士や車掌は一人きりの仕事です。いくらマニュアルが整備されていても、遠隔によるサポートがあったとしても、その当人に注意力と集中力が求められます。
私がお客様のもとでやっている伴走開発も、基本は独りです。
ただ、その場でもし間違ったことを言ったとしても、その場で修正が利きます。
ただ、列車運行のような仕事は、過ちの修正ができません。
ここが他の仕事と運転士やパイロットとの違うところです。
旅客機のパイロットは二人体制ですが、電車の運転手だけは多分、これからも二人体制になることはないでしょう。
となると、独りきりの運転士や車掌のオペレーションの疲労度は減りません。
そして、世の中から定時運行への期待レベルが下がることもないでしょう。
となると、運転士のオペレーションを少しずつ減らしていき、ゆくゆくは自動運行にするしかないと思います。
自動運行とは、神戸のポートライナーや大阪のニュートラムや東京のゆりかもめのような感じでしょうか。
ただ、いわゆるそれ以外の鉄道が簡単に自動運行できるようになるとは思えません。沿線には踏切もあれば、駅のホームドアが未整備だったり、山間部に入れば動物の侵入もあります。
となると、自動運転は難しいです。
そう考えると、運転士も二人体制にするしかないかな、と思います。
ただ、それがコストの面で難しいのは昨今の鉄道会社のコストカットの事例を見ているとよくわかります。
そう考えたとき、そろそろ定時運転を過度に求めすぎる考えは私たちも改めたほうが良い気がしてきます。