ダピオ・カーン TEA END
「こないね」
黒糖タピオカミルク専門点「枕牡丹」、15時。ティータイムにちょうどいい時間だが客人は一人もいない。一時間まえにUber EATSからの注文を消化してからずっとこの状態だ。一ヶ月前に行列がブロックを一周できた盛況はウソのようだ。
「あちぃー……」
東京の夏、悪辣な太陽、湿度、温暖化、ヒートアイランド現象、昼過ぎても39℃の気温の中で出歩く者はあまりない。店の天井から伸ばした日よけにチューブが繋がっており、間欠に水霧を吹き出す。気休め程度でしかない冷却だ。店内に見やると、左腕にチベット文字のタトゥーに覆われている黒シャツのバイド店員がヘッドホンをつけて、目をつぶり下の唇を噛み、「んっ、んんっ、んっ、んっ」と声を発しながら、両手を何を握っている形でリズミカルに振っている。トラミングの仮想練習だ。店長として彼を止めるべきかと考え、やめた。今の子はなにがあったらすぐSNSに晒すから扱いつらい。
(まあどうせ暇だし、問題ないだろう)
「ふわ~」店長は欠伸した。
(いや、逆に考えると、これでいいかもしれない。一ヶ月前の方が正常ではなかったんだ。客たちはSNSの騒ぎに煽られて群がってきただけ。あの頃は大変疲れてで死ぬかと思った。今はやっと通常の業務に戻れた。よいではないか、うん)
「タピオ、カーン」
(そもそも夏場で甘くて腹に溜まりやすい黒糖ミルクティーの売り上げが下がるのは当然だと記録が示している。しかしもっと涼しいなった時、うちの焦がし黒糖の香りが道三本までに伝わり、そしたら客足がまた……)
「タピオ、カーン!」
「ほぃよ!?」
突然の大声が店長を思案から現実に引きずり戻した。そして見た、カウンターの前に、黒い馬に乗っている鎧を纏った、黒ひげのモンゴリアン騎兵が!
(えっ、なに?馬?騎馬警察?東京にあるの?しかもコスプレ?なに?)
店長はあまりに現実にかけ離れた来客に対して混乱に陥り、言葉を発せなかった。モンゴリアン騎兵は馬を降り、乳白色の目でカウンターにあるメニューを見つめた。後ろにずんぐりとした体形の馬が「タプゥーン」と鳴った。
「(あっ、メニューを見ている?つまりティーを買おうとしている?私としたことか!)い、いらっしゃいませ!当店は焦がし黒糖ミルクがおすすめですよ!」
やっと自分の役目を思い出した店長。
「ムゥー……」
ひげを掻きながメニューを見つめているタピオ・カーン、なかなか決められない模様。
「もしも迷ったら、黒糖をおすすめ……ウッ!?」
睨んできた!店員の介入が快く思わないタイプのお客様のようだ。
「ごゆっくりどうぞ〜」店長はサービス精神を最大限に高めて穏やかな笑顔を作った。「カーン……」唸るタピオ・カーン。そして。
「Lサイズの黒糖タピオカミルク、糖半分氷少なめ。それとLサイズの黒糖タピオカブラックティー糖半分氷正常でお願いします」
ゴビ砂漠を想起させるしゃがれた声で注文を伝えた。
「(通の注文仕方だ!)かしこまりました。Lサイズの黒糖タピオカミルク糖半分氷少なめ。それとLサイズの黒糖タピオカブラックティー糖半分氷正常ですね……」
タップレットで注文を入力する店長、その間にタピオ・カーンはプラスチックのカップを二つ取り出し、カウンターに置いた。
「これに入れてくれ」
環境にやさしい自前カップ!
「ECO活動に協力していただたこどで10%オフして差し上げますね。全部で980円になります」
「Suicaで」
タピオ・カーンはSuicaを電子マネー端子に当てて支払いした。
「はい、それでは少々お待ちください」
定型文を朗とした声で読み上げた店長は二つのカップを持って店の奥に入り、未だにエアトラミングしているバイドの肩を軽く叩いた。
「んだよ店長!ちょうどノッテきたところだぜうぇっ!?」
バイドはカウンターの向こうに立っているタピオ・カーンと黒馬を交互を見て、訝しんだ。
「ディーモン……」「ほら、お客さんをジロジロ見るんじゃない」「お客」……あれが?」「外見で人を見るのはよくないぞ。きみも腕のタトゥーを見られてなんか言われるのが嫌でしょう」「それはそうですけどぉー」
再びカウンターに見やるバイド、今回はタピオ・カーンと目が合った。ティーを待ちきれんばかりにカウンターに上半身に乗り出している。バイドは一秒も足らずタピオ・カーンと黒馬から目を逸らした。
「超怖い」「ティー作りに集中なさい」
二分後。
「お待たせしました!こちらが黒糖タピオカミルク糖半分氷少なめ。こちらが黒糖タピオカブラックティー糖半分氷正常です」
「どうも」
タピオ・カーンは二つのカップを受け取り、黒糖タピオカミルクの方を黒馬に差し出した。黒馬は「タプルルルン」とうれしそうに嘶き、長い舌を使ってあっという間にミルクを飲み干し、カップに付いた黒糖をキレイに舐めとった。それを見てご満悦になったタピオ・カーンは馬に乗り、懐から金属製の自前ストロー(シーライフに優しいし暗器にもなれる)を取り出し、自分のティーに差し、胸当てに設置したティー置きに入れた。これによって乗馬しながらティーを飲むことが可能!
「タピオ、カァーン!」
「タピィーフィーンヒヒヒーーン!」
口にストローを含みながら、タピオ・カーンは拍車をかけた。走り出した黒いモンゴル馬の速度が風のように早く、道に走る車両に混じって見えなくなった。
「やっと行ったか……」バイドはほっとした。「見たかあのモンゴルっぽい人、剣持っていたよね?絶対やばいすよ」
「そうかな?わたしには普通のタピオカ好きなおじさんに見えるが」
「どこが普通なのか意味わかんねえす」
「いいじゃないか。モンゴル兵の姿で馬に乗ってティーを買う、これぐらいの自由と寛容さは、この国にはある。平和の象徴さ」
「いいこと言った感じだけどやっぱ意味わかんねえ」
ータピオ・カーンが出現する場合は雷鳴と乱層雲が伴う場合が多いが、必ずやそうなるとは限らない。タピオカが軽蔑され、台無しされた際に、タピオ・カーンの感情の高ぶりが大気中の条件を変えたと云われるー
≪澱粉と神話:タピオ・カーンの章 より≫