短編小説『わたしらしさ』

私らしさ、そんなものはない。わからない。求められていない。

そもそも「自分」というものが、これまであったのだろうか。長女として生まれ、いつも親の顔色を伺って育った。親が求める私になりたくて。本当に欲しいものを素直に欲しいと言えず、親が喜ぶものが私の選択基準だった。

学校では、先生が求める生徒を演じた。「個性が大事」と言うけれども、実際は違う。学校においては先生の言うことが全てで、違う意見は求められない。大人が決めたルールのもと、大人の許容範囲内での意見だけ認められる。純粋な疑問は抱いてはいけない。なぜ前髪は眉上なのか。なぜスカート丈は膝下なのか。なぜ靴下や靴は白なのか。

社会に出るまでは、親や先生といった大人が決めた「正解」がある。私は安心して、何も考えず、何も疑問を抱かず、「正解」に沿って行動する。楽だった。

こうして大人になった私が、社会に出てから急に自分で考え行動できるのか。否、できるわけがない。大人になった私は、また同じことを繰り返す。会社に所属する一人として、会社が求めることをするのみだ。毎日同じ時間に出社し、上司の指示通りに仕事をこなし、遅くまで会社に残る。何も考えない。私は社会を形作る一つのピースにすぎず、私という一人の意見は求めれない。そう思っていた。

社会人10年目を迎える頃、転機が訪れた。この私に子供ができたのだ。親になる。それは私にとって衝撃の人事異動だ。何も考えず指示待ちだった側から、考えて導く側になったのだ。しかも恐ろしいことに、子育てには教科書やルールはなく、正解もない。試行錯誤の毎日だ。

子育ては時間や労力を要する。私という存在は、子供にとっては唯一無二で代わりが効かない。これまで通りの仕事の仕方は難しくなる。徐々に私は変わる。限られた時間で、これまで以上の成果を出すためにはどうすればいいのか、考えるようになる。周りとは違う行動を取るようになる。それが周りには、私らしさ、に写り始める。

正直、自分では私らしさはまだわからない。たぶんずっとわからず、これからも追求し続けるだろう。だけど、まさにそれこそが、私らしさを体現しているのかもしれない。

『考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる。(マーガレット・サッチャー)』

私はまだ考えることを始めたばかりだ。これからこの考えを形に変えて、自分の人生を生きはじめる。他人に決められた人生ではなく、私らしさを求めて。

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