日本の神とは
前項:巫女についてのコラム
古の日本神話
日本神話とは、我が国古くからの伝承である。
『古事記』『日本書紀』そして『風土記』などの古文献のほか、地方に細々と継承されている説話もまた神話とされる。しかし私たちが日本神話という言葉から想起する物語は、一般に『古事記』および『日本書紀』に語られるものであろう。
『古事記』『日本書紀』は歴史書ながら、神代と呼ばれる神々の時代から綴られている。こうした神々の存在は、実在した人物や自然現象などを脚色したものであろうと考えられているのだ。だから先に記したアメノウズメなどの巫女神のほか、後に詳述(※別の記事になります)することになるアマテラスやスサノオといった神々もまた、実在した誰かないし何かであったと推測できる。
なお『古事記』『日本書紀』は、共に奈良時代初期に編纂が完了した文献である。
まず『古事記』は稗田阿礼と太安万侶というたった二人の人物が、約四ヶ月という短い期間にて制作したとされている。天才的な記憶力を持つ稗田阿礼が、天皇代々の継承と諸家の古伝を見聞きし、その内容を太安万侶が執筆することで完成したのだ。全三巻の物語である。
対して『日本書紀』は、『古事記』よりも多くの人員と年月を割いて制作された。全三十巻の記録集である。『古事記』よりもさらに下った時代までを詳細に記しているのが特徴だ。
そのような性質の違いのためか、同時代に編纂されていた両書でも、『日本書紀』の完成が西暦七二〇年であるのに対し、『古事記』はそれより八年早い西暦七一二年の完成となっている。つまり歴史においては微妙な時間差ではあるが、『古事記』こそが我が国において現存する最古の歴史書という位置付けになるのだ。なお成立が非常に近しいこの二つは、末尾の語を取って「記紀」と併称される。
ところでそうした『古事記』『日本書紀』だが、元々はそれぞれ異なる役割を担っていた。『古事記』の方が国内に向けて天皇の正当性を説いた物語として編纂されていた一方、『日本書紀』の方は外国(主に中国)に向けて日本国の正当性をアピールするための史書として編纂されていたのだ。『古事記』が大和言葉で書かれているのに対し、『日本書紀』は漢文体で書かれているのも、そうした背景の裏付けだろう。
しかしこうして生まれた『古事記』『日本書紀』だが、その後の歴史における扱いは平等ではなかった。
『日本書紀』が勅撰の歴史書として諸学者に重用され、いつしか国内外を問わない日本の正史としての立場を樹立したのに対し、『古事記』はなんと平安時代中期まで宮中の奥深くに秘蔵されてしまい、その後もほとんど参照されることがなかったのである。だから後の史書に『古事記』の編纂や講読の記事などが残らず、やがては偽書説を唱えられるような仕打ちまで被ってしまった。
『古事記』『日本書紀』は共に最古の歴史書であり、国家の聖典でありつつも、異なる継承のされ方を辿ったがゆえに、明暗がくっきりと分かれたのである。
そうした『古事記』の評価が逆転し、『日本書紀』と並び立つ二大聖典となるには、江戸時代まで待つことになる。
正確には、一人の国学者の登場を待つことになる。
本居宣長である。
本居宣長と日本の神々
本居宣長とは、江戸時代中期に活躍した国学者である。
宣長を語るとき、誰もが神話との関わりのうえで語りたがる。宣長ほど神話と密接な人物はいないのだ。
宣長は、海外の国風や文化に感化され心酔する日本人の心構えを「漢意」として排し、外来思想に毒されることのない「大和魂」を強く提唱した。異国風の漢意が横行する以前の日本古代の神道こそ、日本人の道だと考えたのだ。そして大和言葉で綴られた真実の古典である『古事記』に執心した。神が支配した古の日本を解明することにより、古の日本人の心に触れようとしたのだろう。
そんな宣長が数えで六九歳という老境に至って完成させたのが、『古事記伝』である。
『古事記伝』は彼の古事記研究の究極的な到達点であり、現代においても高い評価を受ける註釈書となっている。実に全四四巻。執筆期間は約三五年。個々の考察においては後学の徒により指摘される部分もあるが、ここまで広範で精密な古事記註釈は他に類を見ない。
古事記研究の事跡が宣長以前から続いているのにも関わらず、「古事記研究の第一人者と言ったら本居宣長」となるのも、この『古事記伝』の存在があまりに巨大すぎるからに違いない。
事実として、不遇だった『古事記』が『日本書紀』の評価を飛び越え「日本神話と言えば、まず古事記」というイメージが出来上がったのは、ひとえにこの宣長の業績のおかげだ。
そんな宣長にとって日本の神とは、どういったものだったのだろうか。
その回答は『古事記伝』三之巻において、以下のように記されている。(原文は難しいので、僭越ながら私による要約文で記述させて頂く)
定義が難しい「日本の神」の実態だが、さすが宣長は腑に落ちる説明を提示してくれた。
つまり日本の神々とは、自然から生物から観念から、ありとあらゆるものから成立するのだ。
山を神聖視して成立した神――海を神聖視して成立した神――人物を神聖視して成立した神――動物を神聖視して成立した神――智慧を神聖視して成立した神――筋力を神聖視して成立した神――日本にはこうした神々が当然のように存在する。
例えば、山を神聖視することで生まれた神にはオオヤマツミという神がいる。この神の娘であるコノハナサクヤヒメ、イワナガヒメも山の女神だ。海ならばワタツミという神がいる。娘のトヨタマヒメ、タマヨリヒメも海の女神だ。以上の神々については、後の項目にて詳述する。(※別の記事になります)
歴史上の人物が神格化された有名な例では、平安時代の貴族である菅原道真がいる。北野天満宮の天神様とは、彼のことだ。学問の神様としても知られているので、受験シーズンやテスト前にお世話になった人もいるかもしれない。
動物が神格化されたユニークな例では、ニワトリの神様であるニワタリ神がいる。こちらは民間信仰の神で、『古事記』や『日本書紀』といった文献に記される神ではなく、地方の神社にて祀られる神だ。ニワトリの明朗で美しい鳴き声から喉への効験を期待されたのか、御利益も喉の病に関係するものが多い。
智慧を神聖視して成立した神と言えば、オモイカネが有名だ。オモイカネは尊敬されるべき智慧という観念を人格化した神である。日本神話の中では頼れる賢者として辣腕を振るい、現代にも伝わる三種の神器の内の二つ――八尺瓊勾玉・八咫鏡――の製作に関わった。
筋力を神聖視して成立した神と言えば、アメノタヂカラオだろう。誰もが憧れる超人的な膂力に人格を見いだすことで生まれた彼は、天界にある天岩戸を地上の戸隠山まで放り投げるほどの力自慢だ。
このように万事万物から日本の神は成立するのである。
また宣長はこの他に、善いものだけではなく悪しきものからも神は生まれるとしている。
マガツヒという神などはまさにそれで、吉凶の凶の観念から成立しており、悪・不正・災厄などの禍を象徴しているが、それでも神である。
本書においてこれから紹介する神々についても、こうして本居宣長が提唱した神の定義を念頭に置いて読み進めて頂きたい。畏れ多きは神なのだ。
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