私がXX人と呼ばれていた頃
私がXX人と呼ばれていた頃
昔々、私は、ここではないどこかの街で暮らしていたことがある。ここではないどこかの街で、私は名前で呼ばれてはいなかった。
私はただ、XX人と呼ばれていた。
念のため、彼らと彼女の名誉のために言っておきたい。あの時、差別的な意図で私をXX人と呼んだ人はいなかった。ただ単純に、私の名がここではないどこかの街では、恐ろしく発音しづらい不慣れな名前であったからだ。誰からもXX人と呼ばれている私の名を、自分だけは呼ぶことにこだわったあの子でさえ、最後には、ここではないどこかの言葉で悪漢を意味するあだ名で、私を呼ぶようになったくらいだ。それくらい、私の名はあの街では発音しづらい音を持つ名前だった。
彼らと彼女に他意はなかった。差別的な意識などかけらもなかった。単純に、この街に住んでいる珍しい存在。単純にXX人だから私のことをXX人と呼んだだけのことだった。今でも当時のことを振り返ると、私をXX人と彼らと彼女らが呼んだ理由には、差別的な意識はひとつもなかったと私は確信できる。だって彼らと彼女は私にとてもよくしてくれたし、あまりのバカさ加減に恐れられ、時には尊敬されたことさえありこそすれ、バカにされたことは一度としてない。何より、今でもここではないどこかの港から私宛に、あの頃私がここではないどこかの街で作り上げてしまった伝説について、感傷的な言葉で書かれた手紙が届くくらいだ。
まあ、名前が呼びづらいというのはあるのかもしれない。それならば、正確な発音などしなくていいから、それなりにてきとーでいいから、省略した名で呼んでくれてもいいじゃないか? 私はそう思った。だけれども、私は自分が生まれ育った街でさえ、自分の名前を正確に呼ばれたことがない。まあ、いろいろな事情があるのだけども、名前を呼んでくれないことにはなれている。なんて言ったって、この世界で私の名前を正確に口にしてくれる人は、本当に数少なく、片手で足りてしまうくらいなのさ。
そんなこともあり、ここではないどこかの街でもあることだし、とにかくおおざっぱな時代でもあったのだし、私がXX人と呼ばれるのはしかたがないことだった。
とは言え……。当時私にとって、名前ではなくXX人と呼ばれることは、それはそれは、とてもとても気に食わないことだった。
ちょっとだけ想像してみてほしい。夜のテレビで、私がもともと住んでいた国についての映像がちらっと流れたとする。翌日、いったいどんなことが私を待っていると思う?
「よお、XX人! 昨日のテレビみたぜ! XX人の母国ってのは本当にあんな感じなのか? XX人の普段の行いからは、まったく想像できないんだが……」
などと話しかけられる。
私は何度頭を抱えたことか……。
いいか、私が長く暮らしていた国でさえ、私は異常と呼ばれている存在なんだ。確かに私の母国はテレビで写った通りなのだが、私一人でXX人が全員私みたいなヤツと思うな……。そう伝えたいのだが、私はあいにく、ここではないどこかの街の言葉がほんのちょっとしか話せない。そのために、私の意図を彼らと彼女に伝えることは、身振り手振りをまじえて話してさえ、とてもとても困難だったのだ。
もちろん、彼らと彼女になんらの他意はない。
昨夜のテレビで流れた映像は、近所に住む驚愕驚異のXX人の母国らしい! となれば、翌日、近所に実在する噂のXX人に直接会ったならば、
「テレビでは、あなたと全然違う感じの国でした」
そういうことを言ってみたくなるだろう。それに、なんと言っても、実際に目にする私というXX人と、テレビの中にうつるXX人の母国では、大きなギャップを感じることは、この私自身が保証するぐらいなのだから。
気持ちはわかる。だけれども、私としては、どうにもいい気分がしないのは確かだ。
なにゆえにXX人と呼ばれるかについての理由は理解しているけれども、やはり名前ではなく、あだ名でもなく、XX人と呼ばれるのは心がざわつく。私がXX国のXX人らしくないよと言われることも、やはり心がざわつくものだし、その逆で、XX国に住んでいる人全員が、私のような驚愕驚異の隣人XX人だとも思ってほしくはないわけで……。とにかくXX人で何もかもをひとつにして考えるな。私は彼らと彼女にそう言った。
それでも、私はXX人と呼ばれることに変わりはなく、テレビでちょっと私の母国が映るたびに、毎回私は同じようなことを言われ続けたのだ。そんな私は日々もやもやして過ごしていたことを、君はわかってくれると思う。
君だって嫌だろう? 名前ではなく、XX人と呼ばれたらさ。そう呼ばれる理由が、まあ、仕方ないか……というものであったとしてもだ。
XX人と呼ばれることには、そこに私という個人は存在せず、様々な人々を束にしてXX人で語るという傾向がどうしても感じられるものだ。そこに差別意識はなくてもだ。
私はこの体験から、自分自身は差別されたことはただの一度もないにもかかわらず、XX人という言葉に非常に敏感になった。
ネットの世界や、様々な場所で、XX人と言う呼び方でものを語る時、私は敏感になって様々なことを感じてしまう。
人はそれぞれだ。男だっていろいろ。女だっていろいろ。人はそれぞれ誰もが違って、なにかでひとくくりになんかできない。だけど、人はなぜか、人をある枠組みで一括りにしてしまうことがある。それぞれ違うものを一括りにして扱う。もしも、君がそんなことをされたら、どんな気持ちがするだろうか? 男だから、女だから、XX人だから、こーなんだろう? そう言われたら、まあ、単純に言ってむかつくよな。
だから私は、誰かがどこかの国の人だったとして、その人と接してこうだったことがその国の人すべてに当てはまるなんて、これっぽっちも思わないように気をつけている。
いつかの昔、ここではないどこかの街で、私はXX人と呼ばれていた。それは決して彼らと彼女に差別されたわけではなかったけれど、私にXX人と呼ばれることについて、とってもよく考えさせてくれんだ。
今現在の私の魂に影響を与えた、あの懐かしいここではないどこかの街の話を今日はしてみました。
それでは、今日はこのへんで……
え? なんだって? どうして私が驚愕驚異のXX人と呼ばれていたかって?
そうだな、ここまで読んでくれた君なら、特別に少し話してもいいかもしれない。
近所に住む驚愕驚異のXX人と私が呼ばれるようになった理由は……
私がまったくもって気に食わない、街のジャイアン的な存在のヤツの家に乗り込んだのだが、残念なことにご本人はご不在で、どうにも収まりがつないので、ベッドルームに鎮座する憎いアンチクショウのウォーターベッドにショットガンをブッ放し、寝室を水浸しにしたであるとか。近所のガキを集めて賭場を開き、そこの胴元に収まってボロ儲けをしていただとか。XX人であることをアピールしまくり、震え上がる近所のガキどもをカツアゲしまくっていたとか。驚愕驚異のXX国拳法でもって、街中のマッチョマンをぶちのめしまくったとか。そんなことではまったくない。
ただ単に、私が長く暮らした国の風習と、ここではないどこかの街の風習が違い過ぎて、とにかく私の行いは何をするにしても驚愕驚異にみえたのだ。そうであったと私は信じたい。
もちろん、君も信じてくれるよね?
それでは、ちょっとした秘密も話したことだし……。今回はこのへんで。
またね。また話そう。