Daiki Akutagawa

ラピッドボール協会代表 2020年 ラピッドボールというスポーツを考案しました。プレー人数はまだ数百人。世界中の人とプレーしたい。

Daiki Akutagawa

ラピッドボール協会代表 2020年 ラピッドボールというスポーツを考案しました。プレー人数はまだ数百人。世界中の人とプレーしたい。

最近の記事

愛とはなにか

アクアタイムズは「千の夜をこえて」という楽曲の中で「愛されたい、でも愛しようとしない、その繰り返しの中を彷徨って」と歌いました。一方、藤井風は「満ちてゆく」という楽曲の中で「愛されるために愛すのは悲劇、カラカラな心にお恵みを」と歌いました。 アクアタイムズは、愛した結果傷つこうとも愛されたいのならば勇気を出して愛せというメッセージを。 藤井風は、愛されたいが為に、つまり見返りを求めて愛すのではなくどんなときも純粋に愛せというメッセージだと受け取ることができます。 この対比

    • 作品を作っては壊し、また別の誰かが作る

      マルセル・デュシャンがニューヨークアンデパンダン展に「噴水(泉)」を展示しようとした事件以降、ルールや秩序を破壊されたアーティストたちは“デュシャン以降のアート”を作ろうと苦悩してきた。いや、セザンヌに起因するキュビス厶まで遡ればもう少し長いか。あとは写真の登場。テクノロジーの発展の影響も大きいんだろうな。 誰かが秩序やルールを壊したら、また別の誰かが次の秩序やルールを確立しようとし、それがムーブメントや時代となる。 視覚的に美しいものこそがアートであり、自然や人物をいか

      • 画像生成AIや、それによって生成された作品は、6万5千年前に描かれた世界最古の洞窟壁画よりも長く残るのか?

        • スポーツをつくるとは、アート

          アートとは、社会や時代や常識に対する「問い」を、洗練された手法を用いて世間に投げかけ、それを見る人の意識の壁を壊すもののことである。目に見えない闇や来たる未来を映し出し、見る者の世界をガラッと変えてしまう。 そして「問う力 = アート思考」が画期的であればあるほど、そのアートの価値は高まる。優れた「問い」を発する人をアーティストと呼び、問う力が優れたアーティストほど評価される。 また、アーティストはクライアントの依頼通りにデザインするデザイナーとは違う。自身の中に内在する

          もう労働の中で皆が皆を疲弊させていくの辞めよう。。対立とか競争とか勝ち負けによる熱狂を感じたい人はそのエネルギーを全部スポーツに、ラピッドボールにぶつけよう。とりあえずこの本読んで。 https://matomo.base.shop/items/84009329

          もう労働の中で皆が皆を疲弊させていくの辞めよう。。対立とか競争とか勝ち負けによる熱狂を感じたい人はそのエネルギーを全部スポーツに、ラピッドボールにぶつけよう。とりあえずこの本読んで。 https://matomo.base.shop/items/84009329

          消費したら税を取るんじゃなくって、消費したら報酬をもらえるようにすれば、本質的に意味のない消費させるためだけのカタログスペックを上げるクソみたいな仕事と、それによって疲弊していく人間を減らせるんじゃないのかな‥

          消費したら税を取るんじゃなくって、消費したら報酬をもらえるようにすれば、本質的に意味のない消費させるためだけのカタログスペックを上げるクソみたいな仕事と、それによって疲弊していく人間を減らせるんじゃないのかな‥

          体育の授業で運動嫌いが増える理由

          体育の授業のせいでスポーツを嫌いになったという話はよく聞く。 ・踊れないのにみんなの前で踊らされた ・走るのが得意ではないのに競走させられた ・運動神経が良い人だけで盛り上がり、ボールが回ってこない ・できないさまを見て笑われた ・できるまで何度も強制させられた など。 身体運動能力を大勢の前で披露することを強制された結果、その能力が人より劣っていれば、本人の中に内在する劣等感が存在感を大きくし、また集団の中での優劣が如実に可視化され無意識的に順位付けされてしまうことで

          体育の授業で運動嫌いが増える理由

          勝利至上主義に陥るのはなぜか

          おことわりこのnoteは、スポーツ界において問題となっている勝利至上主義的価値観について、歴史的背景を踏まえて本質を追求した。また、勝利至上主義を脱却するための施策を論じているが、決して完全なものではない。人生の数と同じだけ、スポーツとの関わり方も存在する。もしかしたら、完全な答えなどないのかもしれない。それでも継続して思索・考案していく必要がある。 勝利至上主義の弊害近年、行き過ぎた勝利至上主義が懸念されるケースが増えてきている。 勝利至上主義とは、「勝利以外には価値が

          勝利至上主義に陥るのはなぜか

          誰かラピッドボール題材にした漫画描いてくれないかなーブルロくらいバッチバチにアツいやつ

          誰かラピッドボール題材にした漫画描いてくれないかなーブルロくらいバッチバチにアツいやつ

          日本サッカーの歴史と発展

          このnoteは 「スポーツ社会システムの構造形成  日本サッカーの発展過程と社会的背景」清水 正典 を読んだ個人的メモ ◆伝来 1873年にイギリスの海軍兵士アーチボルト・ダグラスから伝えられる。アーチボルト・ダグラスは帝国海軍強化の為に招聘された兵士だが、軍のトレーニングとしてではなく、学生たちの余暇の楽しみとして伝えた。1863年にロンドンでフットボールアソシエーション(FA)ができ、統一ルールの運用な始まったばかりであることから、日本に伝わった当初はプレースタイル

          日本サッカーの歴史と発展

          「佐藤健に似てるよね」

          って人生で10回以上は言われてきました。自分で言ってるとか思ってるとかじゃないですからね。むしろ主観では全然似ていないと思ってる。でも、たしかに、人から「佐藤健に似てる」って良く言われるっていう客観的な揺るぎない事実があります。 そして、僕は、これを聞かされたあなたがどういう心情になるかを察することができる男なので、ここでただただヘイトを買うために自慢してるわけではないんですね。あなたの心を穏やかにするためにもう1つ事実を付け加えておくと、僕の顔を見たときに佐藤健に似てると

          「佐藤健に似てるよね」

          ラピッドボールの競技規則を制定しました

          ラピッドボールというスポーツを公平公正に、そして楽しくエキサイティングにプレー/応援できるよう、競技規則をつくりました。 2019年、自分の頭の中に誕生したこのスポーツは、翌年、8人のプレーヤーによって現実世界で実現しました。 そこからフィードバックを重ね、現在のルールとなりました。 わたしたちは、競技規則の制定によって、誰もが公平公正に楽しくラピッドボールを始められる環境に近づけられると信じ、これからも活動を続けていきます。

          ラピッドボールの競技規則を制定しました

          SNS依存心理。そこに求めているものが無いとわかっているのにSNSを開いてしまう理由。

          TwitterもInstagramもほんとうにつまらなくなった。見たいものよりも見たくないものが飛び込んでくる割合の方が増えて、TLやフィードを見ることはほとんどなくなった。 それでも、なぜか無意識にSNSアプリを開いてしまうことがあるんだよな。

          SNS依存心理。そこに求めているものが無いとわかっているのにSNSを開いてしまう理由。

          スポーツを構成する要素を転用すれば熱狂を生み出す装置を作れるのでは?という仮説をBing-gpt4にぶつけてみた

          Nizi Projectなどはまさにそうかなと思ってる。スポーツを構成する上記要素に加え、個性のある個人の想いや背景に共感し推す。 以下Bing-gpt4の回答 うん、考えが深まった!

          スポーツを構成する要素を転用すれば熱狂を生み出す装置を作れるのでは?という仮説をBing-gpt4にぶつけてみた

          空き地野球とマイナースポーツの普及

          こんばんは、あくです。 本日も独り言のような内容です。 さらっと読み流してください。 ※マイナースポーツ普及委員会に投稿した内容です https://www.facebook.com/groups/2558137574426199/ ■スポーツとの出会い 僕が子どもの頃を思い出すと、初めてスポーツに触れたのは「空き地での野球」でした。 といっても野球とは名ばかりで、 ピッチャーとバッターと外野手の3人しかいない野球です。 バッターは、空振りはもちろん、ボール球を見

          空き地野球とマイナースポーツの普及

          スポーツに救われたので、スポーツによってどこかの誰かを救いたい

          「新しいスポーツ作ったから一緒にやろうぜ!」 と、まるで放課後の空き地から聞こえてくるようなセリフを、まさかアラサー男性から聞かされるとは思わなかったであろう皆さんの戸惑いは、実際に体験会を開催するまでの半年間で、嫌というほど納得することができました。 やろうぜ!と言ってる本人は至って真剣なのですが、言われた側に立って考えると、そんな得体のしれないものに貴重な休日を奪われたいワケがない。 ですが、いつまでも、得体の知れないもの、のままでいたくはありません。 「これを読

          スポーツに救われたので、スポーツによってどこかの誰かを救いたい