見出し画像

U CAN'T SAY NO!を振り返ってみた件 Episode.Ⅱ

前回、メンバーが揃って初ライブまで書いたと思いますが、今回は1stアルバムのレコーディングくらいまでは行きたいと思います。

初ライブを終えてからは曲作りをしながら誘われたライブにとにかく出るという日々が続きました。
そんな中、フリーターと大学生のメンバーの中で唯一ちゃんと働いていたT.Saxの江戸さんはライブを欠席することが多くなってきました。
ある日、江戸さんから「このままだとバンドに迷惑がかかるから」と脱退の意向を告げられました。正直、ホーン隊の要である江戸さんに抜けられるとキツイ。
そう思った私は、ネットの力を駆使しライブをサポートしてくれるメンバーを探しました。そして運良くネット友だちからT.Saxをやっているスカパンク好きな人を紹介して貰うことになりました。
それがaki-chang(以下、アキちゃん)でした。
アキちゃんは歳下なのに初対面のホマレ君に対し「シーマンに似てますね」と言い放ったりする結構失礼なヤツというキャラクターでしたが、付き合って行くうちに歌詞の英訳をしてくれたり、映画や本をオススメしてくれたりと仲良しになりました。

コンスタントにライブをしながら、レコーディングをしてデモ・テープを作って配りまくり、それを切欠にまたライブに誘われたりと順風満帆な船出。
まだデモテープ1本しか出してないのにKEMURIやPOTSHOTのオープニングアクトをやらせてもらうなど異例の大抜擢を受けるようになってきます。
お客さんもだんだんと増えていって、ライブも盛り上がるようになってくると「よし、次はちゃんとした音源を出したいね」と。

時はインディー・バンドブーム。まずはオムニバス参加のオファーが来ました。収録されるバンドも海外の超有名所がいたりと、断る理由はなし。
しかし、何曲を入れるかな?となって1曲はポップでキャッチーなもの、もう1曲はビッグバンド風な曲を用意。この曲は結局ライブでもやったことがないし、このオムニバスでしか聴けない幻の1曲となりました。

話は前後しますが、POTSHOTのツアーサポートをさせてもらった熊谷VOUGEでギターの恭平が脱退宣言をします。
お互いリーダー気質だったので自分と恭平は上手く行ってなくて、色々な面でぶつかることが多かった。恭平は『メタル刑事』というバンドをヤスオ君と始めていて、そっちに専念するという感じで脱退が決まりました。
恭平の凄いのは後任のギターを用意していたこと。しかもその後任がなんと、元FRUITY、RED HOT ROCKIN' HOOD、O.A.C、disc'okicks他数々のバンドでその名を知らないヤツは界隈ではモグリと言われるJelly.Oだったのです!

冗談半分で話を聞いていたので、始めてジェリーさんがスタジオに来た時は驚いたし、まさか一緒にバンドをヤレるなんて思ってもみなかったので信じられない気持ちでいっぱいでした。しかも、ライブでやっている曲をほぼ全曲覚えてきてくれてた・・・。

ここから快進撃は加速します。
POTSHOTのRYOJI社長にデモテープを渡し、是非アルバムをリリースさせて欲しいと熱い気持ちを伝え、そしてRYOJI社長も何も血迷ったのか「ユーキャンがTV-FREAKって面白いよね」と快諾してくれたのだ!
これはもうメチャクチャに嬉しかった。当時、TV-FREAK RECORDSと言えば泣く子も黙る日本のスカパンクの代表的レーベルで、YOUNG PUNCHの福井君とRYOJI社長はアイドル的人気を誇っていた。
それが正体不明で邪道も邪道、小汚い偏屈集団U CAN'T SAY NO!をリリースしてくれるなんて、そんなことあるの!?

リリースに関しては恐らく大人たちの間で色々あったのではないかと推測されます。「あんなの出しても売れねぇよ」とレーベルの方に陰口言われたのを耳にしたりもあったので・・・。畜生、とんでもないもの作ってやるからな!
怒りをモチベーションに1stアルバムで20曲という、当時(今もか?)はあんまりやってるバンドがいなかったことを目指して曲作り。ライブもしながらレコーディングに向け準備をしました。

そして、1999年の12月。今は亡き高円寺アフタービートで地獄のレコーディングを開始したのです・・・。

From AleJJandro Hiderowsky

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?