脱積み上げ
「脱」と打ったら変換候補に「脱臼」と出てきた。
なぜならば、昨年末に寝てる最中に腕が肩から抜けたのだ。ぬを!
高3の、受験が終わって合格発表までの間にびわこバレイでスキーして脱臼し、倒れたままうずくまってたら、30分くらいしてようやくレスキュー隊が来て、下山のゴンドラのガタガタに悲鳴を上げつつ、ヤブで有名だった整形外科に肩をはめてもらい、ああ、関節があるべきところにある快感♥
となって以来の脱臼だった。
整形外科が肩をクルクル回したら入ったのを覚えていて、それで、寝ぼけていたのに今回は自分で入れることができた。過去の経験がこんなところで役に立つとは。
ま、いっか。入ったし。と思って暮らしているが、なんかズキズキするので月末に整骨院に診てもらうことにした。でも筋トレも腕立ても、できてます。
閑話休題、というか、この文章、今のところ本題に入っていない。
積み上げという教育方法がある。ステップ・バイ・ステップ、ちょっとずつ基礎を習得して、徐々にできることを増やしていくやり方だ。
ここ数年、この教育方法に懐疑的で、いくつかの文章や、テキストを出して、積み上げ方式の教育を変えるべく、ちっちゃな主張を繰り返している。
理由は色々あるけれど、一番大きなものは、世の中の実態が積み上げ式になっていないからである。
例えば企業に就職して接客業務についたとしよう。
「接客」というタスクにおいて、積み上げ式に訓練がなされるというのは、要するに、4月にはノーマルな、マニュアル通りに対応すればオッケーな客が来て、5月には値段交渉してくる客とやり合い、6月には返品に応じ、7月にはクレーマー対応へ……というようなステップを踏むということである。しかし、実際には店頭に立ったその日に運悪くモンスターにつかまって……みたいなことだって十分にあり得る。
日本語教育に目を移しても同じことである。積み上げ式に教育する場合、例えば初級では「文句を言う」というのは「難しすぎるから」させない。けれど、日本語を学び始めた直後に、この野郎! と思うことだって学習者にはあるはずである。
というわけで、初心者は初心者なりにクレーマーに対応したり、文句を言ったりできるように、最初の段階から教育しておいて、ひとつひとつが徐々に改善していくというようなやり方の方が理にかなっていると思うようになったのである。
次年度は1年生の初年次教育を担当することになっている。1年生、担当するの、久しぶりだなぁ。
この授業の到達目標は、とりあえずレポートを書くということだが、このシラバスをどのように組み立てるか?
積み上げ式にするなら、一日目にはじめに、の書き方、二日目に先行研究の調べ方、三日目は批判する……みたいにして、最終的に今後の課題と参考文献表の作り方、みたいな感じで組むことになるだろう。
ではなくて、もういきなりレポートの全体像を示して、初めてなりに全部やらせてみる、というのがいいと思うのだ。なんかわからんけれど、とりあえず書いてみる。発表してみる。そこから、形を徐々に整えていく。4年かけて。
そうすることで、最初からなんとなくレポートのようなものができていくことになる。それでいいのだと思う。
昔、この考え方を形にし始めた頃に、O大学(本務校ではない)の学生F君に、スノーボードも初心者でもいきなりリフトで上に連れて行かれて下までなんとか滑り降りる(落ちる?)方が上達する、みたいなことを指摘されて、なるほどと思ったことがある。それと基本的には同じだろうと思う。
最後に、積み上げ式に向いているのは実践的なタスクのものである。数学みたいに、足し算を理解していなければかけ算が理解できないというようになっているものは積み上げ式でしかできないだろう。
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