引導

エマニュエル・パユという人物をご存知だろうか?



クラシック好きなら、あるいはフルートをやったことのある人なら聞いたことのある名前かもしれない。彼はベルリン・フィルハーモニーの首席フルート奏者である。


コロナ禍で、演奏会に行けなくなって、ベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールをサブスクライブし始めた。


クラシック、オーケストラ好きには垂涎の名演の数々。わー陳腐な言い方

しかし、とにかく往年のカラヤン、アバドの重厚な響きから、ラトルのキャッチーで練られた演奏、そしてペトレンコの独特のサウンドまで、毎晩毎晩、演奏会を楽しむことができる。


エマニュエル・パユは、もうひとりの首席奏者、Mathieu Dufourと、半々か、6、4くらいで登場する。二人の演奏スタイル、音色はものすごく違う。ベルリン・フィルの首席奏者たちは、それぞれ個性があって、どちらが首席かによってその日の演奏の傾向も変わる。そこがまた聴きどころ。

さて、そんなパユ氏がこちらのサイトで、あるテレビ番組で音大生の相談に答えたエピソードが紹介されている。


その学生は、演奏会があるごとに緊張してしまい、演奏後には落ち込んでしまう、どうしたらよいでしょうというようなことを言った。パユ氏はそれに答えて、自分は演奏会のあともずっと演奏し続けたくなる。そうでないなら別の人生を歩くことも考えては、と言ったというのだ。


ひゃー厳しい。この言葉には、生半可な気持ちでプロの演奏家にはなれないし、緊張するという特質は、プロの道には向いていないと、その音大生に引導を渡す一言であるように思う。実際、世界の頂点から言われたらなかなか立ち直れないショックを受けてしまいそうでもある。


「なめんなよ」という気持ちが伝わってくる。自分たちがどんな思いでそこに立っているのか、それとその学生の言葉を比べて、思わず口が動いたのだろう。


記憶があやふやで恐縮であるが、岡山湯郷Belleの宮間あや選手が、「朝起きてサッカーをしたいと思わなければサッカー選手をやめる」的なことを言っていたのを思い出す。


プロというのはすごい覚悟でステージに立っているのだ。


と同時に、それが好きでやり続けたいという気持ちは分かる。学者も一応は、「学問のプロ」なのだ。ずっと勉強していたいと思えなければやっていけないし、こんなおもしろいことを発見したぜい! と、見てもらいたいと思わなければ潮時だろう。


だから、時として学生には厳しく当たってしまう。「なめんなよ」と。


20年という長きにわたって中国で日本語教師として活躍してこられたO先生が、先ほどフェイスブックに「相手を否定しない」ということを書いておられて、そうだそうだと思いながら反省した。


どっちやねん、オレ


O先生の言うこともパユ氏の言うことも、きっと、どちらもそうなのだ。ズバッと言わなければならないときは、「指導者」という立場である以上、必ずある。


心を鬼にして、「君には無理だ」と伝えなければならない。


なにくそ! と思ってくれればそれもよし、そうかそうかと、その世界を去っても、また新たな何かと出会うのだろう。


それは優しさというものではないように思う。「なめんなよ」の吐露なのだ。


今の大学は、卒業時期が2回ある。9月と3月。今の大学は、ある水準以上のパフォーマンスをしなければ、卒業できなくなっている。特に大学院は厳しい。


日本の大学に、また引導の時期がやってくる。








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