。をとったど~:句点を打たない若者と語ってみた
こんな記事を発見。というか、この記事を書くために探しました。
「現代の若い人の間では、話し言葉に近い書き方のほうが、自分の思うことを正確に表現できると考えられており、あえて句読点を使わない傾向がみられ」
るのだそうな。不勉強でNPO法人日本語教育研究所というものがどのような団体か知りませんが。てか、「話し言葉に近い書き方」=「句点を用いない」という理路がよく分からない。話し言葉はそもそも句点見えへんし。用いる用いないの話ではないような。
なんでこんなことを調べたかと言いますと、アメリカではGenZ(1996年以降に生まれた人)は、ピリオドを、特に文書の最後に打つと、その人は「時代遅れ」か「自分に対して攻撃的」になっている人だと認識するという記事を読んだからなのです。タイトルは「ピリオドを打つ人を若い世代は信用しない」となってます。
本日、こちらの記事を授業で紹介したところ、意外なのか、案の定なのか、学生は、「うんうん。僕たち/私たちも同じように感じる」と言うのです。みなさんはいかがでしょうか(特に、若い方)。
あ、いま「。」を打った。てか、この文章は基本的に昭和のおじさんが書いていますので、なんとなく句点を打ちたくなってしまいます。
この「。」。丸いのに、攻撃的に感じられるのか??*とか×とかなら、まあ確かに否定されたような気がしなくもないですが*×*×
調べているうちに、目上の人に句読点を打つのは失礼(なぜなら、句読点は読みやすさ、わかりやすさを重視したものなので、目上の人を”子供扱い”しているようなことになるから)という時代があったそうなのですが、本当かどうかは知りません(ちなみに、同じ論理で「お疲れさま」というのを目上には言わないことになっています(した?)目上は疲れないということか。疲れるっちゅーねん)。
こんなことを書きながら、上記英文の記事を読んでからー本当は別の記事だったのですが、見つけられませんでしたーなんとなく自分でも、メールの最後の「よろしくお願いします」「失礼します」等には、句点を打たなくなりました。
たしかに、ちょっとスッキリして見える。
授業では、絵文字の話から、こんなことを紹介したのですが、絵文字についてはもう少し勉強しなければならないなと思っています。日本語、特にSNSのような話し言葉に近い日本語においては、ほぼ絵文字は必須なのだと思っています。それがなぜなのか? にも、一応答えを用意しているのですが、それはいずれ研究論文で語りたいと思っています。
では今日はこの辺で