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第133講 国民党と共産党

133-1 国民革命~国民党と共産党の合作とその崩壊~

北京政府の混乱


 北京政府は軍閥抗争によって弱体化したが、利権の回収に一定の成果をあげた。

 1921年から22年の1)ワシントン会議で中華民国も交えて2)九か国条約が締結され、二十一か条問題も一定の解決をみたが、3)関税自主権回復に向けた協議はすすまなかった。

 北京政府は派閥抗争を繰り返し、1920年代前半には財政が破綻し、統治能力は低下した。

 1920年安徽派と直隷派の安直戦争で4)呉佩孚が指導する直隷派が勝利した。

 1922年直隷派と奉天派の第一次奉直戦争でも呉佩孚が指導する直隷派が勝利した。

 1924年第二次奉直戦争では、5)張作霖率いる奉天派が勝利し、1927年奉天派が北京政府を掌握した。日本の支援を得て勢力を広げたが、北京政府を掌握すると米英に接近、日本と対立した。

中国国民党と第一次国共合作


 1919年孫文を中心に上海で成立した6)中国国民党は、北京や地方に割拠する軍閥の打倒をめざし、ロシア革命を成功させたソヴィエト=ロシアの支援を期待して、コミンテルンを通じてロシア共産党とつながりをもつ中国共産党との連携(合作)をすすめた。

 1924年に中国国民党第1回大会を開催し、ソ連の支援を受ける「7)連ソ・容共・扶助工農」の方針が決定され、毛沢東や周恩来など共産党員の国民党への個人入党が許された。これを8)第1次国共合作(1924~27)という。共産党と国民党が一致して軍閥打倒をめざす民族運動「9)国民革命」(1924~27)がはじまった。

 1925年3月孫文が死去し、国民党右派の10)蔣介石が後継者となった。*「革命いまだならず」

 1925年上海の日本人が経営する工場(在華紡)でおこった労働争議を契機に全国規模の反帝国主義運動11)五・三〇運動が発生した。これはより広い大衆を民族運動にかりたてる転機となった。

上海クーデタと国共分裂


 1925年7月に国民党は12)広州国民政府を樹立し、翌26年蔣介石の率いる国民革命軍が、宣伝と動員をしつつ租界など外国利権を回収し、全国統一をめざす13)北伐を開始した。

 1927年には長江下流域の上海や南京を制圧し、経済の中心地浙江省と江蘇省をおさえた。

 国民党は上海の14)浙江財閥を中心とする民族資本の支援を受けていたが、彼らは共産党を危険視し、蒋介石に共産党の排除をせまった。*孫文の妻宋慶齢と蒋介石の妻宋美齢は浙江財閥出身。

 1927年蒋介石は、15)上海クーデタをおこし共産党を弾圧、国民党内を統一して南京に国民党の主導する16)南京国民政府を建てた。この17)国共分裂により、第一次国共合作は崩壊した。

 国民党左派は、共産党とともに1927年1月武漢に広州から政府を移した(18)武漢国民政府)が内部対立もあり、19)汪兆銘が反共を宣言し9月南京国民政府と合流した。

133-2 日本の干渉と南京国民政府の中国統一


日本の干渉


 1920年代日本は協調外交を展開したが、1923年に起こった関東大震災以降の不況に1927年の金融恐慌が追い打ちをかけると、立憲政友会内閣のもとで対中積極外交に転じた。

 1920年代、日本は加藤高明内閣・第一次若槻礼次郎内閣の外相1)幣原喜重郎(任1924~27、29~31)もとで、ワシントン体制を尊重し米・英との対立を避ける協調外交を展開した。これを幣原外交という。1925年(大正14年)の2)五・三〇事件においては、在華紡(中華民国の日系製糸会社)の中国人ストライキに対して、奉天軍閥の張作霖に要請して武力鎮圧させた。

 1927年(昭和2年)3月、をきっかけに全国規模で銀行が倒産する3)金融恐慌が起こり、4)台湾銀行救済に失敗した若槻内閣が総辞職すると、立憲政友会党首で陸軍出身の5)田中義一内閣が成立した。

 田中は蒋介石の北伐を阻止するため、三度にわたる6)山東出兵を強行した。第一次では居留民保護を名目に出兵し、第二次では国民革命軍を済南で軍事衝突(7)済南事件)をおこし、第三次で済南を占領した。蔣介石は済南を迂回して北上し、張作霖をやぶって北京を占領した。

 1928年蒋介石の国民革命軍に北京を追われた張作霖が、奉天に引き上げようとする途上、遼東半島と南満州鉄道の守備を任務とした日本の現地軍である8)関東軍が、9)張作霖爆殺事件をおこした。田中はこの事件で引責辞任した。張作霖の息子10)張学良は国民政府に従い、南京国民政府は中国を統一し11)北伐を完了した。

 続く浜口雄幸内閣と第二次若槻礼次郎内閣では、12)幣原喜重郎が再び外相となって協調外交につとめ、1930年13)ロンドン海軍軍縮条約に調印した(統帥権干犯と非難され、浜口首相狙撃事件がおこった!)。しかし、1931年満州事変が起こると、第二次若槻内閣は総辞職し、協調外交の時代は終わった。

南京国民政府と中国統一

 上海クーデタで共産党を排除した蔣介石は14)南京国民政府を樹立し北伐を再開、日本の15山東出兵をかわして北上し北京を制圧し、中国統一をなしとげた。

 上海クーデタで共産党を弾圧した蒋介石は、14)南京国民政府を樹立し、北伐を再開した。

 北伐に対して日本が三度にわたって15)山東出兵を行い干渉し、軍事衝突(16)済南事件)もおこったが、1928年蔣介石は北京政府の張作霖を奉天に敗走させた。

 張作霖が奉天に戻る途上、17)張作霖爆殺事件により爆殺されると中国東北地方を勢力圏とした張作霖の子18)張学良が国民政府支持を表明し、14)南京国民政府による中国統一が完成した。


中華民国南京政府


 南京政府は、北京政府にかわる統一政権として、列強から承認され、正式な中華民国政府となったが、国内に残る軍閥を束ねた状態であり中央集権にほど遠く、共産党という敵にも対応をせまられた。

 積極的に条約改正をすすめ、19)関税自主権の回復に成功して財政的基盤を確立した。

 1931年満州事変が起こったが、蔣介石は共産党との戦いを優先した(安内攘外)。*18)張学良は抗日を主張したが、蔣介石は冷淡だった。満州を基盤とした18)張学良の奉天軍閥の弱体化を企図したため。

 1935年南京政府は、通貨を政府系銀行の発行する20)法幣という紙幣に統一し、他銀行発行の通貨や銀の使用を禁じる21)通貨改革(幣制改革)を行い、米・英の支持をえて通貨の安定をはかった。これにより各々通貨を発行していた地方軍閥の力がそがれ、中央集権がすすんだ。*地方軍閥の無力化と通貨圏の統一は、共産主義の壊滅とならび、浙江財閥をはじめとする江蘇省・浙江省の民族資本家の要求に応えたものだった。この姿勢が日本の侵略と国共内戦を招き、1949年国民党は本土を追われ台湾に逃れることになった。





133-3 共産党の動き


中国共産党の成立と国民革命



 1921年コミンテルンの指導下に上海で組織された中国共産党は、国民党と結んで国民革命を進めた。

 1)李大釗らが創立を準備し、2)陳独秀が初代委員長に就任した。

 1924年には共産党員が個人の資格で中国国民党に入党する3)第一次国共合作が成立し、漢民族として共産党・国民党が立場の違いを越えて協力し軍閥打倒をめざす4)国民革命に参加した。

 共産党は5)国民党左派と連携を強め、1925年7月広州国民政府、27年1月武漢国民政府の成立に参加したが、南京国民政府樹立を前にした1927年4月、浙江財閥と結んだ蒋介石ら国民党右派が6)上海クーデタを起こし共産党弾圧に転じたので、第一次国共合作は崩れた(7)国共分裂)。

中華ソヴィエト共和国臨時政府と長征


 上海クーデタの後、共産党は国民党に対し武力抵抗を試みつつ、勢力を回復し、コミンテルンの指導のもと、江西省瑞金に中華ソヴィエト共和国臨時政府を建てた。

 共産党は27年8月南昌蜂起に失敗したが、この際蜂起した部隊が共産党軍(8)紅軍)の起源となった。

 この後共産党残党は9)毛沢東の指導で江西省と雲南省の境界にある10)井崗山に拠点を構えた。

 1931年、共産党は江西省11)瑞金12)毛沢東を主席とする13)中華ソヴィエト共和国臨時政府をたてた。中華ソヴィエト共和国憲法が制定され、土地法などもととのえられたが、南京国民政府(国民党)により攻撃され、瑞金は陥落した。

 1931年満州事変が起こったが、南京国民政府と国民党は、日本よりもむしろ共産党との戦いを優先(安内攘外)し、結果として日本のいっそうの中国進出を許す結果となった。

 国民党の攻撃を受けた共産党軍(紅軍)は、江西省瑞金を捨て、時計回りに中国を半周して陝西省延安に至る大移動をおこなった。これを14)長征(1934~36)という。国民党の追撃を受けながらの移動は困難をきわめ、瑞金出発時に30万(誇張!?)だった兵力は、延安到着時には3万人に減っていた。

 途上、1935年貴州省での 15)遵義会議で、周恩来が毛沢東を支持、毛沢東の指導権が確立した。

 この間1935年、モスクワでコミンテルン第7回大会が開かれ、共産党と他の社会主義・自由主義政党との協力をめざす16)人民戦線戦術が採択されると、中国共産党は8月1日17)八・一宣言を出し、国共内戦の停止と抗日民族統一戦線の結成を呼び掛けた。

 1936年18)西安事件(後述)が起こり、第二次国共合作の機運が高まった。

 長征を成功させた共産党は1937年、陝西省19)延安に拠点を構えた。、12年後の1949年中華人民共和国建国までここが抗日戦争(日中戦争1937~45)と国共内戦(1946~49)の中心となった。

 1937年日中戦争がはじまると20)第二次国共合作(抗日民族統一戦線)が結成された。

練習問題133-1

問題:


 次の文章の空欄( 1 )~( 19 )までの番号に当てはまる語句を選びなさい。

 1921年から22年の( 1 )で中華民国も交えて( 2 )が締結され、二十一か条問題も一定の解決をみたが、( 3 )に向けた協議はすすまなかった。  1920年安徽派と直隷派の安直戦争で( 4 )が指導する直隷派が勝利した。  1924年第二次奉直戦争では、( 5 )率いる奉天派が勝利し、1927年奉天派が北京政府を掌握した。  1919年孫文を中心に上海で成立した( 6 )は、北京や地方に割拠する軍閥の打倒をめざし、ロシア革命を成功させたソヴィエト=ロシアの支援を期待して、コミンテルンを通じてロシア共産党とつながりをもつ中国共産党との連携(合作)をすすめた。  1924年に中国国民党第1回大会を開催し、ソ連の支援を受ける「( 7 )」の方針が決定され、これを( 8 )という。共産党と国民党が一致して軍閥打倒をめざす民族運動「( 9 )」(1924~27)がはじまった。  1925年上海の日本人が経営する工場(在華紡)でおこった労働争議を契機に全国規模の反帝国主義運動( 10 )が発生した。  1925年7月に国民党は( 11 )を樹立し、翌26年蔣介石の率いる国民革命軍が、( 12 )を開始した。  国民党は上海の( 13 )を中心とする民族資本の支援を受けていたが、1927年蒋介石は、( 14 )をおこし共産党を弾圧、国民党内を統一して南京に国民党の主導する( 15 )を建てた。この( 16 )により、第一次国共合作は崩壊した。  国民党左派は、共産党とともに1927年1月武漢に広州から政府を移した(( 17 ))が内部対立もあり、( 18 )が反共を宣言し9月南京国民政府と合流した。

解答:


  1. ワシントン会議

  2. 九か国条約

  3. 関税自主権回復

  4. 呉佩孚

  5. 張作霖

  6. 中国国民党

  7. 連ソ・容共・扶助工農

  8. 第1次国共合作

  9. 国民革命

  10. 五・三〇運動

  11. 広州国民政府

  12. 北伐

  13. 浙江財閥

  14. 上海クーデタ

  15. 南京国民政府

  16. 国共分裂

  17. 武漢国民政府

  18. 汪兆銘

問題2:

  1. 1921年から22年に中華民国が参加し、国際的な条約締結の場となった会議は何か?

  2. 1921年から22年のワシントン会議で締結された条約の名前は?

  3. ワシントン会議において進展しなかった中国の要求は何か?

  4. 1920年安徽派と直隷派の安直戦争で勝利したのは誰の指導する派閥か?

  5. 1924年第二次奉直戦争で勝利した派閥のリーダーは?

  6. 1919年に孫文を中心に成立した政党の名前は?

  7. 1924年に中国国民党第1回大会で決定された方針を短く言うと?

  8. 1924年から27年にかけて、中国共産党と中国国民党が連携を持った期間を何と呼ぶか?

  9. 1924年から27年にかけての民族運動の名前は?

  10. 1925年に孫文が死去した後、国民党の後継者となったのは?

  11. 1925年に全国規模の反帝国主義運動として発生したものは?

  12. 1925年7月に国民党が樹立した政府の名前は?

  13. 蔣介石の率いる国民革命軍が全国統一を目指して開始した行動は?

  14. 国民党が支援を受けた財閥は?

  15. 1927年に蔣介石が共産党を弾圧した出来事を何と呼ぶか?

  16. 1927年に蒋介石が主導する政府を南京に建てた。その政府の名前は?

  17. 1927年に第一次国共合作が終わった事件は?

  18. 国民党左派が共産党とともに1927年1月に政府を移した先の都市とその政府の名前は?

  19. 武漢国民政府で反共を宣言して南京国民政府と合流した人物は?

解答2:

  1. ワシントン会議

  2. 九か国条約

  3. 関税自主権回復

  4. 呉佩孚が指導する直隷派

  5. 張作霖

  6. 中国国民党

  7. 連ソ・容共・扶助工農

  8. 第1次国共合作

  9. 国民革命

  10. 蔣介石

  11. 五・三〇運動

  12. 広州国民政府

  13. 北伐

  14. 浙江財閥

  15. 上海クーデタ

  16. 南京国民政府

  17. 国共分裂

  18. 武漢・武漢国民政府

  19. 汪兆銘

練習問題133-2 日本の干渉と南京国民政府の中国統一


問題


 下の文を読み、(  )の中に当てはまる最も適切な言葉や語句を埋めなさい。

 1920年代、日本は加藤高明内閣・第一次若槻礼次郎内閣の外相( 1 )もとで、ワシントン体制を尊重し米・英との対立を避ける協調外交を展開した。これを幣原外交という。1925年(大正14年)の( 2 )においては、在華紡の中国人ストライキに対して、奉天軍閥の張作霖に要請して武力鎮圧させた。 1927年(昭和2年)3月、( 3 )が起こり、( 4 )に失敗した若槻内閣が総辞職すると、立憲政友会党首で陸軍出身の( 5 )内閣が成立した。田中は蒋介石の北伐を阻止するため、三度にわたる( 6 )を強行した。第一次では居留民保護を名目に出兵し、第二次では国民革命軍を済南で軍事衝突( 7 )をおこし、第三次で済南を占領した。蔣介石は済南を迂回して北上し、張作霖をやぶって北京を占領した。 1928年蒋介石の国民革命軍に北京を追われた張作霖が、奉天に引き上げようとする途上、( 8 )が、( 9 )をおこした。田中はこの事件で引責辞任した。張作霖の息子( 10 )は国民政府に従い、南京国民政府は中国を統一し( 11 )を完了した。 続く浜口雄幸内閣と第二次若槻礼次郎内閣では、( 12 )が再び外相となって協調外交につとめ、1930年( 13 )に調印した。
南京国民政府と中国統一 上海クーデタで共産党を排除した蔣介石は( 14 )を樹立し北伐を再開、日本の( 15 )をかわして北上し北京を制圧し、中国統一をなしとげた。北伐に対して日本が三度にわたって( 15 )を行い干渉し、軍事衝突( 16 )もおこったが、1928年蔣介石は北京政府の張作霖を奉天に敗走させた。張作霖が奉天に戻る途上、( 17 )により爆殺されると中国東北地方を勢力圏とした張作霖の子( 18 )が国民政府支持を表明し、( 14 )による中国統一が完成した。
中華民国南京政府 南京政府は、積極的に条約改正をすすめ、( 19 )の回復に成功して財政的基盤を確立した。1931年満州事変が起こったが、蔣介石は共産党との戦いを優先した。*( 18 )は抗日を主張したが、蔣介石は冷淡だった。満州を基盤とした( 18 )の奉天軍閥の弱体化を企図したため。1935年南京政府は、通貨を政府系銀行の発行する( 20 )という紙幣に統一し、他銀行発行の通貨や銀の使用を禁じる( 21 )を行い、米・英の支持をえて通貨の安定をはかった。

解答:

  1. 幣原喜重郎

  2. 五・三〇事件

  3. 金融恐慌

  4. 台湾銀行救済

  5. 田中義一内閣

  6. 山東出兵

  7. 済南事件

  8. 関東軍

  9. 張作霖爆殺事件

  10. 張学良

  11. 北伐

  12. 幣原喜重郎

  13. ロンドン海軍軍縮条約

  14. 南京国民政府

  15. 山東出兵

  16. 済南事件

  17. 張作霖爆殺事件

  18. 張学良

  19. 関税自主権

  20. 法幣

  21. 通貨改革(幣制改革)

問題2:

  1. 1924年から1931年の間、日本の外相としてワシントン体制を尊重し、米・英との対立を避ける協調外交を展開したのは誰か?

  2. 1925年の中国人ストライキに対して、奉天軍閥の張作霖に要請して武力鎮圧させた事件を何というか?

  3. 1927年3月に発生し、多くの銀行が倒産した経済的な危機を何というか?

  4. 金融恐慌の際に、どの銀行の救済に失敗したために若槻内閣が総辞職したか?

  5. 若槻内閣の後、立憲政友会党首で陸軍出身として内閣を成立させたのは誰か?

  6. 田中義一は、蒋介石の北伐を阻止するために、何県への出兵を強行したか?

  7. 日本と国民革命軍が軍事衝突を起こした事件を何というか?

  8. 1928年に張作霖爆殺事件を起こした日本の軍は何軍か?

  9. 1928年、張作霖が何事件で爆殺されたか?

  10. 張作霖の息子で、後に国民政府に従ったのは誰か?

  11. 蔣介石が中国を統一し、何を完了したか?

  12. 浜口雄幸内閣と第二次若槻礼次郎内閣で再び外相となった人物は誰か?

  13. 1930年に日本が調印した海軍軍縮に関する条約を何というか?

  14. 蔣介石が北伐を再開した統一政府を何というか?

  15. 蔣介石の北伐に対して日本が干渉のために三度行った出兵は、何県への出兵か?

  16. 1928年、蔣介石と日本との間で起こった軍事衝突を何というか?

  17. 張作霖が爆殺された事件を何というか?

  18. 張作霖の息子で、抗日を主張したが、蔣介石との間で意見が対立した人物は誰か?

  19. 南京政府が財政的基盤を確立するために成功した権利を何というか?

  20. 1935年、南京政府が発行する紙幣の名前は何か?

  21. 通貨を政府系銀行の発行する紙幣に統一し、他銀行発行の通貨や銀の使用を禁じた制度を何というか?

解答2:

  1. 幣原喜重郎

  2. 五・三〇事件

  3. 金融恐慌

  4. 台湾銀行

  5. 田中義一

  6. 山東

  7. 済南事件

  8. 関東軍

  9. 張作霖爆殺事件

  10. 張学良

  11. 北伐

  12. 幣原喜重郎

  13. ロンドン海軍軍縮条約

  14. 南京国民政府

  15. 山東

  16. 済南事件

  17. 張作霖爆殺事件

  18. 張学良

  19. 関税自主権

  20. 法幣

  21. 通貨改革(幣制改革)

練習問題133-3 共産党の動き

問題:


次の文章の空欄に適切な言葉を入れてください。

 中国共産党の成立と国民革命 

1921年コミンテルンの指導下に上海で組織された中国共産党は、国民党と結んで国民革命を進めた。 (1) らが創立を準備し、(2) が初代委員長に就任した。 1924年には共産党員が個人の資格で中国国民党に入党する(3) が成立し、漢民族として共産党・国民党が立場の違いを越えて協力し軍閥打倒をめざす(4) に参加した。 共産党は(5) と連携を強め、1925年7月広州国民政府、27年1月武漢国民政府の成立に参加したが、南京国民政府樹立を前にした1927年4月、浙江財閥と結んだ蒋介石ら国民党右派が(6) を起こし共産党弾圧に転じたので、第一次国共合作は崩れた(7) 。

 中華ソヴィエト共和国臨時政府と長征
 上海クーデタの後、共産党は国民党に対し武力抵抗を試みつつ、勢力を回復し、コミンテルンの指導のもと、江西省瑞金に中華ソヴィエト共和国臨時政府を建てた。 共産党は27年8月南昌蜂起に失敗したが、この際蜂起した部隊が共産党軍((8) )の起源となった。 この後共産党残党は(9) の指導で江西省と雲南省の境界にある(10) に拠点を構えた。 1931年、共産党は江西省(11) に(12) を主席とする(13) をたてた。中華ソヴィエト共和国憲法が制定され、土地法などもととのえられたが、南京国民政府(国民党)により攻撃され、瑞金は陥落した。 1931年満州事変が起こったが、南京国民政府と国民党は、日本よりもむしろ共産党との戦いを優先(安内攘外)し、結果として日本のいっそうの中国進出を許す結果となった。 国民党の攻撃を受けた共産党軍(紅軍)は、江西省瑞金を捨て、時計回りに中国を半周して陝西省延安に至る大移動をおこなった。これを(14) という。国民党の追撃を受けながらの移動は困難をきわめ、瑞金出発時に30万(誇張!?)だった兵力は、延安到着時には3万人に減っていた。 途上、1935年貴州省での(15) で、周恩来が毛沢東を支持、毛沢東の指導権が確立した。 この間1935年、モスクワでコミンテルン第7回大会が開かれ、共産党と他の社会主義・自由主義政党との協力をめざす(16) が採択されると、中国共産党は8月1日(17) を出し、国共内戦の停止と抗日民族統一戦線の結成を呼び掛けた。 1936年(18) が起こり、第二次国共合作の機運が高まった。 長征を成功させた共産党は1937年、陝西省(19) に拠点を構えた。、12年後の1949年中華人民共和国建国までここが抗日戦争(日中戦争1937~45)と国共内戦(1946~49)の中心となった。 1937年日中戦争がはじまると(20) が結成された。

解答:


  1. 李大釗

  2. 陳独秀

  3. 第一次国共合作

  4. 国民革命

  5. 国民党左派

  6. 上海クーデタ

  7. 国共分裂

  8. 紅軍

  9. 毛沢東

  10. 井崗山

  11. 瑞金

  12. 毛沢東

  13. 中華ソヴィエト共和国臨時政府

  14. 長征

  15. 遵義会議

  16. 人民戦線戦術

  17. 八・一宣言

  18. 西安事件

  19. 延安

  20. 第二次国

問題2:

  1. 1921年、コミンテルンの指導下で上海で組織された党は何か?

  2. 中国共産党の初代委員長は誰か?

  3. 共産党員が個人の資格で中国国民党に入党することは何と呼ばれるか?

  4. 共産党・国民党が協力して目指したものは?

  5. 共産党はどの党派と連携を強めたか?

  6. 1927年4月、国民党右派が起こした事件は?

  7. 第一次国共合作が崩れたことを指す用語は?

  8. 南昌蜂起した部隊が何の起源となったか?

  9. 共産党残党は誰の指導の下、江西省と雲南省の境界に拠点を構えたか?

  10. 共産党残党が拠点を構えた場所は?

  11. 中華ソヴィエト共和国臨時政府が立てられた場所は?

  12. 中華ソヴィエト共和国臨時政府の主席は?

  13. 江西省瑞金にたてられたものは?

  14. 紅軍が江西省瑞金から陝西省延安までの大移動を何というか?

  15. 1935年貴州省での会議は?

  16. 共産党と他の社会主義・自由主義政党との協力をめざす戦術は?

  17. 中国共産党が1935年に出した宣言は?

  18. 1936年に起こった事件は?

  19. 長征を成功させた共産党が拠点を構えた場所は?

  20. 1937年に結成された国共の協力体制は?

解答2:

  1. 中国共産党

  2. 陳独秀

  3. 第一次国共合作

  4. 国民革命

  5. 国民党左派

  6. 上海クーデタ

  7. 国共分裂

  8. 紅軍

  9. 毛沢東

  10. 井崗山

  11. 瑞金

  12. 毛沢東

  13. 中華ソヴィエト共和国臨時政府

  14. 長征

  15. 遵義会議

  16. 人民戦線戦術

  17. 八・一宣言

  18. 西安事件

  19. 延安

  20. 第二次国共合作(抗日民族統一戦線)


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