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第106講 南北戦争とアメリカ大陸諸国の発展

106-1 アメリカ合衆国:奴隷制をめぐる対立


1850年代のアメリカ合衆国


 1849年就任したばかりのテイラー大統領(第12代)が病死し、副大統領から昇格した1:フィルモア大統領(第13代、任1850-53)は、1852年日本にペリー提督を派遣した。

 北部を中心に奴隷制度を認めない自由州Free Stateと南部を中心に奴隷制度を認める奴隷州Slave Stateがあったが、1820年2:ミズーリ協定で、ミズーリ州を最後に北緯36度30分以北に奴隷州を作らないと合意された。

 カリフォルニア州が自由州として連邦に加入した際結ばれた「1850年の妥協」は、将来ニューメキシコ準州とユタ準州が州に昇格する場合自由州となるか奴隷州となるかは住民投票で決すると定め、ミズーリ協定を公然と無視した。これ以降対立が再燃した。

 1854年、カンザス州とネブラスカ州の加入にあたって定められた3:カンザス=ネブラスカ法は、両州が自由州となるか奴隷州となるかは住民投票で決すると定め、ミズーリ協定を破棄した。


南北の対立

 南北諸州の間には独立前から、経済的・社会的な差異が存在した(既習)。

 南部(デラウエア州、ヴァージニア州以南)は、大地主(プランター)が奴隷制に基づく4:タバコ=プランテーション、19世紀以降 5:綿花プランテーションを営み、連合王国に綿花を輸出し連合王国から工業製品を輸入、近代世界システムの中で中核となった連合王国と相互依存(経済的従属)関係にあった。奴隷制と6:自由貿易を支持し、7:州権主義の伝統が強かった。

 北部(ペンシルヴェニア州以北)は米英戦争(1812-14)を機に資本主義的な商工業が発達し、経済的に連合王国と競合する立場にあった。8:保護貿易を支持し、9:連邦主義の立場に立ち中央政府の権限強化を求めた。経済上の必要性が薄く、人道的な立場から奴隷制に反対した。

 南部を支持基盤とする10:民主党に対し、1854年ホイッグ党を改組し北部を支持基盤とする11:共和党党(1854)が結成された。奴隷制に反対の立場をとった。

 1852年発表された12:ストウの『13:アンクル=トムの小屋Uncle Tom's Cabin』は、奴隷制度を批判した作品としてベストセラーとなった。リンカーンは「南北戦争をひきおこした」作品と評した。

106-2 南北戦争 Civil War

Keyword 1リンカーン 2アメリカ連合国 3南北戦争 4ジェファソン=デヴィス 5リー  6ナポレオン3世 7メキシコ出兵 8モンロー宣言 9ホームステッド法 10大陸横断鉄道 11奴隷解放宣言 12ゲティスバーグの戦い 13リッチモンド 14憲法修正第13条 15グラント  16KKK(ク=クラックス=クラン) 17ジム=クロウ諸法 18分益小作人 19フアレス 20メキシコ内戦 21メキシコ出兵 22マクシミリアン1世 23マネ


リンカーンと3南北戦争

 1860年大統領選挙で共和党の1:リンカーンが第16代大統領に当選すると、南部諸州は合衆国からの離脱と2:アメリカ連合国Confederate States of Americaの建国を宣言、1861年大規模な内戦 3:南北戦争Civil Warがはじまった。

 アメリカ連合国は、4:ジェファソン=デヴィス Jefferson Davisを大統領とし、加盟州はヴァージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージア、フロリダ、アラバマ、テネシー、ミシシッピ、アーカンソー、ルイジアナ、テキサスの11州。位置を確認しよう。

 経済力・軍事力とも北部が優勢だったが、前半は名将5:リーを総司令官とする南部が勝利を重ねた。

戦争の経過

 南北戦争は長期化が予想され、ヨーロッパ諸国は大砲や新式銃、弾薬などの軍需物資を輸出した。フランスの6:ナポレオン3世は、南北戦争に乗じ 7:メキシコ出兵(1861-67)を行い、1823年の8:モンロー宣言を公然と無視した。

 リンカーン大統領は西部の支持を固めるため、62年9:ホームステッド法や太平洋鉄道法を定めた。

 9:ホームステッド法は、ミシシッピ川以西に5年間定住した者に一定(160エーカー、64ha)の土地所有権を与えるもので、西部の支持を得、いっそうの西部開拓を促した。

 太平洋鉄道法は、シカゴからミシシッピ川とミズーリ川を越えネブラスカ州まで伸びた鉄道を、太平洋まで延伸するため連邦が財政支援を行う内容。1869年初の10:大陸横断鉄道が開通した。

 リンカーン大統領は63年 11:奴隷解放宣言を出し北部への支持を内外にうったえた。

 リンカーン自身は奴隷の即時解放よりも合衆国の統一を重視する穏健派であった。

 フランスのメキシコ出兵(1861-67)が起き早期に南北戦争を終わらせねばならなかった。

 同63年12:ゲティスバーグの戦いで北軍が勝利した。北軍を指揮し戦いを勝利に導いた15:グラント将軍は1868年大統領に選ばれた。戦死者への追悼演説でリンカーンが「Government of the people、 by the people、 for the people」と述べたことはよく知られている。

 リンカーンは64年再選、65年アメリカ連合国Confederate States of America首都ヴァージニア州13:リッチモンドが陥落し南北戦争は北部の勝利で終わった。

憲法修正第13条と奴隷解放の現実


 1865年14憲法修正第13条で奴隷制度が廃止された。

 65年リンカーン暗殺事件ののち、副大統領のジョンソンが後継大統領となった。

 1868年憲法修正第14条で解放されたアフリカ系住民の市民権を認め、さらに15:グラント大統領(任1869-77)時代の1870年憲法修正第15条でアフリカ系住民の選挙権を認めた。

 南北戦争後南部ではアフリカ系住民の権利を認めず過激な活動を行う秘密結社16:KKK(ク=クラックス=クラン)が結成された。

 南部諸州は州法でアフリカ系住民差別を合法化し(17:ジム=クロウ諸法)、解放されたアフリカ系住民への差別が根強く残った。*州stateは民政分野の立法権を持ち続けた。

 解放されたアフリカ系住民には土地が与えられなかったので、彼らは自立できず、18:分益小作人(シェアクロッパー)として地主のもとで働かなければならなかった。

21メキシコ出兵

 アメリカ=メキシコ戦争に敗れ領土を失ったメキシコでは保守政権が支持を失い、1854年革命がおこった。1858年政権を握った先住民出身の19:フアレス大統領(任1858-72)が、教会財産を没収し土地改革に着手すると保守派が反乱をおこし20:メキシコ内戦(1859-61)がおこった。

 1861年合衆国で南北戦争がおこると、ナポレオン3世はブリテン、スペインを誘い、モンロー宣言を無視し21:メキシコ出兵を強行、オーストリア皇帝フランツ=ヨーゼフ1世の弟をメキシコ皇帝22:マクシミリアン1世(位1864-67)とした。

 南北戦争後1867年にフランスは撤兵、マクシミリアンを見捨てたナポレオン3世の威信は傷ついた。23:マネの作品「皇帝マキシミリアンの処刑」は、ドラクロワの「1808年5月3日」がモデル。

 欧州列強の干渉失敗と撤兵は、スペイン領キューバで第一次キューバ独立戦争(1868-78)を誘発した。


106-3 南北戦争後の合衆国とアメリカ大陸の変容


南北戦争後のアメリカ


 南北戦争の結果は、自国で工業製品を生産しブリテンと競争する北部の1:保護貿易主義が、ブリテンに綿花など原料を輸出し工業製品を輸入する南部の2:自由貿易主義に勝利したことを意味し、北部は南部を原料生産地・製品市場として取り込んだ。

 合衆国では産業革命(工業化)が急速に進み、北部は近代世界システムの「中核」へ浮上した。

 1867年ロシア(アレクサンドル2世)から3:アラスカを買収した(ジョンソン大統領時代)。

 同1867年ブリテンはカナダを4:自治領とし事実上独立させた。

 太平洋鉄道法にもとづき、ネブラスカから西へユニオン=パシフィック鉄道が(5:アイルランドの労働者が多かった)、カリフォルニアから東へセントラル=パシフィック鉄道(中国系の労働者=6:クーリーが多かった)が建設され、1869年両鉄道がユタ州プロモントリーで連結された。シカゴからカリフォルニアに至る最初の7:大陸横断鉄道は西部の広大な市場と東部の工業地帯を鉄道で結んだ。奇しくも8:スエズ運河開通と同年で、世界の交通を大きく変えた。*「1869年の交通革命

 工業化に伴って労働運動も活発になり、各地で労働組合が組織され、1886年サミュエル=ゴンパーズの指導で全米規模の9:アメリカ労働総同盟(AFL)が成立した。

第二次産業革命


 1870年代以降、南北戦争を解決した合衆国と統一を果たしたドイツが急速に工業化し、10:第二次産業革命の主役となった。従来の石炭を用いた蒸気力に代わり第二次産業革命期は11:石油と電力が主要なエネルギー源となり、英仏から米独に世界商業覇権争いの主導権が移行した。

 1876年12:ベルが電話機を、1879年13:エディソンが電灯を発明した。

 1870年14:ロックフェラーが設立したスタンダード石油会社は吸収合併を繰り返し急成長、1882年スタンダード石油トラストが設立された。

アメリカ大陸の変容

 ラテンアメリカ諸国は多くの国が共和政を採用し、ブラジルの帝政も共和政に移行したが、軍事的実力者(15:カウディーリョという)の抗争などで不安定な政治が続いた。経済的には大土地所有制(アシエンダ制)が存続し、クリオーリョ大土地所有者が富を独占する極端な格差社会だった。

 多くの国で経済はバナナ、コーヒーや硝石など鉱産物や鉱物などの一次産品輸出に依存し、開発や経営は19世紀前半では主にブリテン、後半では合衆国の資本に依存し、経済的従属を余儀なくされた。

 メキシコではフアレスの死後保守派の16:ディアス(任1877-80、84-1911)が大統領となり、独裁権力を握った。英米の資本を導入したが、富はクリオーリョの大土地所有者に集中し貧富の差が拡大、大衆の不満は1910年メキシコ革命が起こる要因となった。



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