君を想う(中)
「保証人としてお二人の署名と印鑑が欲しいのですが、ご家族の方は本日いらっしゃいますか」
「両親がいますが遠方で足も悪いので……友人でもいいですか」
「そうですね、ではご友人の場合はお一人で結構です。いつ頃来ていただけそうですか」
「明日には」
「分かりました」
六人部屋の窓際の一画が私のスペースだった。
荷物は結婚して初めての誕生日に裕紀くんからもらったトートバッグ一つにした。今の病院は保険証と印鑑さえあれば入院できるらしい。部屋の中では携帯電話で話をしている人もいる。結婚前に母が入院した時のことを思って、時代の移り変わりを感じた。
カーテンの隙間から見える外の景色は殺風景だった。ターミナルケアを主に行うこの病院には大きな庭があって、入院患者は誰でも自由に散歩ができるようになっているらしい。夏はきっと綺麗な緑色なのだろう。
私はその庭の向こうに、今朝の裕紀くんの様子を見た。怖くて、悲しくて、声が聞きたいと無意識に電話をかけてしまった時は動揺したけど、おかげで最後に幸せな時間を持つことができた。髪を撫でる優しい手も、ふわりと触れた唇の柔らかさも、全て大事に仕舞い込もう。
発見の遅れた乳がんはすでに肺や骨に転移していて、最悪の事態を考えてほしいと医師に言われた時、頭に浮かんだのは心配症の裕紀くんのことだった。
私が貧血で倒れただけで数日会社を休んだ彼は、がんの治療なんて言えば仕事を辞めて毎日付き添うと言いかねない。私には、まだ三十代半ばの裕紀くんの将来を奪うことなんてできやしない。だからこそ、何も言わずに去ることを決めた。
幸い共働きで子どももいないから、私の方にも貯金がある。緩和治療費も、両親に遺す将来的な介護費も、私のお葬式代も、まかなうことができる。
自分が死んだ後の各所への連絡やお葬式の手配は、同じ職場の親友に頼んだ。緊急連絡先も入院保証人も彼女だ。「残酷なことを頼んでしまってごめん」と謝ったら、謝るなと叱られた。
両親にも会いに行って、先立つことになるだろう未来や孫の顔を見せられなかったことを謝った。痛みを我慢していたことに気付けなくてごめん、と逆に謝られた時は三人で泣いた。
今晩、冷蔵庫に用意した数日分のご飯と、テーブルに置いた押印済みの離婚届を裕紀くんが見つけた時、彼はどう思うだろう。離婚届の横には「私物は捨ててください」というメモを残した。
「自分勝手だって分かってるけど、元気な私のままで裕紀くんの記憶に生きたいの」そんな我儘を聞かされた私の両親は、泣きはらして諦めた顔をしていた。
だけど裕紀くんはたぶん、私のものは何も捨てずに、離婚届も出さないだろう。彼はそういう人だ。優しくて、優しすぎて、私をどこまでも愛してくれる人だ。
そんな彼を幸せにしてあげられない。それは、私にとって何よりも悲しい現実だった。
いつか、裕紀くんに合う可愛いお嫁さんが現れたらいい。その時私は絶対に嫉妬するけど、それでも、裕紀くんに一人で生きてほしくない。
でもやっぱり、私が裕紀くんを幸せにしてあげたかったなあ。
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